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「お客様、すみません」
静かな声が聞こえた。
零が振り返ると、そこには若い男性職員が立っていた。困ったような、それでいて少し面白がっているような表情で、ハート形のソファーで眠っている静を見ている。
「……ん」
静がゆっくりと目を開けた。
「ここで寝た人は、あなたが初めてですよ」
職員は苦笑しながら声をかける。
その言葉を聞いた零は面白おかしく、思わず口元を押さえた。
一方、先ほど静に声をかけようとしていた女子二人は、いつの間にか少し離れた場所へ戻っている。こちらをちらちらと振り返りながら、何事もなかったかのように水槽を眺めていた。
静は周囲を見回し、自分が眠っていたことを理解したようだった。
「……すみませんでした」
静は職員へ軽く頭を下げる。
「いえいえ。疲れていたんでしょうね」
「はい。昨日の夜、夜泣きがひどくて…」
静はもう一度だけ頭を下げると、ソファーから立ち上がった。
職員が離れたのを確認し、零が話し始める。
「夜泣きって…、斎藤さん、お子さんいるんですか?」
と複雑な気持ちでたずねる零。
「いいえ、子供はいませんし、結婚もしていません」
「じゃあ、隣人の子供の泣き声ですか…?」
「ちがいます」
「わかりました、親戚の子供の面倒をみていたんですね」
「それも、ちがいます」
と静が首を横に振る。
零があごに手を当て考えるも、答えが出てこない。
「だとすれば、一体なんなんです?」
「あなたには関係のないことなので…、もう行きましょう」
と、静が何の前触れもなく、零の手を取った。
「……え?」
零の身体が固まる。
静は何も言わず、そのまま歩き始めた。
「ちょ、ちょっと……斎藤さん?」
返事はない。
ただ静は、零の手をつないだまま、巨大な水槽の前を離れていく。
零は自分の手を見る。
つながれた手。
その事実を意識した途端、胸が大きく跳ねた。
「……っ」
顔が熱くなる。
周囲の人に見られているような気がして、零は落ち着かなくなった。
「斎藤さん……」
「はい?」
「その……手……」
「嫌でしたか?」
静が振り返る。
零は言葉に詰まった。
嫌というわけではない。
ただ、心臓がうるさすぎる。
「……いえ」
零は小さな声で答えた。
静はそれを聞くと、何事もなかったように前を向いた。
二人はそのまま館内を歩いていく。
青い光に包まれた通路を進みながら、零は隣を歩く静をちらりと見た。
静はいつもと変わらない表情をしている。
一方、零は__。
つながれた手を意識するたび、胸の鼓動が速くなっていくのだった。




