第9話:星を駆る咆哮――巨大クレーター・エンジンの定期点検
ピラミッドの制御室で「月そのものが巨大な宇宙船である」という真実を知った俺たちは、すぐさまその「動力源」であるタイコ・クレーターの底部へと向かった。これまで単なる地形だと思っていた広大な円形の盆地は、近づいてみれば、数万キロもの超巨大な『噴射ノズル』そのものだったのだ。
バギーを降りてクレーターの縁に立つと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。クレーターの底面には、同心円状に配置された無数の魔導スラスターが埋め込まれ、その中心には天を突くような巨大な「点火棒」がそびえ立っている。だが、その表面は長年の沈黙によって月面の砂に深く埋もれ、剥き出しになった金属フレームには、無数の微細な『疲労亀裂』が走っていた。
「……おいおい、こんな状態でエンジンを吹かしてみろ。月が加速する前に、このクレーター周辺の地殻が圧力に耐えきれず、粉々に砕け散るぞ」
俺は地面にひざまずき、剥き出しになった主構造体に手を当てた。伝わってくるのは、冷え切った機械の死を予感させる不吉な静寂だ。ガッツが横で、巨大なスパナを肩に担ぎながら顔をしかめる。
「ボス、こりゃあひどい。特にあの中心部にある『推力伝達部』だ。地盤とエンジンを繋いでいる巨大な杭が、月の地殻変動で歪んでやがる。このままじゃ、出力が斜めに逃げて月がスピンしちまうぜ」
俺たちはすぐに点検を開始した。まずは、目に見えない内部の損傷を調べるために、エレナが魔法による『超音波探傷試験』を広範囲に展開する。
「一ノ瀬様、データが出ましたわ。地下一キロ地点にあるメインシャフトの支持基盤に、深刻な『空洞化』が見られます。かつて充填されていた冷却液が漏れ出し、地盤を侵食してしまったようですわね」
空気が戻ったばかりのこの地で、俺たちは「月を救うための土木工事」という、空前絶後の難題に直面していた。俺は即座に指示を飛ばす。
「いいか、まずはこのスカスカになった地盤を固めるのが先決だ。ミーナ、お前は上空から地表をスキャンし、最も熱が高い『漏水箇所』を特定しろ! ガッツ、お前は地下の空洞に直接『高強度グラウト材(補強用注入材)』を流し込むための穿孔作業に入れ!」
低重力下でのドリリングは困難を極めた。力を入れればドリルではなく自分たちが浮き上がってしまう。俺たちは自分たちの体を岩盤にアンカーで固定し、渾身の力で大地に穴を穿っていった。
数時間の激闘の末、地中深くへと伸びる無数のパイプから、魔導樹脂とセラミックを混合した特製の注入材が、高圧で送り込まれた。それはまるで、月の傷口を塞ぎ、骨を繋ぎ合わせる外科手術のような作業だった。
「よし、注入圧力が安定した。これで地盤の『支持力』は戻ったはずだ。エレナ、次はメインエンジンの『同期試験』を行う。微弱なパルスを送って、スラスターが均等に反応するか確認しろ!」
「了解ですわ!……パルス発信! 三……二……一……起動!」
その瞬間、地底からこれまでにない重低音が響き渡った。クレーター全体が、長い眠りから覚めた巨獣のように身震いする。足元から伝わってくるのは、単なる振動ではない。月という星そのものが、宇宙の彼方を目指そうとする力強い「脈動」だった。
噴射ノズルの端々から、数千年ぶりに青白い魔導の残り火が噴き出し、月面に積もっていた砂を一気に吹き飛ばす。モニターに表示された推力グラフが、美しい正弦波を描いて安定していくのを見て、俺は思わず拳を握りしめた。
「……完璧だ。これで月は、いつでも『舵』を切れる」
俺たちは、月面という広大な工事現場を制し、ついにこの星の真の持ち主――すなわち、操縦者となったのだ。
「所長、点検は大成功ね! これで地球に帰れる道が見えてきたわ……って、エレナ、その顔はどうしたの?」
ミーナが怪訝そうにエレナを覗き込む。モニターを注視していたエレナの顔は、かつてないほど青ざめていた。
「一ノ瀬様……大変ですわ。エンジンの出力が安定したことで、月面の『外部通信システム』が復旧してしまったのですが……。そこに入ってきたのは、地球からの救助要請ではなく、太陽系の外縁から迫る『巨大な移動天体』による、月への『衝突警告』ですわ!」
今回の建築・土木用語解説
• 疲労亀裂: 小さな力が繰り返し加わることで、材料に少しずつ発生するひび割れ。放置すると最終的に破壊に繋がる。
• 支持力: 地盤が、その上に乗る構造物の重さに耐える力のこと。
• 超音波探傷試験: 材料の内部に超音波を送り、跳ね返り方で目に見えない傷や空洞を見つける非破壊検査の一種。
• グラウト材: 構造物の隙間や地盤の空洞に流し込んで、強度を高めたり水の漏れを防いだりする液体状の材料。
• アンカー: 構造物や機械が動かないように、地盤や壁にしっかり固定するための部品。
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