第九話 カラス
テレビの中で、ヘリのローター音が、アナウンサーの声に被さって聞こえていた。
画面の右上には、「LIVE」の白い文字が出ている。映像は、上空からのK町N区の俯瞰だった。
カメラがアップから引いていく。
森と思っていたのは庭で、カメラが引いていくにつれて、敷地内の建造物がフレームに入った。
白い屋根が広がっている。屋根の手前、敷地を囲む塀の外側には、警察車両が点のように並び、その向こうにテレビ各局の中継車らしき白い箱が、団子になって停まっていた。
「上空からの映像です。K町N区、ヴァルガス氏の邸宅、敷地はおよそ3万坪、総工費は約200億円――」
アナウンサーは、書式を読むような声で同じ数字を繰り返している。私は今朝、すでに三度、別の局で同じ数字を聞いていた。
「先生、これ、もう半日同じ画ですよ」
あかりが事務室のテレビの方を見ながら言った。彼女のデスクには、コピー機から吐き出された資料の束が二つ並んでいる。仕分けの途中だった。
節子さんは、自席で湯飲みを両手に包んだまま、画面に視線を据えていた。
「でも見ちゃいますねぇ」
「見ちゃいますよね」
二人の声が半分笑いながら重なった。
私は手元の項目表に目を戻した。住所判定の参考資料は早朝のうちに粗く整理を終え、今は、行政窓口に出す書類の最終確認をしているところだった。書式指定欄には、「正本一通・直筆署名のうえ捺印」と、明朝体で印字されていた。
モナコから戻って二か月。事務所は、再び季節外れの繁忙期を迎えている。
電話は朝から間欠的に鳴り続け、節子さんが回す相手の半分は「お返事は弊所より別途」で切れていた。あかりのデスクの脇には、開封済みの郵便と、開封の途中で止まったままの茶封筒が混在していた。
画面の中で、映像が切り替わった。
「先週水曜日、羽田到着時の映像です」
アナウンサーが言った。
画面は、夜の羽田だった。プライベートジェットの白い機体の脇に、横付けされた黒いセダンの列。タラップの上から、ジャケットを片手にぶら下げたヴァルガスが、SPに囲まれて降りてくる。
映像が切り替わる。
本来報道陣が立ち入ることのできない、駐機場からの映像。
タラップから降り立ったヴァルガスを出迎えたのは、永井総理だった。後ろに、与党幹部の顔ぶれが並んでいる。
総理は、トレードマークの白いスーツをビシッと決めていた。
画面の右下には『内閣府提供』の文字。
他国の元首の出迎えでさえ、総理直々に行うことは稀だ。
画面の中で、永井総理が、意気揚々と手を振っていた。
永井総理にフレームが寄る途中で、映像は空港ロビーのものに切り替わった。
ロビーに並ぶ報道陣の頭は、画面の中で数えきれなかった。ロビーの外側の柵には、明らかに報道陣ではない若い人間の集団が映っていた。手書きのボードを掲げている者もいた。ボードの英文字は、画面が動いてしまって読めなかった。
上階から見下ろす形の映像が挟まれ、空港利用者の流れをせき止めているのが分かる。
画面の下に、小さなテロップで「羽田 到着時の混乱」と出た。
「これですよ、これ」
あかりが、自分のスマートフォンを振った。
「うちの母方の従姉、ちょうど便時刻が重なって、足止め食らったって。」
言って、その時の状況らしい写真を、スマートフォンに表示させている。
「災難だったわね」
「空港を出るまで3時間かかったそうです」
「その割にはうれしそうね?」
「他人事ですから」
あかりは肩をすくめて笑った。
画面が、また切り替わった。
今度は、昨日の朝のK町邸宅前だった。テロップは「昨日・K町・邸宅前」とだけ出ていた。
マイクの束が画面の手前に集まり、記者の背中が左右に並んでいた。その向こうに、白いシャツに紺の薄手のジャケットを羽織ったヴァルガスが立っていた。モナコのホテルで会った時と同じではない。けれど、引っ掛けたような選び方の系統は変わらなかった。
左右に並ぶ黒いスーツに身を包んだSPが、前のめりになった報道陣を無表情のまま制している。
「ヴァルガスさん」
日本人記者の声が、画面の左下から飛んだ。
「日本滞在はどれくらいを予定されているのでしょうか?」
ヴァルガスは、マイクの方をすぐには見なかった。一度、後方の建物に視線をやり、それからカメラに目を戻した。
「当分、ここに住む」
日本語だった。発音は、モナコで聞いた時と同じ、平坦で、けれど崩れなかった。
画面の中で、記者たちの声が一度重なった。続きを引き出そうとする質問が、複数の方向から飛んだ。
「なぜK町を選んだのですか?」
「友人も、この近くに家を持ってる。いいところだって聞いた」
ヴァルガスは、それだけ付け加えて、ジャケットの内側を軽く払うような動作をした。
誰のことを言ったのか、続かなかった。記者の一人が「ご友人というのは」と踏み込んだが、ヴァルガスは答えず、SPに合図をして門の中へ歩き出した。マイクの束は、画面の手前で揺れたまま残された。
スタジオに画面が戻った。司会者が、四人並んだコメンテーターのうち、一番手前の男性に振った。
「ご友人ですか。思い当たる方の別荘はありますが、とても友人とは」
「いやあ、ここからは推測でしか申し上げられませんが」
コメンテーターは、笑いを含んだ声で言った。
「それにしても、この規模の邸宅ですから、造成中に話題になることはなかったのでしょうか?」
「大手デベロッパーの大規模開発、という噂は出ていたそうです。住民からは、長い間工事用カーテンで目隠しされていたので、まさか、というお話をいただきました」
「地価にも影響が出そうですね」
「それはすでに出ています」
言って、司会者の横に立つアシスタントがフリップを立てた。
「K町近隣の地価、先月対比で取引事例ベース2割上昇という観測も――」
「2割!?」
司会者が一段、声を上げた。スタジオのコメンテーター達からは「おぉ」という声が漏れた。
節子さんが、湯飲みに口を付けた。
「楽しそうですねぇ、皆さん」
主語を、最後にだけ置いた。今度はテレビの中の全員のことだった。
電話が鳴った。あかりが手を止めた。
「あ、出ます!」
あかりが受話器を取った。
「はい、麻生総合法律事務所」
あかりの声から、ふだんの軽さが、いっとき抜けた。事務所に入ってくる電話の質が、ここ数日でずいぶん変わっていた。ヴァルガスのヴァの字を出さずに、それでも依頼の中身を遠回しに差し込んでくる相手が、増えていた。私はペンを動かしながら、応対を耳の端で聞いていた。
「お問い合わせの件は、弊所より別途ご連絡を差し上げる形で――はい」
この数日の定型台詞が聞こえた。
「はい、失礼いたします」
あかりが受話器を置いた。
「今度は経済誌でした」
受話器の横に貼ってあったメモを、あかりは一枚剥がして、自分のデスクへ持っていった。剥がし跡には、似たような色のメモが、まだ何枚も貼られていた。
画面の中では、また映像が切り替わっていた。
ヘリからのK町俯瞰に戻っていた。だが、今度は別の局のヘリだった。画面の上の隅に、2機目のヘリの機影が、点のように映り込んでいた。一方が左から、もう一方が右から、邸宅の真上で一度、距離を取り合うように動いた。
「あ、先生」
あかりが、スマートフォンの画面を、こちらに向けた。
<Z:英語からの翻訳 / 原文を表示>
『K町、朝は静か。カラスはうるさい』
投稿時刻は、今朝の5時台だった。
「ご本人ですか」
節子さんが尋ねた。
「そうみたいです」
あかりは指でスクロールを続けた。
「リプ欄、すごいんですけど――」
半分笑いながら、声に出した。
『マスコミのヘリをカラス扱いw』
『マスゴミ世界デビュー!』
『かわいいよヴァルたん』
節子さんが肩を小さく揺らした。
「人気者ですねぇ」
「『今からK町行く』って書いてる人、何百人もいます」
あかりは、もう一度スクロールした。
その指が、止まった。
「あ……」
あかりは、こちらを見た。それから、テレビの方を、スマートフォンで指さした。
「先生、国土交通省がヘリでの報道を自粛するようにって」
画面の中では、2機のヘリが、邸宅の上を大きく旋回していた。
「怒られちゃいましたねぇ」
節子さんが、湯飲みを置いた。
「お金持ちの苦情には、対応早いですね」
二人がテレビとあかりのスマートフォンを交互に見ながら、声を上げて笑った。事務所の中の温度が、その間だけ、わずかに緩んだ。
「K町は昔から富裕層の別荘地、避暑地としても親しまれており――」
司会者の声は、その「カラス」が自分たちの局のヘリを含んでいる可能性については、注意深く触れずに進んだ。ヘリからの映像は、ヴァルガスの邸宅を離れ、K町の街並みを映し出している。
私は、手元の資料に目をやりながら、自分のデスクに戻った。
行政窓口提出用の書類は、もう数日中に正本を出さなければならなかった。書式指定欄の「正本一通・直筆署名のうえ捺印」の行を、指で押さえた。電子で受け取ってくれる窓口と、いまだに紙の正本を求めてくる窓口とが、同じ案件の中に並んでいる。
「こういう書類関係は、平等に面倒ですよね」
あかりが、プリンターの前で紙をセットしながら、思い出したように言った。
「先生、複合機買いません? やっぱり便利ですって」
「それだとどうしても10万円超えちゃうし、別々に買えば消耗品扱いだから」
あかりは、画面の中で旋回するヘリと、自分の手元の紙束とを、見比べた。
「なんか扱ってる案件と、お金の温度差がすごいです……」
「私たちがお金持ちになったわけじゃないから」
私は書式指定欄から指を離した。
「案件の桁が大きくなっても、事務所の経費は事務所の経費よ」
「夢がないです」
「複合機は夢で買わない」
あかりは、プリンターの給紙トレイを軽く押し込んだ。紙が一度だけ音を立てて沈み、機械の中でローラーが回り始める。
電話が鳴った。
あかりの手が、反射で受話器へ伸びかける。けれど、プリンターがちょうど紙詰まりに近い音を立て、あかりはそちらへ身体を向けた。
「私が出ます」
節子さんが言った。
手にしていた湯飲みを置き、流れるような所作で付箋紙を一枚めくる。ペンの先を確認してから、受話器を取った。
「はい、麻生総合法律事務所でございます」




