表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
納税者は二度死ぬ  作者: 紀友
第四章 浄化

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/31

第三十話 圏外


 事務所に戻ったのは、夕方だった。あかりには通常の仕事に戻ってもらい、節子さんが帰ったあと、私は応接室で一人、エヴァとの通話をつないだ。


 画面の中のエヴァは、私の報告を受けて静かに口を開いた。


「病は事実です」


 用意していた答えのようだった。


「いつから、知っていたんですか」


「日本に来る前からです」


「……来る、前から」


 眉間に手を当てかけて、止めた。


「知っていたのは米国の主治医団と、ごく限られた範囲です。私も、その中にいました」


「私たちは――」


 声が、思っていたより強く出た。


「私たちは今日、あの部屋で初めて知りました。原告でありながら、被告と同じ場所で知ったんです」


 エヴァは、何も言わなかった。


「違いますね……。国は、これを先に握っていた。私たちは、何も知らずに席に座っていた」


 信じてもらえていないかもしれない。


「――情報をもらえなければ、戦えません。蚊帳の外に置かれたままでは、無理です」


 それが一番悲しい。


 言ってしまってから、息を整えた。責める相手を間違えていることに考えが及んでも、言葉は引っ込まなかった。


「申し訳ありません」


 エヴァの声は、平らなままだった。それがかえって、こたえた。


「お伝えしなかったのは、私の判断です。急に死ぬ病ではない。裁判の争点にも関係しない。そう見ていました。……私の落ち度です」


「……順番に、確認させてください」


 感情はいったん、脇へ置く。いつも通りに戻ればいい。


「報道は『死に至る病』と書いています。国も、同じ言い方をしました。死亡との関係は考えられますか?」


 エヴァは静かに首を振った。


「ボスの病は、遅効性のものです。長くて十年、短くても五年は問題ないと医師たちは見ていました」


 ヴァルガスを思い出すたびに見せる、寂しげな表情が顔をのぞかせた。


「延命治療を選べばそれ以上でしたが、ボスはそれを選びませんでした。世界を回っていたのは、死に場所を探すためではありません。残った時間の使い方を、自分で決めるという選択をしただけです」


 私は、飄々としたヴァルガスの姿を思い出した。


「ですが、それを国に利用されました。その医療記録は、どこにありましたか」


「米国です。日本側に渡した覚えはありません。出どころがあるとすれば、医療関係者でしょう」


「その記録を、こちらにも共有してください」


 エヴァが、少し目を上げた。


「国が持っているものと同じもの。できれば、それより詳しいものを」


 私は、手元のノートを開いた。


「国は、こう言ってきます。重い病があった、だから日本で最期を迎えるつもりだった。報道の『死に至る病』も、それを強くする言葉です。曖昧な話には、こちらがもっと正確な事実をぶつけて潰します」


「正確な事実、ですか」


「いつ診断されて、医師が余命をどう見ていたか。ヴァルガスさんがどの治療を選ばなかったか。残った時間を、どこでどう使うつもりだったのか。国の持つ断片より精度の高い記録を、こちらが握ります」


「それを出せば、ボスの病が、より細かく世間に出ますね」


 エヴァの視線が、二つを天秤にかけているように揺らいだ。


「選択のタイミングはもう逸しています。いまは、決断をください」


 エヴァは、少し黙ってから頷いた。


「主治医団に当たります。診断の日付から、本人が断った治療の記録まで。揃うだけ、揃えます」


「お願いします。それを使って、反証を立てます」


 私は、姿勢を正してエヴァに向いた。


「まだ時間はあった。永住許可にしても、複数の国籍を持つヴァルガスさんにとって、選択肢の一つでしかなかった。最期の場所を日本に決めていたわけではない、と」


「事実もその通りです」


「医療記録と渡航の記録の他にも、裏付けとなるものが無いか探してみてください」


 エヴァは、画面の中で頷いた。


「記録を揃えます。データベースの権限を奈緒に付与しますので、気になるものがあれば、直接拾ってください」


「わかりました」


 確認しておくことが、もうひとつ残っていた。


「エヴァさん。ほかに、私たちが知らないことは、ありませんか」


「もう、ありません」


 はっきりした返事だった。それなのに、エヴァの言葉の一拍前の間に、引っ掛かりを覚えた。


「わかりました……。記録をお待ちしています」


 私はそれ以上を口にしなかった。


 PCの画面が、暗くなる。


 私はしばらく、暗くなった画面を見ていた。あの一拍が、何だったのか。


 考えても、答えは出なかった。




     ◇     ◇     ◇




 登山口の雪は締まっていた。


 記帳所の箱には、用紙が湿らないようにビニールが掛けてあった。手袋を外し、ボールペンを取る。ペン先は凍えて、書き出しの一画がかすれた。余白で二度三度慣らしてから、氏名の欄に『倉持健司』と書く。職業の欄に、警護――と書きかけて、止まった。


 依頼人を護りきれずに終わった警護です、とでも書くのか。


 線を引いて消し、自営業、と書き直した。


 夜のうちに冷え込んだのだろう。雪は表面だけが固く、踏むと一拍遅れて踵が沈む。吐いた息は白く流れ、すぐに消えた。駐車場に、車はほかに一台もなかった。


 スマホを見た。アンテナの表示は、立っていない。圏外。麓のコンビニを過ぎたあたりから、ずっとこの表示のままだ。


 もとより、ここから先で連絡を取る相手はいない。取らせないために、この場所が選ばれている。当面は必要ないと、スマホをザックの奥へ落とした。今日一日、私は誰からも届かない場所に入る。


 車に戻り、ザックをあらためる。行動食と魔法瓶、アイゼン、ピッケル。背負うと肩に重さが食い込み、ベルトを締め直して腰へ移した。


 護衛対象を喪って、三ヶ月になる。


 警護の仕事の成果は、何も起きないことだ。何も起きない一日を積み上げ、何も起きないまま契約を終える。長いあいだ、私はそうやって数を重ねてきた。


 その数が、不意に崩れた。


 どうすれば防げたのか。崩れた日を思い出しては、手はなかったのかと自分に問う。答えは出ない。出ないと分かっていて、やめられずにいる。三ヶ月、ずっと。


 普通の生活の中、ドアを背にして立たない、開けた場所を長く歩かない――護る相手はもういないのに、癖だけが律儀に残っていた。


 その三ヶ月の終わりに、仕事が来た。受けるかどうか、迷う余地はなかった。


 新しく重ねることをしなければ、失敗はいつまでたっても今に居座ったままだ。


 樹林帯に入ると、雪は足首まで沈んだ。自分の足音と、ザックの軋む音だけがある。


 倒木は跨がず、回り込む。雪の下の枝で足首をやれば、ここでは誰も助けてはくれない。


 尾根に乗る手前で、雪の上に跡を見つけた。


 小さい跡が二筋、並んで続いている。片方は歩幅が乱れ、引きずった細い筋が点々と残っていた。縁は風で丸くなっているが、埋まりかけてはいない。屈んで、靴の先で雪の硬さを確かめる。締まった面の上を、軽いものが通っている。


 跡は、私が向かう方向へ続いていた。


 その跡をたどって尾根を越えると、小屋がポツンとあった。谷からの風を尾根が遮る、斜面の陰。屋根の雪は片側だけ落とされ、戸口の前は踏み固められている。


「ウサギ……そうか、白ウサギか」


 その小屋の戸口の前に、影があった。


 二つ。どちらもまだ小さい。片方は、足を怪我していた。雪の上の引きずった筋は、そこで終わっていた。


 私の呟きを敏感に拾い、こちらを見ている。お互いがお互いを守るようにして、身を寄せ合った。


「安心しろ、敵じゃない」


 二羽の白いウサギは、逃げなかった。怪我をした足では、逃げられないのかもしれない。


 両手を上げたまま、一歩を小さくして近づく。視線は半分だけ外しておく。声の届く距離で止まり、ゆっくり両手を下ろして膝をついた。雪の冷たさが、すぐに膝から上がってくる。


 ザックを下ろし、携帯食の封を切る。最初の一口を、自分で食べた。


「毒は入っていない。いま、私が食べた」


 残りを雪の上に置き、三歩下がる。


「ゆっくりでいい」


 風はないのに、森は静かにならなかった。枝に積もった雪が、間を置いて落ちる。


 二羽は、親の姿を探すように、周囲に目を運ばせている。


 長い待ちになった。冷えは膝から腿へ上がっていく。


「また、来るよ」


 応える声はない。二羽の白ウサギは戸口から動かず、こちらを見ていた。


 下りは、登りと別の筋を選んだ。凍って滑る箇所と、雪の深い箇所を覚える。車を置ける平場を、もう一か所見つけた。荷が軽いぶん、足は速かった。山中を歩き回り、地形を確認しては、頭の中で計画を立てた。


 駐車場に戻る頃には日が傾いて、空からの雪が戻ってきていた。記帳所で自分の名前だけが書かれたページを破り取り、車に戻った。


 エンジンをかけ、暖房を入れる。吹き出し口からは、冷たい風しか出てこない。


 少し待って、車を走らせた。


 助手席に置いたザックに手を突っ込み、スマホを取り出した。


 麓へ近づくにつれ、アンテナが一本、二本と戻ってくるはずだ。届かなかった三ヶ月が、また少しだけ動き出す。


 考えはじめると、やるべきことは次から次へと増えていった。


 吹き出し口の風が、いつの間にか熱を帯びていた。


「忙しくなりそうだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ