9
「クラゲが好きなんですか?」
零がクラゲの水槽を眺めながら静に尋ねた。
静は少し考えるようにクラゲを見つめ、それから首を横に振った。
「好きではないです」
「え?」
予想外の言葉に零がとまどう。
静は水槽の中を漂うクラゲを眺めながら、淡々と続けた。
「ただ、クラゲには感情があるのか、それが気になって眺めていました」
「感情……ですか?」
「はい」
静が零のほうへ身体を向ける。
青い水槽の光が二人の顔を淡く照らした。
「嬉しいとか、悲しいとか。そういうものをクラゲは感じているのかと思って」
零はしばらく静の顔を見つめた。
相変わらず、考えていることがよく分からない人だ。
けれど、そんなところが妙に静らしいと零は思う。
「クラゲに感情があるかどうか…私は考えたこともないです」
零が小さく笑う。
すると静は、何か思いついたように手を差し出した。
「これから、一緒に見てまわりませんか?」
「え?」
突然の誘いに、零は目を瞬かせる。
静の差し出した手を見つめ、それから静の顔を見る。
「あの…、てっ…手をつなぐんですか?」
「嫌ですか?」
「…嫌じゃ…ないです…」
零は少し戸惑いながら、静の手を取った。
その瞬間__。
静が零の手をつなぎなおし、恋人繋ぎする。
「ちょっとまっ…!」
零が慌てて手を離す。
顔が真っ赤になっている。
「なんですか?」
静は不思議そうに首を傾げた。
「手をっ……つなぐにしても、そのつなぎ方は……!」
「普通につないだだけですが」
「普通じゃありません!」
零は赤くなった顔を隠すように視線を逸らした。
静はしばらく零を見つめていたが、やがて小さく頷く。
「……わかりました」
「本当に分かってます?」
「たぶん」
「たぶんって……」
零は呆れながらも、思わず笑ってしまった。
二人の間に、穏やかな空気が戻ってくる。
その向こうでは、クラゲたちが何事もなかったかのように、静かに水槽の中を漂っていた。
♢
館内をしばらく歩いた二人は、やがて巨大な水槽の前へたどり着く。
天井近くまで届くほど大きな水槽の中を、色とりどりの魚やエイがゆっくりと泳いでいる。青い照明が周囲を包み込み、水槽の中で揺れる光が床にまで淡く反射していた。
その水槽の正面には、二人掛けのハート型のソファーが置かれていた。
どう見てもカップルシートだと零は思う。
静は何の迷いもなく、そのソファーへ腰を下ろした。
「……」
零は赤面し、静が座っているソファーから少し離れた場所に立ったままうつむく。
しばらくして、ふと、周囲の視線に気づいた。
「?」
何人かの来館者が、静のほうを見ている。
その中には、大学生くらいに見える女性二人組もいた。
「ねえ、あの人……」
「すごくかっこいいよね」
二人は小声で話しながら、ちらちらと静を見ている。
「写真撮ってもらおうよ」
「うん」
二人は意を決したように静のほうへ近づいていった。
零はその様子を横目で見ながら、少しだけ苦笑する。
確かに静は目立つ。
茶髪に整った顔立ち。白いシャツというシンプルな服装なのに、不思議と人目を引く雰囲気がある。
女性たちは静の背後まで近づくと、遠慮がちに声をかけた。
「あの…、すみません」
「……」
返事がない。
「あの、写真撮ってもらってもいいですか?」
それでも静は動かなかった。
女性二人が顔を見合わせる。
「?」
零は不思議に思い、少し離れた場所から静の顔を覗き込んだ。
___!?
「……寝てる?」
静はソファーに座ったまま、目を閉じていた。
どうやら水槽の光と静かな館内の雰囲気に包まれ、いつの間にか眠ってしまったらしい。
零に続き、女性二人も静の寝顔を覗き込む。
「……寝てる」
「寝顔もかっこいい…」
二人とも、頬を赤くする。
静かな寝息を立てながら眠る静の姿は、普段の気だるげな雰囲気とはまた違っていた。
零はそんな二人を見て、思わずため息をつく。
「もう……」
それから眠っている静を見る。
「こんなところで寝るなんて…」
巨大な水槽の中では、魚たちがゆっくりと泳ぎ続けている。
その幻想的な光景の前で、静だけが何も知らずに眠っていた。




