第三話
久しぶりにお嬢様から声を掛けて頂いたと思えば、その内容は予想だにしない物だった。
『リリーが貴方に惚れてるから、深手にならない内にはっきりバラしてきて』
確かにそれは由々しき問題。実は私は女なのだと、はっきりと告げる必要がある。ちなみにお嬢様は、本日はお屋敷のお風呂で済ませていた。もう私とは入ってくれないのだろうか、寂しい。
今日はリリーの護衛をするように、寄り添いながら温泉へ。
リリーはなんというか、男性からの注目度が凄い。体の一部が私やお嬢様とは一味違う。私もさっきから視線を感じまくっている。
「リリー、この辺りで入りましょうか」
「は、はぃ……」
出来るだけ岩陰に隠れるような場所に。
この温泉自体、かなり広い。下手をすればお屋敷が丸々入ってしまう程に。しかしこのくらいの広さでなければ、この街の人間の憩いの場として機能しないだろう。
ゆっくりと温泉に浸かりながら、私はリリーの目の前を陣取り、その手を取る。
そしてそのまま自分の胸にあてがうように。
「リリー、騙していて申し訳ありません。私は本当は……アリアは男ではなく、女なのです。本当にごめんなさい」
「……はぃぃぃぃ」
相手の手を胸にあてがいながら、話をする。
この作法はこの土地に根ずく女神信仰の習わしというか、教えの一つだ。貴方にこれから話すのは、紛れも無い真実だと誓う、という。
「その……こう言ってはなんですが……私に好意を抱いてくださっていたようで……」
「うぅ、お嬢様にバレバレだったんですね……でもこんな、こんな立派なお胸がついてたなんて……」
「あの、揉まないでください……」
「はっ! 失礼しました!」
バっと手を離すリリー。そのまま肩まで浸かり、温泉が気持ちいのか、それとも落胆しているのか、どちらか分からない溜息を深く吐く。
「……言われてみれば、アリアさん、ものすごく気が回るし優しいし、肌とか綺麗だし……だ、男性にしては完璧だと思ったんです!」
「男性が聞いたら傷つきますよ。男にだって優しい人はいるでしょう?」
「それはそうですけど……少なくとも、私の周りにそんな人は今まで居ませんでした……」
口を温泉につけてブクブクするリリー。子供っぽく拗ねる様子は、どこかお嬢様と似ている。あのリスのように大きく膨らませた頬を、つついてみたい衝動にどれだけ私が抗っているか。
「……でも、なんで執事なんてしてるんですか? アリアさん。普通に私と一緒にお菓子作りしましょうよ」
「護衛ですからね、スカートでは色々と不安がありまして……。実は、一度も履いた事ないんですよ」
「そうなんですか!? じゃ、じゃあ、今度私といっしょにお洋服を買いに行きましょう!」
なんか凄いハイテンションになるリリー、すっかり元気が戻っている。
「……そうですね、まあ、でも今はお嬢様のご機嫌を直さないと……とても……」
「……? お嬢様と喧嘩でもしたんですか? そんなの、仲直りなんて簡単ですよ」
随分……本当に簡単に言ってくれる。
いやしかし、ここは女性として先輩のリリーに御教授願うのもいいかもしれない。
「どうすれば……いいと思いますか? リリー」
「素直に言えばいいんです。嘘は駄目ですよ、女は嘘に敏感なんですから。たとえそれが真実でも、どこかに少しでも嘘っぽいのが混ざってたら一生信頼されません。大事なのは……お嬢様の事が大事だって伝える事です」
思わず聞き入ってしまった。今まで、こんな純粋に、当たり前の事を当たり前のように言える人間が居ただろうか。リリーは本心から言っている。貴方の事が大事だ、だから守らせてほしい。それは当然の事だから、口に出すまでもないと思っていた。
でも、今は……何故それを直接、お嬢様に言わなかったのか、不思議なくらいとすら思えてしまう。
はっとした私の表情を見て、リリーは微笑んでくれた。普段はドジっ子メイドの名を欲しいままにしているのに、今はもう母親のような……凄まじい包容力がある。
「……リリー、私を妹にしてくれますか?」
「ふふ、いいですよ。じゃあ……アリアちゃんって呼びますね」
「じゃあ私もリリー姉さんと。でも男装してる時は今まで通りにいきますね」
「あ、そういえば……クレインさんは知ってるんですか?」
う……どう説明したものか。
リリーには喋っても大丈夫か? いやしかし……お嬢様のプライベートな、敏感な部分をそうやすやすと話してしまうわけには……。
「どうしたの? アリアちゃん」
「はぅ……それは反則です、お姉さま……」
それから私は「実は……」から続いて洗いざらい話してしまった。
リリーは最初は目をキラキラさせていたが、次第に……もう夜空の星の如く、目をキラッキラ! にさせている。
「ぱぁぁぁぁ! お嬢様……なんて可愛らしい!」
「り、リリー、声が大きいです……」
「あぁ、ごめんなさい、私……こういう話、大好きなんです……」
だろうな。もう目がキラキラしすぎて夜道でも困らないくらいだ。
「それにしても……お嬢様がクレインさんを……それでクレインさんは、女の子のアリアちゃんを……なんて三角関係……! もう、お姉ちゃん、眩しすぎて灰になってしまいますっ!」
「ドラキュラですか、お姉さま。まあ、それで……どうしたものかと……」
「うーん……でも大丈夫じゃないですかね……」
温泉の中で足を延ばし、夜空を仰ぐリリー。私もそのリリーの視線を追うように、広大な夜空を見上げる。そこには数えきれない程の星の数々。もう悩みなど一瞬で掻き消されてしまう程の光景。
「私、こう見えて……昔は恋愛小説を書きたくて、小説家を目指してたんですよ」
「それは……お姉さまらしいですね」
「でも諦めちゃいました。とても綺麗な、本当に綺麗な景色を見たんです。広大で雄大で、ものすごく美しい山脈の光景を……」
それからリリーは語ってくれた。
何故小説家を諦めてしまったのかを。
「私の父は軍人でした。十七年前、まだ私が九歳の時に父は戦争に……。そのまま、帰って来ませんでした」
十七年前のアミストラとの戦争。私もそこに立つはずだった場所。幸運にも、私の訓練が完了する前に戦争は終わった。夥しい傷跡を残して。
「それで十六の時、母と一緒にお墓参りに行ったんです。軍の人に、ダルア山脈に父の墓があると聞いたので」
「ダルア山脈……ちょうどアミストラとの国境付近ですね」
尤も、その山脈を通るより海路で行った方がアミストラには近い。かなり険しい山脈。しかし戦争時には、そこを通ってアミストラへと攻めこむ部隊が存在した。その名残か、今もその国境付近には国境警備隊が配備されている。もしや、リリーの父上はその厳しい山脈を越えてアミストラへと攻め込む部隊に居たのか。確かその部隊は……
「リリーの父上は……戦争を終わらせた人間だったんですね」
「そんな凄い人じゃないですよ。そんな……人じゃないんです。虫も殺せないんじゃないかってくらい優しい父でした。だから戦争に行くって聞いたとき、父は殺される、そう思ったんです。そしたら……本当に帰ってこなくて……」
私はリリーの肩を抱くように寄り添う。リリーの父は紛れもなく私の命の恩人だ。彼の所属した部隊が敵の主力を崩した事で、アミストラは撤退、そのまま終戦となったのだ。彼らが居なければ、もしかしたら私はあの戦場で命を落としていたかもしれない。
「リリーの父上は優しくて勇敢だったのですね。先程、優しい男なんて居ないなんて言ってましたが……ちゃんといるじゃないですか」
「父は……優しすぎたんです。戦争に行けるような人じゃなかったのに……。まあ、それでダルア山脈へとお墓参りに行った際……母と一緒に山に建てられた軍の施設で、あの光景を見たんです」
それは施設の屋上から見た風景だったという。軍人に案内され、父の遺体はこの山脈のどこかにある、そう言われたらしい。既に捜索は打ち切られた後だった。墓というのも、慰霊碑が建てられていただけだった。
しかしリリーと、その母は悲しいとは思わなかったそうだ。その美しい山々のどこかに父が眠っている。それはとても……
「不謹慎ですけど……私、羨ましいって思ってしまったんです。こんな綺麗な所で父は眠れて……戦争で死んでしまったけど、父はきっと安らかに眠ってるって……思えたんです」
「確かに、あの辺りの山々は険しい代わりに雄大な自然が広がっていますからね。私も今度行ったら……父上に挨拶してきます」
「是非……。それでその時、こう思ったんです。壮大な風景を眺める至福……表現者の無力を思い知らされました。その時の気持ちを言葉にしようと思っても……出来ないんです。父が眠っている美しいその山々を、どう言葉に言い表せればいいのかと……」
言葉に出来ない程の、表現者の無力すら感じさせる風景。小説家を志していたリリーだからこそ言える事だろう。私が見ても、綺麗としか言えない。感受性の高い人間程、自分の感情を他人に伝える事は困難を極める。嬉しかった、綺麗だった、悲しかった、そんな言葉で妥協出来ないんだろう。
「だから私は小説家を諦めて、お金を貯める事にしたんです。お金を貯めて……いつかあの山に家を建てようって」
「素敵だと思います。もし建てたら私も遊びに行っていいですか?」
「勿論。あ、でもあの辺りは軍が管轄してるから……家建てれるのかな……」
そこは問題ない。
何故なら……
「大佐に今の話をしたら……きっと力になってくれますよ。あの方なら容赦なくごり押しすると思います」
「あはは、じゃあ今度……おねだりしてみますね。まあ、まだお金は全然溜まってないんですけど」
それから私とリリ―は他愛もない話に花を咲かせた。
好きなお菓子、洋服の趣味、男性の好みのタイプ……などなど。
そういえば……女の子とこんな話をするのは初めてかもしれない。
守りたい。リリーも、その周りの人間も、彼女の夢も。
今まで大した目的も無く軍人をやっていたが……なんだか私の心に火が灯った。
私は守りたい者のために、これから戦い続ける。
何があろうと彼女達を守ろう。そう誓ったのだ。




