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【完結】淫魔リリムと悪魔祓いマリーは、善悪の境界線でステップを踊る。  作者: 芝村あおい
第一章 エスコリアル・はじめてのケンカ編

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12 善きもの、悪しきもの


 マリーはすっかりチュロスを食べ終わって、炭酸水を口にしながら何度かうなずいた。


「ふーん。だから教会は『善き道を歩みなさい』って言うんですね」

「そう。悪魔に狙われる隙をわざわざつくる必要はないよってコト。僕も同感だね」


 ため息混じりにチュロスをチョコレートに浸してかじる。

 マリーが小首を傾げていた。


「……どうしてリリムは悪魔なのに、隙をつくるな、なんて言うんですか?」

「だって、かわいそうだろ?」


 そう返すと、マリーの大きな瞳がぱちぱちとまたたいた。小首を大げさに傾げると、長い黒髪がさらさらと肩に流れる。腕を伸ばして、流れた髪を耳にかけてあげた。マリーの不思議そうな視線がこちらを射抜く。


「かわいそう?」

「そうだよ。人間が受ける誘惑は悪魔だけじゃない。今日日SNSで持ち物や家柄自慢、しごと自慢、スキル自慢、誰が羨ましい、アレが妬ましい、企業炎上、誹謗中傷……いーっぱいあふれてる。欲望も悪意も垂れ流しだ。昔とは比べ物にならないくらいの感情の波にさらされて、さらに悪魔から刺激される。生きるのしんどくない? って同情しちゃうね」


 リリムは二千年生きる悪魔だ。悪魔にしては若手だが、それでも二千年の人間の歴史とともに歩んできた。

 人間の悪意は悪魔を越えている。具体的には、原子力を発明し、その神にも等しい力を虐殺に使ったこと。それ以降、悪魔は自らの存在を隠すようになった。

 もう積極的に人間をそそのかさなくても、悪意は世界に十分満ちている。


「……だから、より善く生きたいひとは、そうあってほしいと思う。そうでないと、本当は悪魔は生きられないんだ」

「……どうして?」

「善きもの……つまり理想とするものがないと、人間は堕ちようがないからね」


 善き道と悪しき道。その道は線引きされて舗装された道路ではない。どこかは重なっていて、重なっているように見えて行き先が違っていて、その道の先になにがあるのかわからなくて、人間は道に悩むのだ。その葛藤こそが悪魔の糧となる感情のエネルギーであり、精気の濃さにつながる。

 悪が世に満ちるというのは、人間の価値観が「悪」を「悪」と認識しないことを意味する。そうした世では人間は葛藤することがなくなり、悪魔は存在することができなくなるだろうと言われていた。


「だから、より善く生きようとする人間はたくさんいた方がいい。僕たち悪魔は、とても矛盾した存在なんだよ」

「……世の中はそんなに悪意に満ちてるのに、どうしてリリムは弱っちゃったんですか?」

「うーん。前に精気をいただいていた夫人(マダム)が、病気になっちゃってね。それでも少しずつ精気はわけてもらってたんだけど、最後の辺りはさすがにもらえなかったから」

「だったら、別のひとのところに行けば良かったのに」

「長くお世話になったひとだったから。最期まで付いててあげたかったんだよ。人間だってそうでしょ?」


 マリーは何度も目をまたたかせて、唇をへの字に曲げた。これは、どんな顔をしていいかわからない、といった感じだろうか。


「あ、病気って言っても不治の病じゃないよ。老衰ってやつ。85歳とかだったかなぁ。もうちょっと生きられたかな? でも僕のほかにもお孫さんとか親戚に囲まれて、悪くない人生だったんじゃないかな。旦那さんが亡くなってから僕と出会ってね。いくらフランスって言っても、悪く言うひとはいたよね。そういうひとを見て、二人で笑ってた」

「……リリムは、そのひとが好きだったんですか?」

「さすがに恋愛感情なんかないよ。相手はもちろん、僕のこと好きだったと思うけど」

「……でも、好きだったんですね」

「だから」

「だって、リリムはそのひとのために、どれだけお腹が減ってもずっと傍にいたんでしょう? いくら期限があっても、そんなの人間だってなかなかできません。

 好きじゃないひとに、そんなにやさしくできないですよ」


 マリーはそう言って、リリムの頭をなでた。今度は、どこかうれしそうに笑っている。


「リリムは、いい子なんですね」

「……あのね。僕は今マリーにあわせてこんな姿だけど、本当の子どもじゃないんだよ」

「わかってます。でも、いい子です」


 マリーはこちらの頭をなでるのが気に入ったらしい。得意げになってリリムの頭を何度も往復させる。

 ──ちょっと、気持ちいい。


「……やめてってば。いい子はマリーを泣かせたりしない」

「どんなにいい子でも失敗することはありますよ。私はあります」

「マリーは自認がいい子なんだね……」

「えっ、私がいい子じゃなかったら誰がいい子なんですか?」

「それもそうか」

「いい子の私がリリムのこといい子判定してあげます。うれしいですか?」

「……どうかな」


 さすがに、いい子と言われて喜ぶ悪魔はいないと思うけれど。

 まあ、マリーが満足そうなので、いいかな。


「……というわけで、あの悪魔は放っておくように。ぱっと見た感じ、大した罪を犯せるようなタイプでもなさそうだったしね」

「……はーい……」


 チュロスを食べ終わると、リリムは食器を片付けてイスから降りた。


「さて。マリー、僕はこの後行くところがあるから、先に帰っていていいよ」

「えっ、どこに行くんですか?」

「町の地理を確認しておこうと思ってね。少し町歩きしてから帰るよ。マリーは帰って勉強してて」

「……余計帰りたくなくなったんですけど」


 マリーは食後の祈りを捧げてからぴょいとイスから飛び降りる。


「リリムはまだこの町に来たばかりなんですから、私が案内してあげます! 別に勉強が嫌だからじゃないですよ! ええ、断じて違います!」

「うーん……」


 マリーの言い分は置いておいて、たしかに案内してくれるひとが同行してくれるとうれしい。


「……しょうがないな。じゃあ、今日は一緒に行こう」

「やったー!」


 エスコリアルの町は観光地だが、町そのものは大きくはない。子どもの足でも町の大通り程度は半日でぐるりと一周できる。

 地方の小さな町にしては小洒落た建物が多いが、住んでいるひとびとは普通のひとばかり。周囲は木々に囲まれていて、自然豊かでのどかな雰囲気だ。

 そんな町並みを、マリーは楽しそうに跳ねて回る。


「ここがリラおばさまの焼き菓子のお店です。ポルポロン(スノーボールクッキー)がとーってもおいしいんですよ! あと、あそこが町で一番大きなスーパーで、その隣がアンディおじさまの花屋さん。あっちの、町のはじっこにあるのがソフィアおばあちゃまの雑貨店です。おばあちゃまのお店はお土産物も売ってますけど、町の外から仕入れた工芸品なんかも扱っててかわいいものがたくさんあるんですよ」

「……ねえ、マリー。その雑貨屋さんに行ってもいい?」

「良いですよ!」


 マリーと手をつないで、町の外れにあるという雑貨屋へ向かう。メインストリートから外れて少し歩くと、すぐに町を囲うように覆っている雑木林が目の前に現れた。

 リリムはマリーの手を引いて、一本の木に近づいた。


「ほら、マリー。この木を見てごらん」

「……別に、普通の木ですけど?」


 リリムが示したのは、オリーブの木だ。修道院の庭園はもとより、町の至る所に植えられている。スペインでも特別珍しくない木だ。


「ほかのお家のお庭にも植っていますね。この木は自生しているせいか、ちょっと大きいですけど」

「でも、オリーブの木はここにしかいないでしょ?」


 オリーブの木は、ここに一本だけだ。森の奥にはマツやカエデ、イチイ、ヒイラギなどがどっしりとした根を下ろしている。時折ビターオレンジの木が混じっていて、辺りにはほのかにさわやかな柑橘の香りが漂っていた。

 マリーが小首を傾げて、大きな目をまたたかせる。


「あれ? 本当ですね?」

「オリーブは本来、この辺りで自生はしない。ひとの手で植えられたものだ。オリーブはキリスト信仰において重要視されている聖なる木だよ。『守護・平和・神の臨在』を表していて、ストレートに護符代わりになる。ご家庭のシンボルツリーに選ばれる理由のひとつだね。

 さらに、ビターオレンジは『豊穣』を意味し、その香りには邪気を払う効果があるとされている。自然を利用した結界だね」

「へえー! こんなことしてたんですね! じゃあ、このオリーブは……」

「教会か、機関か、どっちらかが植えたものだろうね。あと、幹を見てごらん」


 マリーはじっくりとオリーブの幹を見て回って、また首を傾げる。リリムは笑って、しゃがんで見せた。


「ここだよ。幹の根本に印が刻んである。これがなにかわかるかな?」

「えーっと……ルーン文字っていうんでしたっけ? 意味はわかんないです」

「そう。これは北欧魔術で用いられるルーン文字だ」


 ルーン文字は2世紀ごろから使用されている古ノルド語に端を発したとされる古代文字だ。ほかの言語と異なり人間が発明したものではなく、神から与えられた智恵とされていて、24文字それぞれにさまざまな意味が込められている。

 オリーブの幹には、アルファベットのYの真ん中が突き抜けたような、文字とも言えないカタチが刻まれていた。


「<アルガス>の文字だ。意味は『守護・仲間・鹿』。これも護符の意味がある文字だね。あとは、『警戒せよ』という意味もある」

「へええー! なら、これはきっとイザベラの魔術ですね!」

「そうなの?」

「はい。イザベラは北欧魔術を使います。イザベラの体にはルーン文字が刻まれているらしいですよ。これは噂で、私も見たことはないですけど」

「うーん、それは一度確かめてみないと」

「あっ、尼僧院の宿舎にはすごい結界が張ってあるらしいですから、リリムが行ったら焼けこげちゃいますよ」

「……わかったよ」


 リリムはこほん、と軽く咳払いをして、話を元に戻した。


「せっかくふたりで町を歩くんだから、こうやって魔術の勉強をしながら行こう。マリーも座学は嫌みたいだし」

「こういうお勉強なら大歓迎です! それに、リリムの話は結構わかりやすいですね。先生向いてるんじゃないですか?」

「そうかな?」


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