第四話
リリーへと自分の正体をバラした私は、堂々と彼女と一緒に執事服へと着替える事が出来た。今までコソコソとしていたが、これだけでもだいぶ肩の力が抜けた気がする。
本日も新しい一日が始まる。私は革靴の硬い感触を確かめながら、屋敷の廊下を歩く。その床を叩く革靴の音を体に沁み込ませながら、男としてのアリアを構成していく。さあ、今日も頑張ろう……と思った時
「……アリアさん、少々よろしいですか?」
ポニーテール執事、クレイン様から朝からお呼びがかかった。なんだか神妙な顔をしている。一体どうしたのだろうか。
「こちらへ……」
……まさか。
クレイン様に正体を勘づかれた? それを問いただそうとしている?
もしそうなら不味い。まだお嬢様の機嫌を直してないのに。
クレイン様にお屋敷の使っていない部屋へと入れられ、厳重に鍵までかけられる。
「……実は、ご相談したい事がありまして」
「相談?」
私が実は女だと気付いたわけでは無さそうだ。
いや、しかし安心はできない。何か、かまをかけて私に誘導尋問させようとしているかもしれない。
「アリアさんは……その、お嬢様と仲のいい女性をご存じですか? 一緒に温泉に入るくらいの……」
ドキっと私の心臓が高鳴る。やはり何か気づいたのか?
「仲のいい……女性ですか?」
「ええ。実は昨日……リリーと親しそうに喋っている、その女性を遠目から見まして……」
こ、このすけべめ! 私とリリー姉さまを遠目から観察してたのか!
「なんといいますか……その、気になるのです」
「……気になる……とは?」
「……なんといいますか……何処かで見た事があるような無いような……。しかし全然思い出せなくて……」
今目の前に居るんだがな。
しかし気になるというのは……まさかとは思うが……
「クレイン様、もしやその女性に恋心とか……」
「い、いえ、そのような事は……。お嬢様の事もありますし……。貴方なら気付いているでしょう、お嬢様は……私に御好意を向けられています。自意識過剰に聞こえるかもしれませんが」
やはり気付いてたか。まあ、あれだけ分かりやすければ当然だ。
というか、クレイン様はどう思っているのだろうか。
「クレイン様は……お嬢様の事をどう思っているのですか? もし、お嬢様から告白されたら……」
「……私とお嬢様は主従の関係です。恋などと……それに、お嬢様は今度お見合いをされるのですよ。私への想いなど……邪魔でしかない筈です」
邪魔でしかない、か。
ここにリリー姉さまが居たら怒りだしそうな言葉の選び方だ。
「クレイン様、私は……お嬢様に幸せになってほしいです」
「それは私も当然……」
「どうするのが一番いいんでしょうか。お見合い相手とめぐり合わせるのと、クレイン様と……その、一緒になるのと……」
「後者はあり得ません。先程も言いましたが、私とお嬢様は主従の関係なのです。私はお嬢様がまだ小さい時……三歳の頃から執事をしています。私にとって……お嬢様は自分の娘のようにすら……思えてしまうのです。恋愛対象にはとても……。そんな私がお嬢様と一緒になったとして、貴方は納得できますか? 私がいくらお嬢様に好意を向けられても、私はそれを返す事は出来ないのです。私は確かにお嬢様に愛に近しい者を持って接してきました。ですがその愛はお嬢様の抱いている愛とは……別物なのです」
確かに……同情するかのように一緒になったとしても、お嬢様なら気付くだろう。もしかしたら既に気付いているかもしれない。クレイン様の抱いている愛は、そもそも恋愛ではないのだと。
そこで昨日のリリーの言葉が思い出される。貴方が大事だ、守りたい。その一言を素直に言う事が出来れば……。
「クレイン様、ちなみにですが……温泉で出会った女性に……その、何か口走りましたか?」
ビクっとクレイン様が震える。まさかその当の本人が目の前にいるとは知らずに。
「その……つい……美しいと……」
「……クレイン様、スケベですね」
「んなっ!」
クレイン様は見るからに焦り出した。
ソワソワと、別に汗もかいてないのに額をハンカチで拭う。
「スケベとは……聞き捨てなりませんね」
「だって、その人の裸見ながらそんな事口走ったんでしょう? 紛れもなくスケベです!」
「わ、私はその……あまりに美しい体をしていらしたから! 理想的と言ってもいいです! 無駄のない筋肉、無駄のない機能性を有した体、にも拘らず、女性らしい素敵な……」
ぐああああぁぁぁ! 背筋が! 背筋がムズッムズする!
「まあ、アリアのようなお子様には分からないかもしれませんが」
「んなっ! ぼ、僕だってもう二十歳超えてるんですよ! なのにお子様とはどういう事ですか!」
「私から見れば二十歳なんて子供も同然ですよ。そういえば……彼女も同じくらいの歳頃だったような……」
ギクっと、つい体が固まってしまう。その硬直をクレイン様は見逃さない。
「アリア……貴方、あの方を知っているのですか?」
「へ? いや、知ってるというか……。っていうか、クレイン様、お嬢様の前で、二十歳はまだ子供なんて言わないでくださいね。お嬢様が傷つきます!」
「言いませんよ、そんな事。というか今は貴方の方です。彼女は一体……何者なんですか? もしや軍人? それならあの筋肉は納得できる」
筋肉筋肉って……確かに私は鍛えているが、そこまでムッキムキってわけでは……。
「知りません、お嬢様の交友関係はクレイン様の方が詳しいでしょうに」
「……まさか、そういえば貴方によく似ていたような……」
ギクギクッ! 今更! 今更そこに気が付くのか! タイミング最悪だ! 気づくならもっと早く気付いて欲しかった!
「まさか、そうか、そう言う事だったのですね。全て理解しました、アリアさん」
「っく……ま、まあ、バレてしまっては仕方ありませんね……そうです、実は……」
「貴方には双子の妹が居たのですね! 昼は貴方が、夜は妹さんがお嬢様を警護するという、見事なコンビネーションを!」
…………ばっ……
バァァァァァカ! ほんとにバカか! よくそんな発想が出て来るな?! いや、しかしこれは都合が良すぎる気もしないでもないが、もう全力で乗っかろう!
「さ、流石はクレイン様……良く分かりましたね……」
「やはりですか。一瞬、貴方は本当は女なのではと思いましたが、それはいささか無理があるというか……」
うーん、惜しい! ものすごく惜しかった! 私には身寄りが居ないという話をクレイン様に話していたら……そっちの結論に至っていたのか。というか双子説の方が中々無いと思うが。
「はっ! そろそろお嬢様を起こさないと……起床の時間が迫っています。では私はこれで……」
「アリアさん」
急いで出て行こうとした私は、クレイン様に呼び止められる。クレイン様は深々と頭を下げていた。
「ありがとうございます、お嬢様をこれからもよろしくお願い致します」
「い、言われるまでもありませんっ! で、では……」
そのまま部屋を出た時、小さな足音が聞こえた。
まるで逃げるような、聞き覚えのありすぎる足音。
まさか……
◇
お嬢様は起きていた。というか……泣いていた。
「お、おじょうさま? おはようございます、今日もいい天気で……」
「……あんた、双子の妹がいたのね……」
やはり……立ち聞きしていたのか。さっき、クレイン様と私の会話を。
「お嬢様……聞いていたんですか?」
「途中からね……。まあ、分かってたわよ、クレインが私の事なんて……娘か妹くらいにしか見てないって事くらい」
お嬢様はベッドに腰かけながら、枕を抱きしめつつ大粒の涙を流す。こんな時に執事として私はどうするべきだろうか。私がお嬢様なら、余計な慰めは逆効果だ。
「お嬢様……その……」
「もういい……お腹痛いから、今日は一人にして……」
そっとしておいた方が良さそうだ。こんな時に何も出来ない私は……やはり執事など向いていないのだろう。クレイン様なら、こんな時……
「失礼します」
……クレイン様? 突然、これでもかというくらい……いきなりクレイン様がお嬢様の部屋に入ってきた。そんな、ノックも無しに! というか今は絶対ダメだ! 鈍感執事!
「クレイン様! 今は……」
「お嬢様、ちゃんと……言葉に出しにきました。これだけは直接伝えた方が良いと思いましたので」
クレイン様はお嬢様の目を真正面から見つめながら、膝を付き目線を合わせるように。
お嬢様はベッドに腰かけつつ、枕で顔を半分隠しながら……泣きべそをかきながら。
「何よ……もう出てって……」
「……お嬢様、私は十七年前、当時七歳だった妹を亡くしました。戦争がもう終わる、そんな時に妹は瓦礫の下敷きになりました」
一体、何の話をするつもりだ。そんな話を聞かせてどうする気だ。
お嬢様の心をこれ以上抉るつもりか?
……いや待て、クレイン様がそんな事をする筈が無い。
私はそっと、部屋の鍵をかける。これ以上邪魔が入らないように。
「レイバール総督に拾って頂き、お嬢様の世話係としてお仕えする事になりました。そして偶然、その時……お嬢様は七歳でした。私にとっては……亡くした妹が生き返った、そんな風に錯覚するほど、お嬢様が可愛くて……」
クレイン様の言葉に、お嬢様は黙って聞き続ける。鼻を啜りながら。
「妹を亡くした私は、自殺しようとしていました。道端に落ちていたライフルを取って、口の中に入れて……引き金を引く瞬間、レイバール総督に止められたのです。それからあの方は何も言わず、私は一方的にこの屋敷に放り込まれました」
大佐らしい強引な方法だ。あの人は自分が欲しいと思った人材はどんな手をも使って手に入れる。クレイン様はそのお眼鏡に引っかかってしまった。
「それから何度も、私は自分の命を絶とうとしました」
クレイン様は執事服の腕の袖を捲る。そこには夥しい傷跡が。ナイフで自決を図ろうとしていたらしい。
「そんな私を救ってくれたのがお嬢様だったのです。もうこのような真似はすまいと……お嬢様の成長を見守ろうと、だんだんと思い始めてきました」
「…………」
「お嬢様……お嬢様のお気持ちは大変嬉しく思います。しかし……私はお嬢様に返す愛は御座いません。お嬢様がどれだけ私を愛してくださっても、私の愛は、お嬢様を満たせる物ではありません」
リリーの言った通りだ。こんな事、わざわざ言わなくても済む話。お嬢様はもう理解してる。
でも……言葉にするからこそ、意味がある事もある。
お嬢様はクレイン様の言葉を聞き、枕に完全に顔を埋めてしまう。そして……
「……アリアは女の子よ」
なんでか知らんけど私の性別バラしたー!
いや、まあ……お嬢様が失恋した今、もう別に私の性別なんてどうでもいいんだけども。
「……フフ、し、知っていましたとも……」
嘘つけ! 滅茶苦茶声が震えてる!
「……そう、流石ね、クレイン……私達の悪戯なんて……とうに見抜いてたのね」
「え、えぇ……勿論ですよ」
チラッチラとこっちを見るな、鈍感執事。
「……クレイン……クレインのばかー!」
あぁ! お嬢様が枕でクレイン様を殴りにかかった! しかし勿論ダメージなんて無い!
「そんなに……私の成長が楽しみなら……私が死ぬまでっ、絶対に死ぬの許さない! 私が結婚して、子供産んで、その子供がまた結婚して……私がお婆ちゃんになっても、クレインは私を見続けなさい! でないと絶対許さない!」
お嬢様がやけくそに!
お嬢様がお婆ちゃんになるころには……クレイン様はたぶん、よぼよぼのお爺ちゃん!
「……畏まりました。私はいつまでも、お嬢様の成長を見届けさせて頂きます」
「……ふんす」
今、ふんすって言った? もうこれでもかと言うくらい、わざとらしく鼻息を荒げるようにお嬢様はクレイン様の前で仁王立ち。
自分が死ぬまで死ぬのは許さない。もうこれ以上ないくらいのワガママっぷり。大佐にソックリだ。間違いなく大佐の娘だ。
だからか、なんだか……笑いが止まらなくなってしまった、こんな場面で。
「ア、アリアぁぁぁ! 何がおかしいのよ! あんた脱ぎなさい! クレインに女の子だったこと全部バラしなさい!」
「い、いやぁ! お嬢様のエッチ!」
「私? 私が? いいから脱げオラ!」
今日、お嬢様は失恋を体験した。長年思い続けていた相手との。
そして後日、お嬢様は総督へと……お見合いの話を承諾する旨を伝えた。
お嬢様のお見合いが始まる。
私とクレイン様は何があってもお嬢様を守ると誓いあった。
お見合い相手がお嬢様に相応しく無かったら……私が担いで逃げ出します。