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「執事……」
零は少し考えてから、静へ尋ねた。
「もしかして、斎藤さんの家って、かなりのお金持ちなんじゃ……」
「ええ、自分は財閥家の末息子なので」
「ざ、財閥家の末息子!?」
零が思わず声を上げる。
静は淡々と頷いた。
「ええ」
「まさか、財閥家の方だったとは思いもしませんでした…。誰に対しても敬語で話されるのは、そうするよう教育を受けてきたからなんですか?」
と零が静にたずねる。
「……」
静はグラスへ視線を落とした。
「母が亡くなった後、敬語を使わずに話すと、そのたびに父と兄から叱られ、厳しい体罰を与えられてきたので…自然とこうなりました」
「体罰?」
零の表情が固まる。
「鞭で叩かれたり、真っ暗な部屋に一日中閉じ込められたり、水を張った洗面台に顔を沈められたり。まあ、色々ありましたよ」
静はまるで他人の昔話をするように、淡々と話していた。
零は何も言えなかった。
「……」
静は少し間を置いてから続ける。
「食べ物の好き嫌いをなくすために、嫌いな食べ物を一週間ずっと、それだけ食べさせられたこともありました」
「そんな…」
「その当時はつらすぎて、道端にいるアリや雑草を食べてました」
零の言葉が完全に止まる。
静はそっとグラスを傾けた。
「幼いながらに、父と兄に反抗したかったんだと思います」
「……」
「財閥家の末息子が、道端でアリや雑草を食べているなんて……、父親からすれば、恥でしかないでしょうから」
静はそう言って、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔を見た零の胸は締めつけられた。
それは笑顔というより、長い年月をかけて身につけた、諦めに近い表情に見えた。
「……斎藤さん」
零が小さく名前を呼ぶ。
静が振り向く。
「なんですか?」
零は何か言おうとした。
けれど、言葉が出てこなかった。
ただ、目の前にいるこの人が、今までどんな幼少期を過ごしてきたのか。
それを想像するだけで、胸が痛かった。
零の不安そうな顔を見て、静が話始める。
「安心してください。父とは疎遠状態、兄は更生しているので、もう体罰は受けていません」
「そうなんですね、よかった…」
零はほっとしたように息を吐いた。
しかし、静は淡々と続ける。
「まぁ、兄に関しては更生しない方が良かった気もしますが…」
「それって、どういう…」
零は思わず聞き返した。
「これ以上は話したくないので、やめておきます」
静はそう言って、グラスに残った酒を飲み干した。
零も静に合わせるように、自分のグラスへ口をつける。
しばらく、二人の間にジャズだけが流れていた。
やがて静が、何気ない調子で口を開く。
「零さん、本題に入ってもいいですか?」
「本題?」
「ええ。あなたにどうしても聞いておきたいことがあって…、いいですか?」
「はい…、どうぞ…」
あらたまって何を言うのだろうと、零がごくりと息を呑む。
「……」
「……」
零がグラスを持ち、お酒を飲みながら、静の言葉を待つ。
「零さんは、恋人ではない男性とベッドで一晩過ごせますか?」
「ぶっ……!!」
零が思いきりむせた。
「ごほっ、ごほ……!」
慌てて口元を押さえる。
「ななななんですか、その質問!」
静は至って真面目な顔をしている。
「例えばの話です」
「例えばの話?」
「ええ。仮に僕が不眠症で、添い寝してほしいとあなたに頼んだら、どうしますか?」
「……!」
零の顔が一気に赤くなる。
頭の中に、静と同じベッドで眠る自分の姿が浮かんでしまった。
「こっ……恋人でないなら、そういうことはちょっと……」
「僕はあなたの恋人でなくても、一緒に寝れます。それって変なんですかね…」
「……」
零は完全に言葉を失った。
静は不思議そうに零を見ている。
その表情には、からかっている様子がない。
本当に知りたいだけなのだ。
それが余計に困る。
「……すみません」
零は耐えきれなくなったように立ち上がった。
「ちょっと、お手洗いに行ってきます……」
「はい」
零は逃げるように席を立ち、店の奥へ向かった。




