第143話 1563年(永禄六年)1月 肥前
◆◆◆◆少弐冬尚◆◆◆◆
村中城の評定の間に、四人が座っていた。
少弐冬尚、江上武種、神代勝利、鍋島直茂。
冬の陽が障子を白く照らしている。佐賀の平野はようやく落ち着いてきた。丹坂峠の戦から二年が過ぎた。東肥前の国人は纏まり、田畑も戻りつつある。だが西がまだ残っている。大村、有馬、松浦。三者は敗戦以来、大友とも距離を置いているが、少弐にも頭を下げていない。宙に浮いたままだ。
「申し上げたいことがあります」
鍋島直茂が口を開いた。
「西肥前のことです」
冬尚は直茂を見た。
「このままでは大友が再び手を伸ばしてくる。あるいは三者がまた結んで動く。その前に、こちらから手を打つべきかと思います」
「戦か」
「いいえ。調略です」
江上武種が眉を動かした。神代勝利は腕を組んだまま黙っている。
「儂が大村に行きます」
直茂は続けた。
「書状は持たずに、某一人で」
江上が問うた。
「……できるか。あの純忠が簡単に動くとは思えんが」
「やってみなければ分かりませぬ。ただ——手ぶらでは行きません」
「何を持っていくつもりじゃ」
直茂は指を折った。
「一つ。長崎から大村を経て博多に至る街道の整備。三者の領地を通る道を整え、商いの流れを作ります。二つ。その街道を通じた交易の利を、三者に保証する。三つ——」
直茂は一呼吸置いた。
「尼子は長崎でキリシタンを排除しておりませぬ。五年経った今もそうです。大村殿が臣従すれば、長崎での布教を毛利・尼子が正式に保証する。教会の建設も認める。その約定を取り付けてまいります」
沈黙が落ちた。
江上が口を開いた。
「最後の一つは……毛利と尼子の了承が要るぞ」
「取り付けます。某が」
「書状なしで行くということは、失敗してもお主一人の責ということか」
「殿のお名前を傷つけたくはありませぬので」
江上は直茂をしばらく見た。それから冬尚を向いた。
「……某は、できると思います。鍋島ならば」
神代勝利が静かに頷いた。
冬尚は少し間を置いた。直茂の顔を見た。焦りのない目だ。やると決めた人間の目だ。
「……頼む」
直茂が頭を下げた。
「ただし」
冬尚は続けた。
「無理はするな。帰ってくることが先じゃ」
「はい」
「成功したら、褒美をとらす」
直茂が小さく笑った。冬尚も笑いはしなかったが、目の端が少し動いた。
◆◆◆◆鍋島直茂◆◆◆◆
大村館に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。
供を五人連れてきたが、門の前で待たせた。一人で中に入る。
案内された間は小さかった。書物が積まれ、南蛮の十字架が壁に掛かっている。大村純忠はすでに座っていた。
「少弐家家臣、鍋島直茂と申します」
(少弐の家臣か。しかし冬尚と儂は、まだ決着がついたわけではない)
「……丹坂峠で指揮を執っておりましたな」
純忠の声は穏やかだった。敵意があるというより、疲れている。
「はい」
「あの戦で、お主が追撃を止めなければ儂の首はなかった」
直茂は答えなかった。純忠は続けた。
「なぜ止めた」
「戸次鑑連殿の殿軍が恐ろしかったからです」
純忠が直茂をじっと見た。それから小さく息を吐いた。
「……正直な方じゃ。まあ、座るがよい」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
直茂は三つの条件を話した。街道の話、交易の利の話、そしてキリシタンの話。
純忠は黙って聞いていた。
街道の話では眉が動いた。長崎から大村を経て博多へ——その道が整えば、大村は西肥前の要になる。商いが通る場所に人が集まり、銭が動く。純忠はそれを分かっている顔をした。
交易の利の話では、少し前のめりになった。
キリシタンの話では——動かなかった。動かなかったが、目が変わった。
「……尼子は、本当にキリシタンを排除せんのか」
「長崎を御覧になれば分かります。今も教会堂は開いております。尼子の支配になって五年、宣教師が追われたことはありませぬ」
「……そうじゃな。五年、誰も追われておらん」
純忠は窓の外を見た。湊に南蛮船が見える。
「儂はあの港を取り戻したくて戦った。だが本当は——港を使い神の国を作りたかった。港はそのための手段に過ぎんかった」
直茂は聞いていた。
「尼子がキリシタンを排除しないのなら……儂が戦う理由が一つ消える」
「そうです」
「お主はそれを分かって来たのか」
「はい」
純忠はしばらく黙っていた。
「長崎に教会を建てる。それを毛利と尼子が正式に認める。書状で」
「取り付けてまいります」
「お主一人でか」
「某一人で」
純忠は直茂を見た。若い。自分より十は下だろう。しかしこの男の目には焦りがない。ただ静かに、やるべきことを見ている。
「……お主は何のためにそこまで動く。少弐の家臣として」
直茂は少し考えた。
「肥前が纏まれば、佐賀の平野が豊かになります。平野が豊かになれば、民が生きやすくなる。それだけです」
「……それだけか」
「それだけです」
純忠は小さく笑った。
「正直な男じゃ」
「大村殿も、そうでしょう」
純忠は答えなかった。ただ窓の外を見た。
夕陽が沈んでいく。南蛮船の帆が赤く染まる。
「……書状が来たら、返事をしよう」
「承知いたしました」
直茂は立ち上がり、頭を下げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
館を出ると、夕風が吹いていた。
供の者が馬を引いて待っている。直茂は馬に乗らず、しばらく歩いた。
まだ答えは出ていない。だが手応えはある。純忠は動く。書状さえ取り付ければ。
次は長崎だ。倫久殿に会わなければならない。それから安芸に書状を送る。
やることは多い。だが順番に動けばいい。
佐賀の平野に向かう道を、一行はゆっくりと進んだ。冬の風が枯れ草を揺らしている。遠くに村中城の輪郭が見え始めた。
あの城に戻り、また次の一手を打つ。それだけだ。




