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穏やかなBGMが、零の耳の中で静かに流れていた。外では雨が降り続いているはずなのに、ノイズキャンセリングのおかげで雷の音はほとんど聞こえない。零はようやく肩の力を抜き、ソファに身体を預けた。
しばらくして、零はふと隣を見た。
静がこちらを見ていた。
さきほどの無表情に近い顔ではない。どこか柔らかく、優しい目をしている。その視線が自分に向けられていることに気づいた瞬間、零の胸がまた小さく高鳴った。
静の唇が動く。
何かを言っている。
しかし、イヤホンから流れる音楽のせいで、声はまったく聞こえなかった。
零は首を傾げ、片耳のイヤホンを外した。
「なんですか?」
静は少しだけ口元を緩めた。
「ひとり言を喋ってました」
「ひとり言?」
零が目を丸くする。
静は小さく笑った。
「雷が怖いなんて、可愛い人だなって…」
「か、かわ……!」
零の顔が一瞬で赤くなる。
言葉が続かなかった。
「……」
零は慌てて静から視線を逸らし、外の雨へ目を向ける。
耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。
「……やめてください」
「何をです?」
「そういうことを、平然と言うの…」
静は不思議そうに零を見る。
「思ったことを言っただけですよ」
「そんな…、普通は言わないです…」
零は小さく呟いた。
静はそんな零の反応を見て、また穏やかに笑った。
その笑顔を見てしまった零は、ますます顔を上げられなくなった。
「温かいコーヒー、飲みます?」
静がキッチンのほうへ視線を向けながら尋ねた。
零は一瞬迷ったものの、外から聞こえてくる雨音と、まだ少し残っている緊張を落ち着かせるように小さく頷いた。
「いただきます」
「ブラックですか?」
「できれば……砂糖とミルクを……」
「わかりました」
静は短く答えると、キッチンへ向かった。
やがて、二つのマグカップから立ち上る白い湯気とともに戻ってくる。片方を零へ手渡し、もう片方を自分の手に取った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
零は両手でマグカップを包み込んだ。じんわりとした温かさが冷えていた指先に伝わってくる。静も隣に腰を下ろし、ブラックコーヒーを一口飲んだ。
零はゆっくりとコーヒーを口にする。
「……美味しい」
思わず、素直な感想が漏れた。
静はそれを聞くと、ほんの少しだけ微笑んだ。その表情はとても自然で、気だるげな雰囲気とは違って見えた。
零はその笑顔を見ながら、ふと気になったことをたずねる。
「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていませんでした」
「…マイケル・ロバートです」
「……」
零は無言で静を見る。
数秒の沈黙。
「……嘘つかないでください」
「ばれましたか」
静が小さく笑う。
「斎藤静です」
「斎藤……静さん」
零はその名前を一度口にしてから、自分のことも名乗った。
「私は朝日零、私立探偵をしています」
「私立探偵ですか…、僕は刑事です」
「刑事?」
「意外ですか?」
「いえ……」
零は静を改めて見つめる。
雨に濡れていたときからそうだった。どこか気だるげで、自由気まま。人との距離感も独特で、猫のような雰囲気をまとっている。
とても刑事には見えない。
そんなことを考えていると__。
「あ!」
突然、静が声を上げた。
「なんですか?」
零が驚いて静の方をみる。
静は零の顔をじっと見つめていた。
「目の下に、まつげが……」
「え?」
零が自分の目元に触れようとした、そのときだった。
静の手が伸びてきた。
「……っ」
指先が、零の頬にそっと触れる。
あまりにも突然のことだった。
零の身体が固まる。
静は気にする様子もなく、零の目の下に付いていた小さなまつげを指先で取り除いた。
「取れました」
「……」
零は何も言えなかった。
頬に触れた静の指先の感触が、いつまでも残っているような気がする。
心臓が、急に速くなった。
ドクン、ドクン、と胸の奥で大きく鼓動している。
「……零さん?」
「は、はい!」
思わず声が裏返った。
静は不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
「な、なんでもありません……!」
零は慌ててマグカップに視線を落とした。
頬が熱い。
零はそれを悟られないように、両手でマグカップを握りしめた。
隣では、何も知らない静がブラックコーヒーを静かに飲んでいる。
その横顔を見ながら、零は心の中で小さくため息をついた。
__この人、本当にずるい。
何気ない仕草一つで、どうしてこんなにも心を乱されるのだろう。
外では相変わらず雨が降り続いていた。




