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将軍実朝の憂鬱

 将軍御所の実朝の私室。

 実朝は落ち込んでいた。

 自分の現状を思い知らされたのだ。

 征夷大将軍とは名ばかりで、北条家の傀儡でしかない。

 それを分かっているから長沼宗政は、好き勝手放題言ったのだろう。

 今の幕府で信頼出来る者は誰もいない。

「実朝様……」

 そんな事を考えていると、恐る恐る声をかけてきた者がいた。

 見ると、源仲章だった。

「あまり、気落ちなさいませぬ様に……」

「無理だ」

 実朝は一言ではねつけた。

「はっきりと分かったわ。 誰も私に敬意を払ってはおらぬ。 全く、何が征夷大将軍だ。 何が武家の棟梁だ。 笑ってしまう。 亡き父上が見たら、さぞかし嘆かれるであろうよ」

「……」

「それと仲章。 官位の件はどうなった?」

「えっ、あの、それは……」

 仲章は気まずそうにうつむく。

 おそらく、進展していないのだろう。

 実朝は、あまり失望しなかった。

 ある程度は予想していた。

 現時点で実朝は正二位、右近衛大将であるが、御家人達はその事よりも征夷大将軍の地位を有難がっている。

 それは何故か。

 自分達の所領を安堵、さらには新しい所領を与えてくれるからだ。

 それ以外の官職など、自慢の種になるくらいにしか思っていない。

 仲章から官職の上昇の話を聞かされた時は良い考えだと思ったが、冷静に考えてみると自分の官職はかなり高い方なのだ。

 さらなる高みを望むなど、後鳥羽上皇が許すだろうか。

 落ち込んでいる今の実朝には、望み薄のように思えた。

「下がれ」

 会話を続ける気力を失った実朝は、仲章を下がらせた。


 仲章はトボトボと私室に向けて歩いていた。

 官位向上による実朝の権威回復は仲章が発案したものであるから、当然尽力してはいた。

 しかし、全く音沙汰がないのだ。

 朝廷内の幕府よりの貴族に働きかけてはいるのだが……。

 手紙を送った西園寺公経は何をしているのだろうか?


 仲章の行動に対し、朝廷は無反応ではなかった。

 実朝に朝廷の、後鳥羽上皇のお力添えをしていただきたい。

 その要望にある程度は真剣に対応していた。



「実朝の官位、官職をさらに上げよと申すか?」

「仰せの通りにございます」

 後鳥羽上皇の前で、西園寺公経が平伏して答える。

 後鳥羽上皇の院御所である最勝四天王院。

 今そこで、仲章の求める実朝の官位向上の件について議論がなされていた。

「右近衛大将にしてやったというのに足りぬと言っておるのか? 身の程知らずにもほどがあるわ!!」

 一際強い口調なのは参議、高倉憲茂たかくらのりしげ

 上皇の近臣の一人である。

 ただ、母と妻が源頼朝に滅ぼされた伊勢平氏の出身のせいか、鎌倉幕府に対する強い敵愾心、侮蔑感を常日頃からむき出しにしている。

「陛下。 あのような流人の小倅に……」

「憲茂殿。 上皇陛下の御前である。 口を謹しまれよ」

 いささか不快そうな口調でたしなめたのは、大納言坊門忠信。

 妹が実朝に嫁いでいる事もあり、こちらは憲茂とは逆に幕府には協調的だった。

 ただ、憲茂をたしなめたのはそれだけが理由ではなかった。

 もう一人の妹が後鳥羽上皇の女房になっており、上皇と実朝はいわば相婿の関係なのだ。

 上皇の前で実朝を罵倒するのは、憲茂にとっても良くない。

 勿論、忠信も不愉快だ。

「……」

 忠信の意を察したのか、憲茂は口をつぐんだ。

 沈黙が場を支配する。

「上皇陛下。 如何なさいますか?」

 西園寺公経が尋ねた。

 上皇は顎に手をあてて考えていたが、「考慮するとだけ伝えよ」そう告げて席を立った。

 実朝の件は、それで終わり。

 そう思った院近臣達も立とうとすると、上皇の声が響いた。

「あと、忌まわしい戦があったので改元をしようと思う。 新しい元号を検討しておくように」

「はっ」

 こうして、実朝の昇進問題は先送りされた。



 建暦三年十月の鎌倉。

 海からの風が大分冷たく感じる頃、新田重兼は郎従と共に市場を見回っていた。

 別に買い物をするためではなく、和田合戦後の鎌倉の様子を見に来たついでに顔を出しただけである。

 重兼の見たところ、鎌倉は大分落ち着きを取り戻したようだ。

 焼け落ちた家屋のほとんどは再建され、以前と変わりない光景が戻ってきている。

 市場も活気に満ちている。

 重兼は、なんとなく心が暖かくなった。

 人々が平和に暮らしているのが、本当に尊く思えた。

 このようなのどかな生活がずっと続けば良い。

 そう思った。

 しかし、その思いはいきなり裏切られた。


「無礼な!!」

 突然の怒鳴り声によって、重兼は現実に引き戻された。

 振り向くと、郎従達が武士の一団と睨み合っている。

「何事だ!?」

 主人の問いに、一人が答える。

「いや、この者たちがすれ違っただけなのに、因縁をつけてきて……」

「刀がぶつかったであろうが!」

「……」

 重兼は呆れた。

 そんな事で因縁をつけるなど、チンピラと変わらないではないか。

 どこの武士団だと思って見ると、なんとなく見覚えがあった。

 鎌倉大番役で会ったような気がする。

 記憶を探ってみると、思い出した。

「お主ら、園田党の者か?」

「今頃思い出したのか」

 リーダー格の武士が吐き捨てる。

「貴様らに成朝様を殺された、な」

「なっ……」

 重兼は驚くと同時にある程度納得した。

 彼等は岩松時兼がした事を、新田宗家の命令によるものだったと思っているのだ。

「待て。 お主らは誤解している」

「何だと?」

 重兼は、園田成朝の件は岩松時兼が独断でした事であり新田家は関与していない事。

 岩松家は新田家から独立した御家人になった事などを話した。

 そして、一門の統制がゆき届いていなかった事を詫びる。

 それでも相手を納得していないようだった。

「和田義盛に与した者たちは恩赦される事は、ほぼ決まっていたはず。 それを騙し討ちにするとは卑怯であろう!! 惣領として、岩松めを御することが出来んのか!? 全く、宗家が聞いて呆れるわ!!」

「……」

 重兼は言葉が出なかった。

 それをいいことに、相手はさらに言葉を続ける。

「それに、岩松家が新田家から独立したなどとは初耳だ。 責任逃れのためのでまかせではないのか!?」

「何だと!?」

 さすがに重兼も頭にきた。

「そこまで言うならば、将軍の御前で白黒つけようではないか。 御所まで同行してもらおうか!」

「承知した」

 こうして新田、園田の面々は将軍御所へ向かった。



 将軍御所の庭に座した両家の面々を、実朝は冷ややかな目で見下ろしていた。

 こんな、くだらない用件で時間をかけさせるな。

 そう言いたげな雰囲気だった。

 階下から、重兼が声をかける。

「将軍。 先日、我が新田家から岩松と世良田の両家を分立させるように申請した事が真であると、この者たちに仰っていただきたいのです。 この者たちは岩松時兼が先日、園田成朝を殺害した事を新田宗家の命によるものだと誤解しているようなので……」

 重兼としては、自分の言い分が本当であると実朝に証明してもらい、事を穏便に済ませる。

 それが狙いだった。

 しかし、実朝はとんでもない事を口にした。

「何の事た? そのような話、聞いてはおらぬぞ?」

「えっ?」

 重兼は唖然とし、園田党はそれ見たことか、と言わんばかりの表情になった。

「やはりでまかせであったか。 新田家の惣領は何とも狡い性根をお持ちのようで」

「笑止ですな」

 園田党の連中がもう、言いたい放題である。

「あ、あの、御言葉ながら、将軍。 先日、書状で申請したはずですが……」

「知らんな」

「そ、そんな……」

 一体何がどうなっているのか?

 さっぱり分からなかった。

 あれこれ考えているうちに、ある事に思い当たった。

「執権殿に、義時殿に聞いてみて下され。 もしかしたら、将軍に伝えるのを失念しておられるのやも知れませぬ」

「義時に?」

 実朝は少し考えていたが、気乗りしなさそうに家人に告げた。

「義時を呼べ」



 呼び出された義時の顔は強張っていた。

 気まずい思いをしているのが、はっきりとみてとれた。

「義時。 お主、新田重兼の申している事に、心当たりはあるのか?」

 暫しの沈黙のあと、義時が答える。

「……ございます」

「何だと?」

 実朝は怪訝そうな態度を見せたが、いささかわざとらしく思えた。

「するとお主は新田家からの申請を知っておりながら、私に伝えなかったのか?」

「い、いえ。 恥ずかしながら、失念しておりました……」

 本当だった。

 義時は、重兼からの書状の件を実朝に奏上するのを忘れていたのである。

 弁解の余地はなかった。

「なるほど。 そうであったか」

 実朝はこれまたわざとらしく頷いた。

「私はてっきり、知っておりながらわざと伝えなかったのかと思ったおったのだが……」

「滅相もございませぬ!」

 義時は慌てて首を振る。

「某はそのような、将軍を軽んじるような真似は断じていたしませぬ! 此の度は、某の失態にございます」

 義時は珍しく、実朝に対してひたすら平身低頭だった。

「まあ、良い」

 実朝は冷ややかに言った。

「もし真実ならば、岩松時兼は独断であのような愚行をなしたのであろう。 園田家の者たちも不服はあろうが、岩松時兼を幕府への出仕を止める事で納得してもらおうか」

「……承知いたしました」

 かなり不満気ではあるが、園田党はそれ以上は何も言わずに一礼して立ち去った。

 それを見送ってから、重兼も立ち上がった。

「将軍、ならびに執権殿にもご迷惑をおかけしました。 心よりお詫びいたします」

「良い。 早く退れ(すされ)

 そう言い捨てて、実朝は席を立った。

 実朝は、最後まで冷ややかなままだった。

「重兼」

 郎従達と退出しようとした重兼に、義時が声をかけた。

「此の度の件は、わしの落ち度であった。 すまぬ」

「お気になさりますな。 どうにか収まったのですから」

 一礼して、重兼は御所を出た。


 私室に戻った実朝は、ため息をついた。

 今回の件は、おそらく義時は本当に忘れていたのだろう。

 処罰するほどではない。

 しかし、自分が軽んじられているのを改めて実感させられた。

 これからも、様々な案件を執権が処理して自分は事後報告を受けるだけ。

 つくづく、将軍職についている事が虚しくなってきた。

 将軍を退きたい。

 そう思うが、自分には子供がいないので譲る相手がいない。

(まてよ?)

 その時、実朝は思い出した。

 死んだ兄、頼家の息子達がいた事を。

 現在、頼家の息子は三人生き残っており、いずれも仏門に入っている。

 彼等のうち、誰かを還俗させて後を継がせれば良いのだ。

 これならば将軍職が父、頼朝の系譜に受け継がれるのだから問題はあるまい。

 実朝は決断した。


 数日後、二代将軍頼家の三人の息子達(栄実、公暁、禅暁)が鎌倉に呼び戻される事が決定した。






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