13 本当の悪魔
それから、町の外周をマリーと手をつなぎながら歩いた。オリーブの木は等間隔に植えられていて、どこからもほのかなビターオレンジの香りが漂っている。時にはイチジクの木も混じっていて、ここがいかに神聖な力で護られているかがリリムにもよくわかった。
しばらく雑木林に沿って歩くと、住宅街から離れてぽつんと一軒だけ家が建っていた。昔ながらの石造りの家屋で、中世ヨーロッパの雰囲気が感じられる。建物込みで観光客が好みそうだと思った。
その店へ小走りに近寄るマリーは、まるで妖精が無邪気に森を遊び回っているのように見える。まだ神秘が残った聖なる土地に迷い込んだみたいだ。無邪気に笑う様子は太陽の光を一身に集めているようにきらきらとかがやいている。
「ここがソフィアおばあちゃまのお店です!」
「本当に町の端っこなんだね」
「はい! ソフィアおばあちゃまのお店はかなり古くからある建物で、この雑木林も一部はおばあちゃまのお家が昔から持っている土地らしいですよ。だから未開発のままなんだとか」
「そうなんだ。たしかに、今時珍しいくらい頑丈な結界だと思って……ん?」
「どうかしましたか?」
「……家の前。結界が張られていた形跡があるのに、なくなってる」
マリーが家の前の芝生と、ていねいに世話された花壇を見る。バラが咲いていて、ほかにもティートリーやエルダーフラワー、ユーカリなどの香りの強い草がぎっしりと植えられていた。香りも一種の結界になるが、消えているのはもっと強力な護符を使ったものだろう。魔力の痕跡からすると、この家だけにかけられた防犯セキュリティのような結界だったはずだ。
「……お店に灯りが付いてないです」
「念のために訊くけど、定休日とかじゃない?」
「はい。……おばあちゃまなので、シエスタを長めに取ってるのかもしれないですが……」
シエスタはスペイン特有の文化で、長めの昼休憩のことだ。もともとは酷暑の中の労働を避けるためで、14時から17時の間はどの店も閉まってしまう。
ただ、世界各国から大勢が訪れる観光地やグローバル化が進む大都市ではそんなことは言っていられない。シエスタは今や時間が短くなったり、廃止されたりする傾向にある古い風習となっている。エスコリアルの町も修道院付近の店はシエスタは設けられていないが、町外れのこの店は取っているらしい。
店に近付くと、灯りは付いていないがひとの気配はある。
結界が消えた痕跡があるからと言って、なにかが起こっているとは一概には言えない。たとえば、結界が影響して特定の魔術が使えないこともある。その魔術を使う時に結界を一時的に解く、ということもあるのだ。
どうしたものか、と考えていると、マリーは一瞬もためらわずに店のドアを叩く。
「ソフィアおばあちゃまー! ちょっとお店を見たいんですけれど、入っていいですかー?」
「マリー、もし本当に休憩中だったら失礼だよ」
「そうなんですけど……おばあちゃまはシエスタはとってもこんな時間までお店を閉めていることってないんです」
時間は15時を過ぎたところで、店を開ければ客が来る時間だ。
「おばあちゃま、一人暮らしなんです。お店で倒れてないか心配なんで、もうちょっとだけ声をかけてもいいですか?」
「……そういう話なら、もちろん」
そんな話をしていたら、突然物音がして扉が開いた。
──先ほど見かけた、悪魔憑きの旅行客が、なぜか店に立っていた。
「ご……ごめんね。きょ、今日は、お店がお休みなんだ……。な、中には、入れないんだよ……」
「えっと……」
自信なさげな男の様子に、マリーの方が戸惑っている。
この男は、町に出入りしている人間ではない。だからマリーはさっき悪魔憑きだと見抜いた時に追いかけようとしたのだ。
──嫌な予感がする。
「ざーんねん! 今日は帰ろうか」
わざと明るい声を上げて、マリーとつないでいた手を引っ張った。
さすがにわかるだろ! 帰ろう! ここは危ない!
けれど、夜の瞳はまっすぐに男を見つめている。それは決してそらされない。強い視線が男を射抜く。
「……ソフィアおばあちゃまは、どこですか?」
「……お、おばあちゃんは、今、シエスタ中だよ……」
「じゃあ、お店で待たせてもらっていいですか? 今日はおばあちゃまから受け取らないといけない品物があるんです」
「……ま、町の子、かな?」
「エスコリアル修道院からのお遣いです」
マリーが言うと、男の眉根が寄った。
男の様子に気がつかないふりをして、マリーは大きな笑みを見せる。
「なので! お店の中で待たせてもらいますね!」
男の脇をすり抜けて店に入ろうとするマリーを、男が腕を引いて引き止めた。
「……ま、待って……あ、あとで品物は修道院に届ける、よ。きょ、今日は帰ってくれないかな……?」
「お構いなく!」
強引過ぎだろ!
ひやひやしながら、リリムは扉の外から声を上げた。
「ソフィアさーん! どこですかー!」
すぐに建物の奥から、どん、と床を蹴るような音が聞こえた。
マリーと男の隙間をすり抜けて、店に入る。
店は一般家屋を改装してつくられたようで、さほど広くはないが昔の造りのままで天井に高さがある。広々と感じる店内はベージュの壁紙で囲まれていて、オーク材の棚に装飾品や置物、絵葉書などが飾られていた。売り場の奥にレジ台が見えて、物音はその奥から響いている。
レジ台に駆け込むと、イザベラよりもさらに歳上と思われる老婦人がロープで手足を縛られて倒れていた。
「……ッ!」
口元をガムテープで覆われている老婦人が、必死でなにかを訴えようとしている。
「なにするんですか! やめてください!」
マリーの悲鳴が聞こえて、慌てて振り返る。
暴れるマリーを長い腕で抱えた男が、リリムを濁った瞳で見下ろしている。
「ご、ごめん……ね。……あ、暴れて、うるさくされると、こ、困るんだ……。すぐに帰ってくれれば、な、なにもするつもりはなかったんだ……」
「ふん……気弱なふりして強盗とは、ずいぶん大胆だね」
「そうです! この悪者! 放しなさい! 放さないと酷い目に遭うんですからね!」
マリーが両手足をばたつかせてもがいている。それでも、まだ自力のようだ。そうだ。あの力は使うなよ。
「……な、なかなか、しごとが決まらなくて……そしたら、この町で、おばあさんがひとりで、店をやっているってSNSで見たから……人気、あるみたいだったし……や、雇ってほしかったんだ……」
「それがなんで強盗になるんですか!」
「やめろマリー。悪魔憑きの話なんかまともに聞くだけ無駄だ」
こいつの事情や本心なんかどうでもいい。ただ、ソフィアの状態を見る限り、余計な外傷はなく、縛られたロープには緩みがない。店の扉にも外からわかる傷はなかった。
この男、強盗の常習犯だ。
「お、お願いだから……し、しごとが終わるまで、大人しくしてて……。こ、子どもは、できれば、無事に家に帰してあげたい、から……」
「ふふーんだ! それはこっちのセリフなんですよ! 今のうちに黙って帰れば、通報せずにいてあげますけど、私になにかしたらイザベラが黙って……」
「やめろ、マリー! 挑発するな!」
リリムの静止は遅かった。
男は無表情に、なんの躊躇いもなくマリーの頬をひっぱたく。
「…………ぶ、無事って、言うのは……命が、あ、あるって、コトだから……ね?」
男が、まったく良心の呵責を感じない声音でそういった。マリーは、その言葉なのか、あるいは暴力を振るわれたことにか、いずれにせよ驚いて一瞬口を閉じた。滑らかな頬がじわりと赤くなっていく。
マリーは泣きもせず驚きのまま固まっていたが、それはリリムもだ。
──叩いた? 女性を? 子どもを?
マリーを?
かっと頭に血が上る。
迷いもせずに口に出したのは、『聖なる言葉』だ。
「──『汚れた霊よ、イエス・キリストの御名によって命じる。この神の僕から出て行け』」
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