永福寺炎上に関する重兼の考察
鎌倉は、異様に重苦しい雰囲気に包まれていた。
永福寺炎上による、先代将軍の遺児達の死亡。
もし、寺が燃えただけならたいした騒ぎにはならなかったのだが、死亡、もしくは行方不明者の中に、栄実達三兄弟が含まれていたのだ。
ほとんどの者が、何らかの陰謀を疑わずにいられなかった。
そのような大事件の発生に、当然幕府は真相の究明に乗り出した。
まずは聞き取り調査。
事件当時、現場にいた全ての人間に当時の状況を聞く。
火災が、放火によるものなのかを調べるために。
当然、その中には重兼も含まれていた。
尋問は、将軍御所内の家人の部屋で義時によって行われた。
将軍実朝は立ち会わない。
不測の事態を避けるためである。
部屋に入る際に、刀は預ける。
室内には義時の他に武士が二人、着座していた。
帯刀している事からすると、義時の家人、護衛の武士だろう。
重兼は義時の正面に腰を下ろす。
「新田重兼。 偽りなく答えよ。 あの時、お主は何処で何をしたのかを」
義時の声には、これまで感じた事のない凄みがあった。
重兼も圧倒されないように自分を奮い立たせ、正直に答える。
「あの夜は、昼間の勤務を終えて宿舎で休んでおりました。 眠っていると叩き起こされて、火事が起きている事を知らされました。 駆けつけると既に、永福寺が燃えておりました」
「それで?」
「先に来ていた佐貫広綱殿に事情を聞いていると、頼家公の御子息達が中に取り残されているとの知らせがあり、広綱殿が助けに入ろうとしたので、他の者と合力して止めました。 とても間に合わないと思いましたので……」
「そうか……」
「嘘偽りは申しておりませぬ。 疑うのであれば、広綱殿に聞いていただきたく思います」
義時は視線をそらして考え込んだ。
そして、傍らにいる武士に命じた。
「お主らは席を外せ」
「はっ」
主人の命に、二人は部屋を出ていった。
それを確認して義時は、声をひそめた。
「重兼。 お主、此の度の件はどう考えておる?」
「何者かが裏にいると?」
義時は黙って頷く。
「……暫し、時間をいただけますか」
「構わぬ」
許可をもらうと思考に集中する。
義時は、何者かが今回の件を仕組んたとみている。
一体誰が?
三人を殺して利益を得るのは誰なのか、考えてみても思い浮かばない。
この時代の陰謀家と言ったら、義時と三浦義村だろう。
しかし、両者とも今回は違うような気がする。
まずは義時。
伊豆の豪族でしかない北条家がここまでのし上がったのは将軍家の外戚であるからであって、家柄がどうのではない。
それに、現在の将軍実朝には子がいない。
史実でも彼は、子を儲けなかった。
あの三兄弟は、実朝に何かあった時のスペアになり得る存在だった。
(ただし、史実において栄実と禅暁は将軍の地位を狙ったという口実で討ち取られている)
北条家の権力の源泉である将軍家の人間を、義時が殺すとは考えにくい。
それに、現在目の前にいる義時の態度をみていると、今回は彼は無関係に思える。
もう一人、三浦義村はどうか?
史書『吾妻鏡』では公暁が実朝を暗殺した時に、三浦義村と何らかの関係があったように書かれているが、まだ何もしていない公暁を兄弟まとめて殺すとは思えない。
では一体誰が?
そこでふと、思いついた。
実朝はどうか?
自分の将軍としての地位を脅かしかねない者として排除した可能性は?
重兼は、その考えをすぐさま却下した。
実朝の人間性からしてあり得ない。
それに、あの三兄弟を消したいのであれば、将軍の権力をもってすればいつでも出来たはずだ。
そこまで考えて、完全に分からなくなった。
今回の火災は、やはり事故であって何者かの工作ではないとするのが正しいような気がする。
「……此の度の件は、事故ではないかと思われます」
「それがお主の意見か?」
「断言は出来ませぬが……」
重兼の言葉を聞いて、義時は再び考えこんだ。
そして、「下がって良い」重兼を下がらせる。
その言葉に、重兼は内心安堵を覚えながら退出した。
重兼を下がらせて、義時は一人で考えていた。
かなり頭の切れる重兼も、今回の件については判断に迷っている。
それは義時も同じだった。
もし、何者かが裏で糸を引いているとしたら、一番関与が疑われるのは三浦義村だ。
家族に公暁との関係が深い者がいるし、事件の直前に息子の駒若丸を通じて刀を渡すなど、接触をしていたらしい。
しかし、今回は残りの二人と一緒に公暁までも死んだのだ。
これでは、義村の手駒としての将軍を据える事が出来ない。
「……」
やはり、今回の件は事故なのだろうか。
ただ、遺された遺体の中に、三人のものだと断定出来るのは発見されなかったから、もしかしたら生き残っている可能性が無いわけではない。
(一応、探してみるか)
三兄弟の行方を探すように命じる事を決めた。
まあ、無駄だろうな。
そう思いながら。
大番役が終わった日、重兼以下の新田党は離任の挨拶のために政所の庭に集まっていた。
別当の義時が、階上から見下ろしている。
「執権殿。 我等新田党、これより上野国に戻ります」
「新田重兼。 大義であった」
それ以外、一切余計な言葉を口にする事なく挨拶は終わった。
一族を率いて政所を出る。
馬に跨ると、早足で歩かせる。
とにかく鎌倉を離れたい。 一刻も早く。
そんな気持ちだった。
もしかしたら今回の件は、何かの事件の前触れになるかも知れない。
そんな思いが重兼の中でこみあげてきた。
その後、全国の御家人に対して前将軍頼家公の遺児を探すように将軍実朝の御教書が下された。
しかし、結果は空振りに終わった。




