12
夜の水族館を出ると、二人を包んでいた青い光が背後へ遠ざかっていった。外はすっかり雨も上がり、濡れた歩道が街灯を反射して淡く輝いている。夜風が吹き抜け、零の黒髪を静かに揺らした。
しばらく並んで歩いていた静が、横断歩道の前でふと足を止める。
そして、それまでつないでいた零の手を離した。
「では、また」
静はそう言うと、反対方向へそのまま歩き出す。
「斎藤さん……!」
零の声が背中に飛んだ。
静が振り返る。
「なんですか?」
零は少し迷ったあと、思い切ったように口を開いた。
「あなたは……、誰にでも気のあるふりをする、そんな人なんですか?」
「気のあるふり?」
静は本当に意味が分からないという顔をする。
「さっきだって…」
零は震える声で言葉を口に出す。
「人魚の衣装の子に綺麗だって、そう言ってたじゃないですか」
「ああ、そのことですか」
静は納得したように頷く。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
そして、淡々と答える。
「ただ、思ったことを言っただけですよ」
「……」
零は何も言えなくなった。
静にとっては、本当にそれだけなのだろう。
相手を喜ばせようとしたわけでも、特別な意味を込めたわけでもない。ただ、自分がそう思ったから口にした。
そのあまりにも素直な答えに、零は返す言葉を失った。
静はそんな零を見て、ゆっくりと距離をつめていく。
そのまま静は零を抱きしめた。
「……っ!?」
零の身体が固まる。
突然のことに、頭が真っ白になった。
静の腕が背中に回っている。
近い。
なぜ。
どうして。
心臓が激しく鳴り始める。
零は戸惑いながらも、静の声に耳をかたむける。
「こういうのも、気のあるフリなんですか?」
「……」
「教えてください」
「……そうです!どう考えたってそうでしょう?どうしてわからないんですか!」
零は顔を赤らめながらも、呼吸をととのえる。
「なるほど…」
そう言って静がゆっくりと零から離れる。
零は残された温もりを意識してしまい、余計に顔が熱くなった。
「零さん、あなたの連絡先を教えてください」
「……え?」
「連絡先です」
「…理由は、なんですか?」
零が警戒するように尋ねる。
静は少し考えたあと、答えた。
「友人として、また会いたいので」
「……」
友人。
その言葉に、零は少しだけ複雑な気持ちになった。
けれど。
また会いたい。
静がそう言ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……分かりました」
零は携帯の電話番号が書かれた名刺をコートのポケットから取り出し、静に手渡す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
零は表面上こそ、しかたなく教えたような顔をしていた。
しかし内心では、嬉しくて仕方がなかった。
「僕の番号も登録してください」
静が自分の連絡先を零へ教える。
零はスマホの画面に表示された名前を、しばらく見つめていた。
__斎藤静。
目の前にいる男性の名前。
たったそれだけなのに、胸の奥が熱くなる。
「では、また」
静はそう言うと、軽く手を上げた。
「……はい。また」
零が答える。
静はそのまま背を向け、夜の街へ歩いていった。
零はしばらく、その背中を見送っていた。
やがて静の姿が見えなくなってから、自分のスマートフォンを見る。
登録された連絡先に斎藤静の名前。
零は赤くなった頬を片手で押さえながら、静の連絡先が表示されたスマートフォンをそっと胸元へ抱きしめるのだった。




