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猫系男子と名探偵  作者: ひだまり
水族館
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8/39

8

 敦はカメラのデータを全て消去し、零と静に深く頭を下げた。


「本当に、すみませんでした」


 静はクラゲの水槽を眺めたあと、ゆっくりと敦へ視線を向けた。


「さようなら、お元気で」


「……」


 敦は一瞬、何か言おうとした。しかし静の表情があまりにも穏やかだったため、それ以上は何も言えず、もう一度頭を下げた。


「失礼します」


 そう言うと、敦は逃げるように足早にその場を去っていった。

 その背中が人混みの向こうへ消えるのを確認すると、零は小さく息を吐く。


 大きな水槽の中では、無数のクラゲがゆっくりと浮かんでいた。青白い光に照らされた透明な身体が、まるで夜空を漂う星のように見える。

 静はクラゲの水槽へ近づいた。

 そして、そっと手を伸ばす。

 指先がガラスに触れた。


「……」


 そのまま静は、水槽の向こうを泳ぐクラゲを見つめる。

 やがて、ほんの少しだけ微笑んだ。

 それは、普段の静からは想像できないほど柔らかな笑顔だった。

 零は無意識に、その横顔を見つめていた。

 青い光が静の髪を淡く照らし、ガラスに触れた指先が水槽の光を受けている。


「……」


 零の胸が、また大きく鳴った。

 ドクン。

 慌てて静から視線を逸らそうとする。

 けれど、なぜか目を離せない。


「……綺麗」


 思わず零の口から、小さな声が漏れた。

 何が綺麗なのか、自分でも分からなかった。

 クラゲなのか。

 それとも――。


 静はまだ、水槽の中を漂うクラゲを優しい目で見つめていた。

 その横顔を眺めながら、零の鼓動はなかなか収まらなかった。


 ♢


 しばらくして、零はスマートフォンを取り出した。

 今回の依頼人である山田花へ報告するためだった。

 発信ボタンを押す。

 数回の呼び出し音のあと、花が電話に出る。


「もしもし?朝日さん?どうでしたか?」


 零は水槽の前に立つ静を一度だけ見た。

 そして、先ほど敦と交わした約束を思い出す。


「はい。調査の結果ですが……旦那さんは可愛いと思った女性を見つけては、その人のあとをつけていた、だけのようです」


 電話の向こうで、花が黙り込む。

 しばらくして、複雑そうな声が返ってきた。


「……浮気じゃ、なかったんですね」


「はい…」


 零は静かに答える。


「ただ、それでも敦さんがやっていたことは、許されることではありません」


「そうですね……」


 花の声には、安堵と呆れが混ざっていた。


「夫が帰宅したら、二度と同じことをしないよう、厳しく言ってボコボコにしてやります!」


「ふふっ」


 零は思わず小さく笑う。

 電話の向こうから、花も少しだけ笑う気配がした。


「朝日さん、ありがとうございました」


「いえ。こちらこそ、ご依頼ありがとうございました」


「では、また」


「はい。また」


 通話が切れる。

 零はスマホを下ろし、ほっと息を吐いた。

 これで今回の依頼は終わった。

 ふと横を見る。


 静はまだ、クラゲの水槽を眺めていた。

 青い光の中を、透明なクラゲがゆっくりと漂っている。

 零はコートのポケットにスマホをしまいながら、静の横顔を見つめた。


「……さて」


 零は小さく呟く。

 依頼は解決した。

 それなのに――なぜか、今夜はまだ帰る気になれなかった。




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