32
月の自宅。
リビングのテーブルの椅子に、月と零は隣り合って座っていた。
月はしばらくテーブルの上に視線を落としていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……どうして私が斎藤と添い寝するようになったのか、知りたい?」
零は黙って頷いた。
月が膝の上に両手を置き、話し始める。
「…私は幼い頃、海外に住んでいたの」
月の声は静かだった。
「父は母と籍を入れずに体の関係を持って、私が生まれた…。
父はどうしようもない男で、私が生まれてすぐに姿を消したって、そう母が言ってたわ…」
月は一度言葉を止める。
「母は父に捨てられたショックから薬に手を出して、それから薬物に依存するようになったの」
零の表情が曇る。
「そして……いつからか、楽になれるからと言って、使っていた薬物を私にも与えるようになった…」
「……」
「そのせいで私は幻覚を見るようになった。夜になると、現実と夢の区別がつかなくなって……何かに追いかけられるような悪夢を見るようになったの」
月は自分の手を見つめる。
「悪夢のせいで私は毎晩うなされていたわ…。しばらくして、母は薬物の過剰摂取が原因で亡くなった…。
母を亡くした私は身寄りのない子供を支援する団体に保護されて病院へ入院することになったの。
その病院で薬物依存の治療を終えたあと、私はたった一人で日本に渡った…。それから私は、母親から聞いていた話を頼りに父を探して、自分の父親と再会したってわけ…」
零が声を震わせる。
「そんな過去があったなんて…」
月が俯きながら話し始める。
「私の父は……斎藤実」
「!!斎藤って…まさか…」
月が頷く。
「斎藤静の父親よ」
零は驚いた。
月は淡々と続ける。
「斎藤実は既婚者でありながら、私の母親と身体の関係を持っていた…。父は母との間に生まれた私をずっと隠し子として育ててたの…、まだ幼かった私と再会したあの日からずっと、あの男は自分の家族に私の存在を隠して生きてきたのよ」
「……」
「私は、斎藤実を恨んだわ…。だけど、あの男に直接手を出せば、私が刑務所行きになっちゃう」
母を捨て、自分の存在を隠した男。
その憎しみは、幼い月の心に深く残った。
「だから私は、斎藤家を内側から壊そうと思った。全ては斎藤実に復讐する為…。そのために、あの男の息子である斎藤静に近づいたの…」
「そんな…」
と零が瞳を震わせる。
月は少しだけ目を伏せた。
「斎藤静に対して、私が想像してたのは父と同じような女癖の悪いクズ男…。でも…、斎藤は私が思っていたような人じゃなかった」
「……」
「彼は眠れない私に、何も聞かずに添い寝してくれた」
月の表情が少し柔らかくなる。
「夜中に怖い夢を見て泣けば、優しく頭を撫でてくれた」
月は小さく笑った。
「私が憎んでいた家の人間なのに……斎藤静は優しかった…」
しばらく沈黙が流れる。
「……誰よりも、優しい兄だったの」
零はその言葉を聞き、何も言えなかった。
月が斎藤家を壊そうとして近づいたこと。
けれど、静の優しさによって、その憎しみが少しずつ変わっていったこと。
それが、月と静の関係の始まりだった。
月は、少し遠くを見るような目をして話を続けた。
「あと、私のマネージャーの西田」
「西田さん?」
「私は気づかないふりをしてあげてるけど……、彼は斎藤響。斎藤静の兄よ」
「えっ!?」
零は思わず目を見開いた。
「西田さんが、斎藤さんのお兄さん?」
「ええ」
月はため息をつく。
「財閥家の長男として会社の社長を務めるほど有能なのに、私の前ではポンコツなフリをしてるの、
ほんとバカみたいでしょ?」
「……」
「弟の交友関係を全て把握しておきたいにしても…、過保護すぎてあきれるわ」
零は今までの西田の言動を思い返す。
月の行動を細かく把握しようとしていたこと。
静について調べようとしていたこと。
すべてが、弟である静を守るためだったのだ。
「ねぇ朝日さん、ちょっと聞いていい?」
「はい、なんですか?」
「あなたは斎藤と会って、ドキドキしたり顔が赤くなったり、する?」
「……はい」
零は少し恥ずかしそうに頷く。
月はその答えを聞いて、静かに笑った。
「うらやましいわ」
「……」
「斎藤と一緒にいても……、私の心臓は何も変わらない」
月は胸元に手を置いた。
「ただ冷静なの」
その声には、どこか寂しさがあった。
「斎藤や彼の兄には甘えられるけど……そこに恋する気持ちがあるわけじゃない」
零は何も言えなかった。
「……添い寝してくれる優しい兄としか思えないの」
月はそう言って視線を上げ、突然、零を指差した。
「朝日零!」
「は、はい!」
「斎藤と付き合ってベッドで抱き合いたいなら、今すぐ告白してきなさい!」
「べべベッドで、だっ抱き合う……!?」
零の顔が一気に赤くなる。
「そんなこと、考えてません!」
「うそ」
月は呆れたようにため息をついた。
「本当は、斎藤に会いたくて会いたくて、たまらないんでしょ?」
「……」
零はしばらく黙っていた。
そして、観念したように小さく答える。
「……それは、否定しません」
「やっぱり」
月は額に手を当てる。
「もう……」
そして、零をじっと見つめた。
「斎藤は鈍感なクセに優しすぎるから、早く告白しないと他の女にとられるわよ」
「……」
「あなたが好きですって、そう言えばいいだけじゃない」
零の胸が、大きく跳ねた。
その言葉を聞いた瞬間、静の顔が頭に浮かぶ。
バーで笑っていた顔。
自分を抱きしめてくれたときの温もり。
そして――別れ際に「また連絡します」と言った声。
「……他の人にとられるのは、嫌です」
零は小さく呟いた。
月が目を細める。
「なら、自分の気持ちに正直になりなさい」
零は自分の胸元をぎゅっと握った。
「はい」
その声には、さっきまでの迷いとは違う決意が宿っていた。




