2.星の落ちた夜
東の空がほの赤く染まり出した頃、夢は王城に戻った。
少年は、お掘りなんてないように真っ直ぐ進み城壁に触れると、するりと内部に入り込んだ。僕は裏門へと向かい、門番の詰め所をノックする。
「ただいま戻りました」
眠たそうな顔の門番が顔を出す。最近、配属された新顔だった。
顔をしかめ、胡乱な目つきで僕を見やる。
「ああ……。お帰りなさい、アウルカ」
門番は面倒そうな声音で言うと、通用口を開けてくれた。僕は礼を言って通る。背後から聞こえてくる会話は、フードのおかげでほとんど耳に入らなかった。
王城の片隅に建てられた小屋の扉を開けると、ため息がこぼれる。半ば、毎朝の儀式になっていた。
扉を開けたまま中に入ると窓の鎧戸を開いた。まだ薄暗い外からは十分な光が得られない。けれど、夜の闇に慣れた目には十分だった。
部屋の片隅にある台所で朝食を食べる。王城で作られた夕食の残りだ。
初めて王城の料理を口にしたときは本当に感動を覚えた。この世には、こんなにもたくさんの味があるのか、と。それまで僕は、酸味と苦みとえぐみしか味はないと思っていた。
あれから十年近くが経つ。
ひとりで食べる冷めた料理は、また味気なく感じられるようになっていた。
皿を片づけると、寝支度をしてベッドに入った。締めた鎧戸の隙間から朝陽が入り込み、室内を明るく満たしていく。僕は体を丸めて毛布に沈む。
小鳥の鳴き声が子守歌のように響いていた。
僕は――夢を見ていた。
あの晩、僕は暮らしていた孤児院からこっそりと抜け出した。どうして、そんなことをしたのか覚えていない。記憶にあるのは夜の美しさだけ。
月のない夜だった。空には数えきれないほどの光があり、チラチラと瞬いていた。あまりにも光が美しくて、どこまで広がっているのか確かめようと街の広場へと向かった。狭い路地を抜けて、銅像のある広場に出ると視界いっぱいの星空に圧倒された。
大きい星。小さい星。白い星、青い星、黄色い星、赤い星。
スッと空を横切って、その一つが落ちていった。僕はハッとして、落ちた星を追って視線を動かした。
そこに兎がいた。
青白い光をまとい、石畳の地面が透けて見える兎が。
僕は落ちた星が兎の姿になったのだと思った。
兎は長い耳をピクピクと動かし、地面のにおいをかぐと軽やかに進みだした。跳ねたあとに点々と青白い燐光が残り、溶けるように消えていく。
僕は胸を躍らせ、兎のあとを追った。
そして、広場から路地へと入ろうとしたところで後ろから腕を掴まれた。
驚いて振り返ると、大きな人影が立っていた。顔は見えない。ただ、三日月のように鋭い光が揺れていた。獣の牙を思わせ、食べられてしまうのだと僕は震えた。
体から力が抜けて、膝が崩れる。それでも腕を掴まれているため、座り込むことすら出来なかった。
『見えるのか……?』
人影が声を発した。かすれ、引きつり、震えた声音。
『あれが見えるのか? あれはなんだ? 言ってみろ……!』
掴まれた腕が痛かった。
僕が声を出せずにいると、反対側の肩も掴まれ強く揺さぶられた。
『言え! あれは、なんだ? なにを見た!』
僕は歯を鳴らしながら、上ずった声で答えた。
『し……知りません。ぼく……僕は星を見ていただけで』
腕と肩を掴む手に一層の力が込められた。このまま握り潰されてしまうんじゃないかと恐ろしかった。荒い息が顔に当たる。涙が溢れ、孤児院を抜け出してきたことを後悔した。
僕は助けを求めるように振り向いた。
青白く光る兎は、僕のことなんて見向きもせず跳ねていた。
『お前は見たんだ』
影が言った。
視線を戻すと、師匠の顔があった。
『王さまの夢を、見たんだ。お前は夢守の資質を具えている』
『アウルカ……?』
『王さまから抜け出した夢を守る、名誉ある仕事だ。誰にでもはできない。特別な才のあるものだけが、アウルカになれる』
『特別な……』
『アウルカになりたくはないか?』
『アウルカになったら……僕は役に立ちますか?』
『誰よりも。お前の名は?』
『……エルドネイト』
師匠は静かに微笑み、自分の耳飾りをはずして差し出した。黒い星の散った濃紺の石が、ほのかな光を発している。
僕は耳飾りを受け取った。
『これからは、お前がアウルカだ。お前だけが、アウルカだ』
師匠に強く握られた手が、少しの痛みを覚えた。




