1.静かな散歩
ふわり。
浮かぶように少年は星影に照らされた白い街道を歩いている。ほのかな青白い光を身にまとい、反対側が透けて見えた。儚げな印象とは裏腹に、足取りはステップを踏むような軽やかさ。
僕は少し離れて、少年の後ろを歩いていた。
空には満天の星。尖った獣の牙を思わせる細長い月は、西の森の端に息をひそめている。
美しい、そして代り映えのしない夜だった。
少年のマントが風に翻る。青白い燐光が辺りに散らばり、瞼を閉じるように消えた。
僕は自分のマントを引き寄せ、冷たい風から身を守る。
少年のマントは吹いてくる風に逆らうように動いていた。マントだけではない、少年の柔らかな髪も、実際の風とは違う"風"に吹かれていた。
現世にありながら、現世とは違う世界に彼はいる。
何度目にしても不思議で、少しの恐ろしさを覚えた。
草原の草が風にざわめく。枯れ葉の混じった草の音はささやかで固い。もうしばらくすると雪が降り締め、その音さえ消える。夜の世界は、僕の足音だけの世界になる。
少年が振り向いて笑った。唇が動き、何事か言っている様子だが言葉は聞こえない。それに彼の視線は、僕ではなく、ここにはない世界へ向けられていた。
空気がうなり、冷気の塊がぶつかってくる。身をすくめて、マントのフードをかぶった。重たいフェルトのフードに包まれると、僕も世界から隔絶されたように感じた。
それでも目だけは少年を見つめ続ける。
少年は歩く。ふわりと重さを感じさせない歩みで。
少年の歩く先に、ゆらり、影が見えた。闇に紛れ、世界と溶け合っているような影が一つ、二つ――五つ。枝葉を広げた木々を思わせる形で、街道の周囲に浮かんでいる。
少年は影に気づく様子もなく進んで行く。
僕は腰に差した剣を抜いた。毎日、聖水で清めてから身に着けている。飾り気はなく、ただ柄の先端に黒い星の散った濃紺の石がはめ込まれている。
足を早めて少年を追い越すと、影に近づいた。そばまで行くと星影でかろうじて輪郭を持った世界に、黒々とした穴が滲んでいるように見える。そこへ向けて剣を振り下ろす。刃が影に触れると、当たった感触すらなく影は崩れ去った。
二つ目の影へと向かう。枝を伸ばしてきた影が、僕の腕に触れた。冷たい氷を当てられたような感覚が肌に走る。取り落としそうになった剣を握り締めて、影を切り捨てる。
すぐに、すべての影が消えた。
少年はなにも知らずに歩き続ける。辺りを見回し、時に街道から外れ、思うままに。
僕は一晩中、その散歩に付き合う。そして時々、影を切る。
月に幾晩か、僕は、こうして夢と夜の散歩をしていた。
夢の主は、この国の王さま。
王さまの夢は、時おり現世へ抜け出して出歩くことがあった。
僕は夢守。仕事は、抜け出してきた王さまの夢を守ること。
『どうして、そんなことに?』
アウルカの師匠に師事した日、僕は尋ねた。
『呪いさ』
『呪い?』
『魔王に呪われたんだ』
ずっとずっと昔の出来事。真実とも思えないほど遠い歴史の話に、僕は信じられないまま聞き返した。
『魔王は、どうしてそんなことを?』
『王さまの夢に勇者を探させるためさ。昔々、勇者に退治されたとき、王さまの一族に呪いをかけたんだ。王さまの一族は勇者と共に魔王と戦ったからな』
『どうやって勇者を探させるんでしょう? 勇者も、もう死んでいるのに』
師匠は顔を歪ませて笑った。その耳で、アウルカの証である黒い星の散った濃紺の耳飾りが揺れていた。
師匠は窓から王城の塔を見上げて言った。
『……さぁな。魔王の悪あがきだろうさ』
師匠は僕に視線を向けると、強く肩を掴んだ。
『夢が戻らなければ王さまの命にも危険が及ぶ。恐ろしいことだ……。だから、アウルカは何があっても夢を守らなければならない。分かったね?』
僕は分からないまま、頷いた。
『はい、師匠』
その師匠も、もういない。
初めてひとりで夢の散歩を追った翌日。午後の日差しに目を覚ますと師匠は消えていた。師匠の荷物は一つもなく、アウルカの耳飾りと剣だけが、ぽつりとテーブルに残されていた。
その日以来、僕がアウルカになった。夢の守り人は、僕だけになった。




