第十九話 灰は灰に
三浦さんは、机の上の印刷紙を見て顔をこわばらせていた。
ごめん、仕事なんだ。
自分はそう思いながら、印刷紙を少しだけ三浦さんの方へ寄せた。
紙には、印刷したZetterの投稿画面。
『日本は死ぬまで君を離さない』
「はい。書いたのは僕です。永住許可のニュースを見ながら、友達と通話していて、その流れで書きました」
三浦さんは机の端に置かれた自分のスマートフォンを見た。
「あの時は、みんな似たようなことを書いていて、捕獲とか、逃がさないぞとか、そういう流れだったので」
事前の聴取メモでも、確かにそうなっている。
本人に会うまでは全員が怪しく見えるけど、座らせると、だいたい普通の人だった。
世界的な富豪が死んだ後だと、こういうものまで調査しなくちゃいけない。
「K町へ行ったのは一回だけです。友達と駅の方まで行って、遠くから見ただけです。門の前には行っていません」
三浦さんは、そこで少し言いにくそうにした。
「死亡した日は会社にいました。出勤しています。タイムカードもありますし、確認してもらえればわかります!!」
隣の捜査員が、三浦さんに許可をもらってから、スマートフォンを受け取った。
「投稿を消したのは、怖くなったからです。本当に亡くなったってニュースで見て、僕の投稿の下に誰かが『タイーホ』って……」
これも、よくある。
「変な連絡は来ました。知らない人からです。アカウントは消してないので、残ってます」
スマートフォンの中身は、確認して別紙に回す。
自分は調書を読み上げ、三浦さんに内容を確認してもらった。
三浦さんは何度か頷き、署名欄に名前を書いた。字は小さかった。けれど、手が震えているほどではなかった。
「帰って、いいんですか?」
「はい。ただ、追加で確認が必要になった場合は連絡します。連絡が取れる状態にはしておいてください」
「分かりました」
三浦さんは椅子から立ち上がり、扉の前で頭を下げた。
自分も慌てて頭を下げた。
相手は参考人で、こちらは警察官。三浦さんは民間人で、善意の協力者。こっちも礼儀を尽くさないと。
扉が閉まると、隣の捜査員が端末を閉じた。
「薄いな」
「限りなく薄いですねー」
犯人の可能性。薄いというか、厚さすらないと思う。
もっと危ない顔の人間が来るのかと思っていた。もちろん、そういう人間も混じっているのだろう。けれど、今日座った相手の多くは、思ったよりも普通だった。
普通だから安心、とはならない。
それが面倒。
取調室を出ると、廊下に次の参考人が待っていた。スーツ姿の男と、大学生くらいの女。女はスマートフォンを両手で握っていたが、画面は消えている。
捜査本部に戻ると、机の上には聴取票とスクリーンショットが積まれていた。プリンターの前では、別の捜査員が紙を抱えている。電話をしている者もいる。報道対応の連絡を取っている者もいる。
SNSの画面を、紙に印刷する。デジタル化は遠い。
自分の机にも、まだ終わっていない束がある。
「朝倉、終わったか」
声をかけてきたのは、本庁の刑事課から来ている人だった。
名前が、すぐに出てこなかった。
「えっと……」
「坂井だよ」
「すみません、坂井さん。一件、終わりました。薄いと思います」
「そうか。まあ、犯人がいるかどうかも分からん」
坂井さんは、自分よりずっと年上だった。目の下に隈がある。所轄から応援に来ている自分より、たぶん何倍もこの手の捜査に慣れている。
机の上の束を、坂井さんが軽く押した。
「殺害予告めいた投稿をした奴。K町周辺で迷惑配信していた奴。献花に行って報道陣と揉めた奴。アニメイベントでヴァルガスと会話をしてた奴。ああ、財務省の職員もいるな」
「財務省ですか」
「『ヴァルガスが死ねば予算の問題が解決する』だったか。本人は冗談だと言ってるらしいが、時期が悪い。場所も悪い。所属も悪い」
それは、悪い。でも、職業的には正しいのかも。
「本気で殺すつもりだったって言った奴もいるぞ」
坂井さんは、卓上の紙をめくりながら言った。
「理由は、気に食わなかったからだと。危ないことは危ないが、邸宅に近づいた記録は今のところない」
気に食わない。今回の故人に対して、そういった感想を抱く人は少なくない。
「ほかには、海外の陰謀論動画を見て、ヴァルガスは死ぬべきだって書いていた大学生。邸宅の前でテント張って出待ちを続けてた活動家。どれも、拾わないわけにはいかない」
「線を拾うというより、線を消す作業ですよね」
「二課は多いぞ、こういう作業」
知能犯の捜査を行う二課。行きたくないし、向こうもお呼びじゃないだろう。
今回の供述取りに応援として呼ばれたのは、ちょうど空いていたから。護衛対象が亡くなって、待機が消えた。
自然死、事故、自殺、事件。どれにも決められないまま、紙だけが増えていく。ひとつの供述を終えるたび、何かが分かったというより、違うものを端へ寄せている感じがした。
「そういえば、お前、近くで見てたんだろ」
坂井さんが言った。
「実際、イーサン・ヴァルガスってのは、どんな人物だった?」
自分は、少し困った。
こういう時、気の利いた人物評を言える人はすごいと思う。
「好き勝手でしたね」
「それはテレビで知ってる」
言って、坂井さんは笑った。
「急に動くし、急に黙ります。騒いでいる時は子供みたいなのに、考え込んでいる時は、少し怖かったです」
「怖い?」
「こっちを見ていないようで、たぶん見ていました。でも、愛想がいいとか、優しいとか、そういう感じでもないです」
坂井さんは「そうか」とこぼし、あごに手を当てて考え込むそぶりを見せた。
「人物評が下手だな」
「すみません」
「刑事続けるのも、苦労するぞ」
坂井さんはもう一度大きく笑って、次のファイルを手に取り、廊下の方を見た。
「三番、空いたな」
自分も新しいファイルを手に取った。
「お前は四番。財務省の方を頼む。あまり雑に扱うと、後でうるさいから気をつけろよ」
ファイルの中の紙には、職業、氏名、発言内容、確認事項が並んでいる。
財務省。
税務署の親玉みたいなものか。気を付けよう。
◇ ◇ ◇
集合場所は、K町から離れた工業団地の端にある古い倉庫だった。
看板は外され、入口には別の管理会社のプレートだけが貼られている。夜になると周囲の工場も倉庫もほとんど動かず、敷地の奥へ車を入れれば道路からは見えない。
警察の施設ではない。
容疑者も、制服警官も、ここには来ない。
中にあるのは、長机とパイプ椅子だけだった。
「――邸宅スタッフが発見するまで、現場は動かしていません」
報告は、すでに途中まで進んでいた。
長机の前に立つ男が、紙を見ながら話している。丹羽は椅子に座らず、机の端に半身を乗せて聞いた。
「対象がカウンターに突っ伏した後、定時確認に入った邸宅スタッフが発見。私設警護へ連絡、その後、警察へ通報した流れになっています」
男は紙を一枚めくった。
「こちらは、その前に入っています。ヴァルガスが倒れてから10分ほどで現着」
男は一度、丹羽の表情を確認して、変化が無いことを見てから続けた。
「アクセス権限のある範囲のカメラ映像は確認しました。対象の状態、スタッフの動き、私設警護の到着までは押さえています」
「こちらが映った分は」
「邸宅内の記録本体は抑えました。姿がそのまま残る形にはなっていません。ただ、カメラの遮蔽に違和感が出る可能性はあります」
丹羽は、そこで少しだけ顎を動かした。
「バックアップは」
「外局が対応中です。アメリカにあるとされるバックアップは、こちらから直接引き出せるものではありません」
「回線を落とさなかった理由は」
「あの邸宅は有線を補助として、メインは衛星通信を利用しています。まとめて止めるには条件が悪すぎます。妨害はかけていますが、どこまで効いたかは現状では分かりません」
「衛星通信事業者には手を打てないのか」
男は、そこで一度だけ紙から目を上げた。
「ヴァルガスの企業です」
丹羽の口元が少しだけ動いた。
「何でも屋だな」
誰も笑わなかった。
次に、現場へ入った班の男が引き取った。
「対象はカウンターに突っ伏した状態でした。脈と瞳孔を確認し、蘇生は不可能と判断。見える範囲で外傷は確認できず。カウンター上には、複数のアイスカップとタオルがありました。毒物の可能性を考え、タオルからは繊維、アイスは各カップから微量を採取し、解析に回しています。対象の身体と飲食物には、確認と採取に必要な範囲を超えて触れていません」
丹羽は責めなかった。
「撤収は」
「入った痕跡は、確認できる範囲では残していません。現着から撤収までに要した時間は4分」
俺たちは、ヴァルガスに異変が起きてから、邸宅側が気づくまでの間に入って、出た。
邸宅内のカメラの配置は、全て把握できている。
問題は、対象に近づくにあたって回避のしようが無い、一部のカメラ。
報告の途中で、丹羽が俺を見た。
「早瀬」
「はい」
「お前の確認は」
俺は壁際から一歩だけ出た。
「班の後ろで入りました。バー前の廊下、サービスヤード側の導線、退出経路を見ています。室内では、対象の位置とカウンター周辺を確認しました」
「見たものは」
「対象はカウンターに突っ伏していました。カップは複数。争った跡は、見える範囲ではありません」
その後の報告は短かった。
車は入れ替え済み。人員は別々に戻している。表の警察施設には入っていない。使ったものは、予定どおり処理へ回す。
「邸内に残したものは、確認できる範囲ではありません」
確認できる範囲。
その言い方に、誰も口を挟まなかった。
あの屋敷には、その後で警察も米軍も私設警護も入っている。大使館関係者も通訳も邸宅スタッフもいた。こちらが消したつもりのものが、別の場所に残る可能性はある。
完全です、などと言う奴はいなかった。
丹羽は全員を見てから言った。
「警護対象は死亡した。本運用は終了する。各自、予定どおり処理しろ。ここを出た時点で解散。以後、本件について横の連絡は取るな」
返事はなかった。
椅子が引かれ、ひとりずつ倉庫を出ていく。持ち物は少ない。紙を折る者、上着を着る者、手ぶらで出ていく者。続けて外へ出ないよう、全員が少しずつ間を空けた。
警護対象が死んだ以上、守るための運用という名目はそこで終わった。
最後の一人が出ると、倉庫の中には丹羽と俺だけが残った。
丹羽は、コートの内側から折り畳まれた1枚の紙を取り出した。
「お前はこれだ」
俺は紙を受け取った。
氏名 麻生奈緒
年齢 31歳
職業 弁護士
以下、住所、近親者、ヴァルガスとの関係、役割と続いた。
「張り付け。逐一情報を上げろ」
俺は紙を折らずに、脳裏に焼き付けるために、もう一度上から見た。
「ヴァルガスの秘書はアメリカに戻った。情報はそこに集まる」
「――都合の悪い情報も、ですか」
丹羽は否定しなかった。
それで足りた。
「お前とペアになったあの女だが、イヌで間違いなかった」
俺が目線を送ると、丹羽は首を振った。
「調査庁が寄こしていた女だ。メンツにかけて追うだろう」
素性が偽装であったことを考えると、どこで潜り込んだか。調査庁に協力者がいた可能性もある。かの国だとすれば、ハニートラップはお手の物だろう。
「ヴァルガスを殺った線は?」
丹羽は、そこでまた首を振った。
「分からん」
俺は「先に」とは言わなかった。
俺たちが現場に入った時、ヴァルガスはもうカウンターに突っ伏していた。誰が殺ったのかは分からない。だが、俺たちより先に終わらせた奴がいるなら、あの女か、その外側にいる何かかもしれなかった。
丹羽は倉庫の出口へ向かった。
「名前はどうする。前の内偵の名前だろ」
「そのままで、早瀬でいいです」
言って、自然に笑みが浮かんだ。
「五年使いましたから、収まりがいい」
「……まあいい、誰も呼ばん」
丹羽は、それ以上名前の話をしなかった。
脇扉が開き、外の冷えた空気が入った。丹羽は振り返らずに出ていく。
扉が閉まると、倉庫は長机とパイプ椅子だけになった。
俺は長机の端に腰を下ろし、煙草を出した。
火をつける前に、麻生奈緒の紙をもう一度見た。
張り付け、か。これで、子供の顔を見るのはまた先になる。
今年の誕生日には、スパイクを送った。喜んだかどうかは、聞いていない。
足のサイズが分からず、少し大きめのものを選んだ。続けるのなら、来年か再来年には履けるようになるだろう。
俺は灰を空き缶の中へ落とした。
長机の上には、麻生奈緒だけが残っている。
もう一本、煙草を出した。
ライターで火をつける。煙草の先が赤くなったところで、火を消さずに、そのまま紙の端へ近づけた。
麻生奈緒、と書かれた横から、紙が黒く縮んでいく。
顔写真の端に火が移る。手元に熱が近づいたところで、俺は紙を離した。
紙はコンクリートの床に落ちる前に形をなくした。




