第144話 1563年(永禄六年)1月〜2月 肥前・長崎
◆◆◆◆鍋島直茂◆◆◆◆
長崎の湊が見えてきたのは、昼を過ぎた頃だった。
大村から来た道は山がちだ。尾根を越えるたびに海が見え隠れし、下りきったところで突然、町が広がる。直茂は馬を止めた。
五年前に開港したと聞いていた。
それがこれほどになるとは。
桟橋が幾本も伸び、南蛮船と唐の商船が並んで停まっている。岸辺に荷が積まれ、倭人と唐人が入り交じって働いている。市の声が坂の上まで届いてくる。
(尼子はここを五年で作った)
直茂は馬を進めた。坂道を下りながら、町の作りを見た。道が広い。碁盤目ではないが、人と荷が交差できる幅がある。荷を積んだ牛が悠然と歩いている脇を、唐人の商人が早足で追い抜く。誰もぶつからない。
尼子の陣屋は湊から少し上がったところにあった。供の者を門の外に残し、一人で名乗った。
案内されるまでの間、直茂は廊下から湊を見ていた。
南蛮の帆船の帆が、冬の陽を受けて白く光っている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「少弐家家臣、鍋島直茂と申します。伯耆守殿にお目通り願いたい」
案内された部屋は広くなかった。書状が積まれ、算盤が二つ置いてある。港の帳面仕事をしている部屋だ。
尼子倫久は机の前に座っていた。若い。直茂より随分下に見える。十七か十八か。日に焼けた顔で、目が大きい。
「鍋島殿か。大村に行ったと聞いていた」
直茂は頷いた。
「大村純忠殿にお会いしてきました」
「どうだった」
「……書状が来たら返事をしよう、と」
倫久は少し間を置いた。
「それは動く、ということだ」
「そう受け取りました」
倫久は机の上の算盤をわずかに動かした。何かを考えている。
「書状というのは」
「長崎に教会を建てることを、毛利・尼子が正式に認める書状です。それを取り付けてくれれば返事をすると」
「なるほど」
倫久は立ち上がった。窓のほうへ歩き、湊を眺めた。
「鍋島殿は、長崎に来たことがありますか」
「初めてです」
「見たとおりだ。唐人も南蛮人も倭人も、同じ桟橋で荷を降ろしている。神社の隣に南蛮の礼拝堂がある。誰も追い出していない」
直茂は黙って聞いていた。
「儂が追い出す理由がないと思っているから、追い出さない。それだけだ。純忠殿がそれを知りたかったのなら、五年間で答えは出ている」
倫久は振り返った。
「尼子の書状なら、儂が出す」
直茂は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「毛利の書状は安芸守殿から取れ。それは儂の管轄ではない。安芸守殿に書状を送るか、直接赴くか、どちらかだ」
「承知いたしました」
倫久は少し顔を和らげた。
「鍋島殿、一つ聞いていいか」
「はい」
「なぜ鍋島殿がここまで一人で動く。少弐の家臣として西肥前を纏めることが殿のためになるのは分かる。だが書状も持たず一人でとは……普通はせぬことだ」
直茂は少し考えた。
「佐賀の平野が豊かになれば、民が生きやすくなります。それだけです」
倫久はじっと直茂を見た。しばらくそのまま黙っていた。
「……大村でも同じことを言ったか」
「はい」
「純忠殿はなんと」
「正直な男だ、と」
倫久は小さく笑った。
「そうだな。お主は正直だ」
それだけ言って、倫久は机に戻った。
◆◆◆◆尼子倫久◆◆◆◆
直茂が帰った後、倫久は一人で湊を眺めていた。
夕刻が近い。南蛮船の帆が橙に染まり始めている。
(肥前が纏まれば民が生きやすくなる。それだけです)
あの男の目に嘘はなかった。直茂は倫久より年上だ。それなりの場数を踏んできた顔をしている。大村でも同じことを言ったという。純忠殿は動く、と直茂は言った。純忠殿が動けば、有馬も松浦も続くだろう。西肥前が少弐のもとに収まれば、長崎の背後が固まる。
悪い話ではない。いや、かなり良い話だ。
倫久は机に向かい、紙を広げた。
筆を取る前に、もう一度湊を見た。
あの礼拝堂は、今も開いている。兄上が長崎を押さえた五年前から、ずっとそうだ。誰も命じなかった。ただ、誰も閉めなかった。
(神が多すぎて、争う気にもなれないのかもしれない)
倫久は少し笑って、筆を下ろした。
書状の書き出しを考えた。宛先は大村純忠殿。
内容はこうだ——長崎における南蛮の宗門は今後も認める。教会堂の建設についても異存はない。これは尼子の意向として確約する。毛利安芸守殿にも同旨の書状を求められたい。
一字一字、丁寧に書いた。
書き終えて、封をした。
次は安芸に送る書状だ。毛利安芸守殿宛。鍋島直茂という少弐の家臣が参ります、という一報だ。詳しい話は直茂自身がするだろう。倫久の役目はその道を開けることだ。
こちらは短い。三行で書いた。
二通の書状を並べた。
窓の外で、湊の灯りが点き始めていた。南蛮船が一隻、夜の支度をしている。
兄上はこういう町を作りたかったのだろうと、倫久は思う。どこの神も、どこの人も、追い払わない。ただ同じ土の上に在る。長崎はそういう場所だ。
(ならば俺が守るしかない)
書状を使者に渡した。一通は大村へ、一通は安芸へ。
使者が出ていった後、倫久は本城常光を呼んだ。
「常光、純忠殿が動くかもしれない」
「……そうですか」
「肥前が纏まれば、長崎も変わる。今よりずっと商いがやりやすくなる」
本城は静かに頷いた。
「あとは安芸守殿次第だ」
倫久は湊の灯りを見ていた。
西肥前の三者が少弐のもとに収まる。そのための書状が今日、二通飛んだ。あとは安芸次第だ。毛利隆元がどう動くか。
夜風が窓を揺らした。
長崎の夜が始まっていた。




