論功行賞、始まる。 新田家の飛躍
戦が終わった鎌倉では、復旧作業が始まった事により以前の活気が戻りつつあった。
それとは別に、一部の人間達は、武士達は違った活気に満ちていた。
合戦に勝利した武士達にとって、最大の楽しみである論功行賞が始まるのだ。
北条義時邸で、大江広元や二階堂行光といった幕府の実務官僚が集まって論功行賞について審議を行なっていた。
義時邸の外は、恩賞にあずかる事を期待している武士達で大混雑だった。
その中に勿論重兼も混じっているが、他の武士達のように期待や喜びなどは全く表に出してはいなかった。
兄や郎従達を死なせてしまった罪悪感から解放されていなかったのだ。
それでも新田家の今後のために、貰えるものはもらっておく。
まだ正式に決定した訳ではないが、重兼が新田家の次期棟梁になるのだ。
新田家のみならず、一門を統率していくために権威を強めるためにも所領の拡大は有り難い。
傷が痛むので、他人にぶつかったりしないように注意して呼ばれるのを待つ。
やがて門が開き、北条家の家人が姿を見せた。
「甘粕重兼殿。 執権殿がお呼びです。 お入りいただきたい」
執権。
今後、鎌倉幕府を牛耳る北条一族のみが帯びる事を許される地位である。
史実では義時の父、時政を初代とする説もあるが、重兼がその呼称を耳にしたのは今が初めてだ。
やがて、その地位をめぐって北条一族内でも争いが起きるのだが、現時点では関係ない事だ。
「承知した」
重兼は、その家人に案内されて義時邸内に入った。
庭に面した桟敷に、北条義時が腰掛けていた。
既に武装は解いており、ほんの数日前まで戦いの渦中にいたとは思えないくらい穏やかな雰囲気を感じさせる。
しかし、その表情には余裕と自信に満ちていた。
幕府の文武、二つの分野の頂点に立った事によるものだろう。
「甘粕重兼。 参上いたしました」
「ご苦労。 これよりお主ら新田党の勲功に対する沙汰を伝える」
義時はそこで言葉を切って、身振りで腰を降ろすよう促した。
そして、重兼が左腕を気遣いながらゆっくりと腰を降ろすのを待つ。
重兼が腰を降ろすのを確認して、家人に合図する。
傍らに控えていた家人が、書状を広げる。
「甘粕重兼殿。 此度の逆徒、和田一族追討の勲功により、上野国、邑楽御厨、須永御厨、甘楽郡黒川郷、赤坂荘の白川郷、および安房国、朝夷郡朝比奈郷の地頭職に任ずる。 民を慰撫する事、怠りなきよう努めるべし。 建暦三年五月八日、政所別当、相模守平朝臣義時 」
読み終えると家人は重兼の前まで来て、恭しく書状を渡す。
政所下文である。
これによって、今述べられた土地が新田家の所領になった事が正式に幕府に認められたのだ。
「ありがたき幸せ。 義時様、片腕で受け取る無礼をどうかお許しいただきたく思います」
「かまわぬ」
許しを得て、右手で受け取る。
重兼は、義時に対する敬称を「様」に変えた。
これにより、義時を自分の上位に置いた事をさりげなく示し、媚を売ったのである。
いささか卑屈かも知れないが、これからの事を考えるとしておいた方が良いと思ったからだ。
そんな重兼の意図とは無関係に義時は言葉を続ける。
「あと、もう一つあるぞ」
家人がもう一通の書状を広げる。
「此度の合戦において、新田家当主新田政義殿討ち死ににより、新田家の家督ならびに新田一門惣領職を弟、甘粕重兼が継承する事を許す」
重兼の新田家当主継承を認める文書である。
これで、重兼が政義の跡を継いで新田家の当主になる事が正式に決定した。
再び書状が渡される。
「かさねがさね、ありがたき幸せにございます。 あと、もう一つお願いしたき事がございます」
「何じゃ、申してみよ」
「岩松時兼を赦免していただきたく思います。 いかに彼の者が浅慮な粗忽者であっても、和田一族が滅びた以上は何も出来ますまい。 何卒」
義時は意外な様子だった。
「良いのか? あやつは本家を無視して勝手に動いたのだぞ?」
「構いませぬ」
義時は顎に手をあてて思案していたが、心を決めたようだった。
「よかろう。 岩松時兼は赦免する」
「ありがとうございます」
「あと、何か望みはあるか? 出来る限りの事はしてやるぞ?」
「……ございませぬ」
「分かった。 下がって良いぞ」
「ははっ」
重兼はその場を離れた。
門を出ようとすると先程、書状を手渡してくれた家人が追いかけて来た。
「重兼殿。 我が主、義時様の伝言です。 貴殿を何らかの官職に推挙するとの仰せです」
「それはそれは……。 某が心から感謝していたとお伝え願いたい」
「心得ました」
家人は戻って行った。
そのうしろ姿を見送りながら、重兼は少しだけ心が明るくなるのを感じていた。
所領が増えただけでなく、官職を与えられるのだ。
もう、新田家当主は無位無官ではなくなる。
死んだ政義も喜んでくれるだろう。
そこまで考えた途端、心が暗くなった。
政義が生きてこの栄誉を受けていたら。
そう思ったのだ。
しかし、死んだ人間は帰ってこない。
せめてもの償いとして重兼に出来るのは、新田家をさらに繁栄させる事。
それが無理なら、新田家を現状のまま確実に存続させる事。
合戦に敗れて御家滅亡、もしくは失脚などは絶対に避ける。
(やり遂げてみせる)
重兼は誓った。
建暦三年五月八日。
甘粕重兼は新田惣領職を継承し、新田重兼を名乗る。
新田家の五代目当主である。
彼の下で新田家は、激動の鎌倉時代を生き抜く事になる。
どのような未来が待っているのか、それは重兼にもまだ分からなかった。




