4.夜のほころび
ふわり。
雪が落ちてくる。
空の半分は星に覆われ、半分は厚い雲に隠れていた。雪を運んでくる風に、マントをかき寄せ、身を縮める。息をするたびに空気が白く濁り、溶けて消える。自分の息遣いだけが耳に届いた。
雲が流れ、星の見える位置が変わる。月の光が枯れた庭を照らしては影で覆う。
光の差す方角が変わった頃、ふわり。ガラスのはまった窓から夢が抜け出してきた。
ほのかな乳白色の光を帯びた人影は、バルコニーの手すりを乗り越えると、壁を飾る彫像を足掛かりに地面へと降り立った。そして、周囲に気を配りながら裏手へと走る。
僕は――寝てしまったのかと思った。
いつもと違う夢。けれど、冷えて固まった関節の痛みは現実だと告げている。
氷のように冷たい剣の柄を掴み、夢のあとを追った。
夢は裏門までくると木の陰に身を隠し、なにか投げる動作をした。なにも変わりはしない。しかし、夢は木の陰から走り出ると通用口へと飛び込んだ。
僕も門番に外へ出してもらう。背後から聞こえる会話を気にする余裕もなかった。夢は力強く街の中を走っていく。
初めてのことだった。人の姿であったとき、夢は軽やかだけど落ち着いた歩みをしていた。目的もなく、ぶらぶらと散策するように歩いた。
なのに今夜の夢は、目的を感じさせる足取りで走っている。
思わず、いもしない師匠の姿を探した。不安が胸の中に広がる。
夢は広場に入ると足を止めた。僕も立ち止まり、白く乱れた呼吸を整える。
夢は見知らぬ青年の姿をしていた。けれど、どこか王さまの面影も感じられる。
風が雲を動かしていく。月が顔を出し、広場を照らした。地面に薄く積もった雪に反射し、世界が明るく滲む。僕は夢を見失わないよう目を凝らした。
青年は勇者の銅像の前に立つと、なにかを乞うように銅像へと手を伸ばす。濡れた銅像も鋭い輝きを放っている。
ふわり。銅像が柔らかな光を放ったと思うと、人影が抜け出した。夢と同じ、光をまとい透けて見える人影。
僕は息を飲んだ。
銅像から出てきた人影が台座から飛び降りると、王さまの夢から抜け出した青年が受け止めた。二人は親し気に抱き合ったまま、顔を見合わせて話をする。
分からない。なにが、どうなっているのか。恐れが体を這い回る。
夢は一つだけのはずだった。王さまの夢だけ。いつも現れるのは一つだけ。
こんなこと師匠は教えなかった!
心臓が震えた。その震えが手に体に現れてくる。
混乱に襲われたまま、歩き出した二人のあとを追った。
勇者の銅像から抜け出してきたのは若い女性だった。二人は話をし、時に剣を振るい、時に涙し、時に……口づけを交わした。
頭の片隅に、修道女から繰り返し聞かされた昔語りが蘇る。
『そうして勇者と仲間は、村を襲撃した魔物を退治したのです』
勇者と、その仲間の王子――。
月影に入る度、彼らは少しずつ姿を変える。娘の顔をしていた女性は、凛々しい勇者に。朗らかに笑っていた王子は、精悍な戦士に。
そして、勇者のお腹が膨らみ、光の中から出てきたときには赤ん坊を抱いていた。
彼女は青年に赤子を渡した。青年は涙を流し、彼女の腕を掴む。その手を振り払い、勇者は駆け出した。青年は、その場で泣き崩れた。赤ん坊を腕に抱いたまま。
彼に手を伸ばしかけ、留める。唇を噛みしめ、勇者の背を探した。
黒い影があった。白い光に満ちた世界に、シミのような真っ黒な影。勇者の進む先で待ち構えるように、ゆらゆらと揺れている。
心臓が縮み上がる。
どうして師匠は、ここにいないんだ……!
僕は迷った。守るのは王さまの夢だ。
彼は泣いていた。赤ん坊を抱き締め、戦いに使っていた剣を握り締め。
僕は顔を上げ、影へ視線を定めた。そして剣を抜いて勇者の元へ駆けた。
あの勇者も影に攻撃を受けたら、誰かの命に関わるのだろうか。分からない。けれど、足が動いていた。僕は夢守だから、
勇者に伸びた影の腕に剣を振り下ろす。重い抵抗を感じた。
「え?」
落ちた腕は雪に触れる前に霧散した。しかし、本体は残ったままだ。
別の影の手が僕へと伸びてくる。腕を掴まれると締め上げられる痛みと焼けるような熱を感じた。
心臓が激しく打つ。
どうして? なんで?
答えを見つけられないまま、恐怖を切るように剣を振るった。
雪で濡れた石畳に滑りそうになる。かじかんだ手が剣を取り落としそうになる。影の爪に肌を引き裂かれ、足を貫かれた。雪が赤く染まる。涙が滲んだ。
勇者も戦っていた。僕には見えない過去の――魔王との戦いを再演していた。




