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納税者は二度死ぬ  作者: 紀友
第二章 日本に住むということ

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第十四話 あっという間


 官房スタッフが、会議室のテーブルに資料を置いていった。


 白い会議机。壁際に積まれた予備椅子。隅には、使われていないホワイトボードが立てかけられている。


 10人も入れば狭く感じる程度の部屋だった。


 その奥に、永井総理が座っていた。


 隣に小宮山幹事長。向かいに九条次長。法務、入管、経産、内閣府、警察庁から一人ずつ。大臣の姿はない。


 人数が少ない分、紙を置く音まで聞こえた。


 資料の一枚目には、Zetterの投稿画面が印刷されていた。


<Z:英語からの翻訳 / 原文を表示>

『永住決定。もうすぐ日本人』


 官房スタッフが説明する。


「昨夜20時41分、ヴァルガス氏本人のアカウントから投稿されたものです。代理人弁護士に確認したところ、投稿の1時間前に意思表明があったとのことです」


 永井総理は、印刷された投稿を見た。


「内容はともかく、本人の希望で間違いないわけね」


「はい」


「永住許可はどれくらいで出せるの」


 法務省側の担当者が、資料を開いた。


「それ自体は、本人希望だけでは判断されません。素行、独立生計、在留実績、公的義務の履行、活動実態などを総合的に見ます」


「そんなものは書類上どうとでもなるわ。あのイーサン・ヴァルガスよ?」


 永井総理は、苛立ちを隠さずに言った。


「制度上、最短でどこまで行けるのかを聞いているの」


 入管側の担当者が答えた。


「通常の原則は10年以上在留です。ただ、高度人材制度上の特例があります」


 小宮山が視線を上げた。


「1年ですね」


「はい。高度人材として一定条件を満たす場合、1年前時点を含め、継続して高いポイントを維持していれば、最短1年で永住許可申請が可能になります」


 永井総理は、机の上の投稿を指先で押さえた。


「申請まで1年として、許可はどうなの」


「申請後、通常でも数か月は必要です」


 眉間にしわを寄せる永井総理に、小宮山が口を開いた。


「それは入管庁が公表している標準処理期間で、法律の定めはありません。1日であったとしても、法的には問題ないかと」


「いや、しかし――」


「1年後に許可が出るとして」


 永井総理は入管担当者の言葉を遮り、有無を言わさず続けた。


「その1年の間、ヴァルガスを日本に繋ぎ留めておく必要があるわね」


 法務側が頷いた。


「活動実態が崩れると、最初から積み直しになります」


 永井総理は、そこで初めて考える顔を見せた。


「他国へ軸を戻されたら終わりね」


 誰も否定しなかった。


 経産省側が、次の資料を前へ出した。


「問題は、ヴァルガス氏が通常の定住型ではない点です」


 経産省側の資料には、ヴァルガス本人の肩書きではなく、関連企業と財団、投資先の名前が縦に並んでいた。


 自動車。

 通信。

 宇宙。

 エネルギー。

 SNS。

 研究財団。


 その横に、小さく「現職」「退任」「主要株主」「財団理事」「実質影響力」といった注記が付いている。


「役職的には、各社の経営実務から距離を置いています」


 経産省側の担当者が言った。


「ただ、実際は違います。本人の発言、資金の動き、財団の方針、投資先の選定が、関連企業群に強く影響し、依然としてヴァルガス氏のトップダウンは健在です」


 永井総理は、資料の細かい注記を追っていなかった。


「本人が『面白い』と言えば、人も金も動きます。逆に、本人が飽きれば止まります」


 永井総理が、そこで初めて顔を上げた。


「つまり、ヴァルガス本人を日本に繋ぎ止めれば、周辺も付いてくる可能性があるということ?」


「はい。その理解で問題ありません」


「ヴァルガスの企業が付いてくるわけね……」


 永井総理は、面白そうに繰り返した。


「総理、そこはまだ期待値です」


 小宮山が言った。


「企業誘致として前に出すと、話が大きくなりすぎます。まずは本人が日本に居続ける理由を作る。その結果として、人や資金が動く、という順番にした方がよろしいかと」


「税制優遇で釣る話ではないのね」


「はい。各社とも国際税務の設計は相当強い。すでにタックスヘイブンを十全に活用しています」


 内閣府側が資料を差し込んだ。


「そこで、税ではなく実証環境です」


「実証環境……ね」


 永井総理が、その言葉を繰り返した。


「行政手続、規制調整、人材受入、警備導線をまとめます。本人が日本にいれば、次の実験にすぐ手を出せる。そう思わせるための箱です」


 永井総理が、そこで初めて身を乗り出し、次の言葉を待った。


「特区構想です」


 永井総理の顔から、興味が半分落ちた。


「また特区なの……」


 こればかりは、永井総理の気持ちに共感できた。


 公共の冠を掲げながら、途中で止まった再開発計画。


 人の消えた研究棟。


 埋まらない企業用地。


 用途不明のまま残された広場。


 地方へ行くたび、そういうものを何度も見てきた。


 特区、という言葉の後ろには、いつも似た景色がぶら下がっていた。


「ですが――」


 内閣府側が続けようとしたところで、永井総理が片手を上げた。


「特区の話は終わりよ」


 永井の手から、資料が無造作にテーブルの上に放り投げられた。


「他にはないの? 特区、実証、規制緩和。そういう言葉じゃなくて、もっと確実に1年つなぐ方法」


 誰もすぐには答えなかった。


 その沈黙の中で、九条が顔を上げた。


 財務省主計局次長、九条和彦。


 声を張らない。相手の発言を奪わない。必要な時にだけ短く差し込む。


 風貌や行動で目立つタイプではないが、気づけば今の立場にいる。そんな男だ。


 だからこそ、官邸の会議では妙に残る。


 九条は、手元の資料をめくらなかった。


「そこまで心配はないかと」


 永井総理が、九条を見た。


「どういう意味?」


「ヴァルガス氏は、日本の文化、とりわけサブカルチャーへの関心が強い」


 九条は続けた。


「アニメ、ゲーム、同人イベント、フィギュア、秋葉原、ラーメン。本人の行動履歴を見る限り、単なる話題作りではありません。自分で動き、買い、並び、投稿している」


 永井総理の顔に、あまり隠していない呆れが浮かんだ。


「結局、そういうもの頼りになるわけね」


「はい」


 九条は、言い切る。


「ですが、確実です」


 経産省の担当者の目が、九条を捉えている。睨んでいるようにも見えた。


 とうの九条はその視線を受けつつ、意に介した素振りさえ見せない。


「日本にいて、好きに動ける。好きなものを買える。イベントに行ける。食べたいものを食べられる。そういう環境を維持できれば、1年で飽きる可能性は低いと思われます」


「警察庁、警護体制はどうなってるの?」


 警察庁側が、手元の資料を前へ出した。


「すでに一定の負荷が出ています。本人の自由度を上げれば上げるほど、さらに警備負荷は上がります」


「自由にさせないと日本に飽きる。自由にさせると騒ぎになる」


 永井総理は、今度は警察庁側を見た。


「面倒ね」


「はい」


 警察庁側は、否定しなかった。


「現在も、投稿を見た一般人や報道関係者が動いています。イベント会場、飲食店、商業施設、観光地。本人が行く場所の種類が広すぎます」


「ヴァルガス側からの要望は?」


「特に。遺憾ながら、あってもなくてもいいとさえ考えている節があります」


「増員は可能なの?」


「増やせば、本人の自由度は下がります」


 永井総理は、そこで口を閉じた。


 しばらく誰からも発言は無く、沈黙が続いた。

 

 皆が誰かの言葉を待ち続ける中、九条の口から、誰に向けたものでもない一言が漏れた。


「1年なんて、思ったよりもあっという間ですよ」


「言ったわね」


 皆が九条の次の言葉を待った。


 九条は口は開かず、薄く笑みを浮かべることで答えた。


「いいわ。九条次長にヴァルガス対策の陣頭指揮を執ってもらう。各省庁、警察も含めて彼の指示に従いなさい」


「ですが、管轄があまりにも――」


「じゃあ、あなたがやるわけ?」


 内閣府側は、そこで黙った。


 永井総理の視線が、責任を追及する色合いを帯びた。


 私は手元の資料の余白に視線を落とした。


 誰からも、声は上がらなかった。


 総理の視線は一同を順に辿り、室内を半周して、最後に九条のもとへと帰った。


「承知しました」

 

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