6
零は物陰から敦の様子をじっと観察していた。敦は相変わらずクラゲの水槽を眺めている静に視線を向け、デジタルカメラを構えている。シャッターが切られるたび、零の表情が険しくなっていった。
「……やれやれ」
零は小さく息を吐くと、コートのポケットからスマホを取り出した。そして敦が静を盗撮している瞬間を、確実に写真へ収める。何枚か撮影したところで、零はスマホの画面を確認した。
これなら証拠になる。
零は意を決した。
このまま放置するわけにはいかない。静本人は、まだ何も知らずにクラゲを眺めている。あの様子を見ていると、なおさら放っておけなかった。
零は敦のもとへ歩いていく。
「すみません、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
突然声をかけられ、敦が振り返る。
零は敦の目をまっすぐ見つめた。
「いま、あそこにいる男性を盗撮してましたよね?」
「なっ……なにを言っているんだ?そんなことする訳ないだろう」
敦の顔が強張る。
「証拠ならあります」
零はスマートフォンを取り出し、先ほど撮影した写真を敦へ見せた。
そこには、カメラを構えて静を撮影している敦の姿がはっきりと写っている。
「これが、その証拠です」
「……」
敦の表情が一変した。
次の瞬間、敦は零から逃げるように駆け出した。
「待て!」
零もすぐに追いかける。
水族館の通路を走り抜ける敦。零はその背中へ手を伸ばし、素早く取り押さえようとした。
しかし__。
敦が突然振り返り、右腕が振り上げられる。
「わっ!」
零が身を引こうとした、その瞬間だった。
ガシッ。
敦の右腕が、途中で止まった。
「……え?」
零が目を見開く。
敦の腕を、誰かが掴んでいた。
茶色の髪。
白いシャツ。
静かな目。
「……斎藤さん!?」
そこに立っていたのは、静だった。
静は敦の腕をしっかりと掴んだまま、冷静な表情で敦を見つめている。
しかし、その目は普段とは違う鋭さが宿っていた。
敦は腕を掴まれたまま、動けなくなっていた。
零は呆然と静を見つめる。
つい先ほどまでクラゲを眺めていた男が、まるで最初から二人のやり取りを見ていたかのように、絶妙なタイミングで現れたのだ。
「斎藤さん……どうしてここに?」
静は零を見る。
「クラゲを見に来ました」
「いや、そうじゃなくて……」
零はそれ以上、何も言えなかった。
こんな状況でも、静はいつも通りだった。
敦は静に腕を掴まれたまま、顔を真っ赤にして俯いていた。先ほどまでの勢いは完全に消え失せ、何も言えずに立ち尽くしている。
静はそんな敦をしばらく見つめたあと、ゆっくりと手を離した。
「……」
自由になった敦は、自分の腕を押さえながら俯いたままだった。
静はそれ以上何も言わず、隣にいた零へ視線を向ける。
「大丈夫ですか?」
「はい…私は、平気です」
静は小さく頷くと、何事もなかったかのように踵を返した。そして、先ほどまで見ていたクラゲの水槽へ戻ろうとする。
「ちょっと待ったぁ!」
零が慌てて静を呼び止める。
静が振り返った。
「なにか?」
「なにか?じゃありません!斎藤さん、あなたはあの男性に盗撮されていたんですよ?」
静は少しだけ首を傾げた。
そして、敦の持っているデジタルカメラへ視線を向ける。
「あれは確か、五十万円のカメラ…。僕は別に撮られてもかまいません」
「……はぁ」
零は呆れたように息を吐いた。
「あなたがよくても、それが原因であの男性の奥さんは夫が浮気してるんじゃないかって、不安に思っているんです…。正直、私もどう奥さんに伝えればいいか…」
「……」
静は敦を見る。
敦は気まずそうに俯いていた。
しばらく沈黙が流れたあと、敦が突然頭を下げた。
「すみませんでした!」
「え?」
零が驚く。
敦はその場に膝をつくと、深々と頭を下げた。
「本当にすみません!」
その声には、先ほどまでのような取り繕った様子はなかった。
「妻には…このことを言わないでください!」
敦は必死に頼み込む。
「お願いします!妻には知られたくないんです!」
零は困惑したように敦を見つめた。
「……」
浮気調査の依頼を受けたはずだった。
しかし、蓋を開けてみれば、夫が追いかけていたのは女性ではなく、一人の男性刑事だった。
しかも、その本人はというと__。
「眠い……」
そう言いながら静は再びクラゲの水槽の前に立っていた。
青い光の中を、無数のクラゲがゆっくりと漂っている。
零はそんな静の後ろ姿を見ながら、思わず額に手を当てた。
「どうすればいいんだろう…この状況」




