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納税者は二度死ぬ  作者: 紀友
第二章 日本に住むということ

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第十三話 よろしく



 応接室のソファに腰かけ、スマートフォンを眺める。画面には、イベント会場の壁際で撮られた集合写真が表示されていた。


 中心にいるのは、白いTシャツ姿のヴァルガス。


 隣には、顔に目隠しの入った一般参加者。その左右に、黒いスーツの男たち。さらに外側を、たくさんの人が囲んでいる。


 写真を投稿したのは、会場にいた参加者だろうか。写り込んだ人たちへの配慮なのか、公開用には何人かの顔が隠されている。ヴァルガスの顔には何も入っていない。


 ざっと五十人くらいは写っている。思い思いのポーズを取る人、写真慣れしていない人、途中で慌てて入ったような人。混雑する会場の壁際だけが、そこだけ一瞬、集合写真の場になっていた。


 私はその場にいたわけではないが、会場の雰囲気は感じて取れた。


 学生の頃、部活で似たような写真を撮った記憶がある。全員が疲れているのに、撮る瞬間だけ妙に楽しそうになる。そんな雰囲気が、どこか似ていた。


 投稿の下には、返信が並んでいた。


『完全に馴染んでる』


『黒服だけ浮いてる』


『一生の思い出になりました!!』


『世界一金持ちの一般参加者』


 私は最後の一行で指を止めた。


 一般参加者。


 たしかに、写真の中のヴァルガスはそう見えた。少なくとも、本人だけはそのつもりで写っている。


「あ、この前のイベントのやつですね」


 あかりが、背後から私の肩越しに画面を覗き込んだ。


「そう」


「すごいですね。完全に馴染んでます」


「警護の人たちは大変ね……」


 私は黒いスーツの男たちを拡大し、それから顔を上げた。


「少しは自重していただかないと」


 画面の中の集合写真。その中心人物が、いま、応接スペースの向かい側に座っている。


 私はスマートフォンを机に伏せた。


 目の前のヴァルガスは、秋葉原の店名が入った紙袋から、応接室のテーブルに商品を取り出している。


 本、アクリルスタンド、缶バッジの袋、フィギュアの箱が並んでいる。普段なら来客用の湯飲みと資料を置く場所が、今日は完全に別世界だった。


 私は卓上のファイルを引き寄せ、膝の上に退避させた。


 ヴァルガスは箱の上部を丁寧に開け、透明なブリスターを引き出した。外箱の角を潰さない。テープを無理に破らない。そういう扱いだけは妙に慎重だった。


「楽しかったですか?」


 あかりが言うと、ヴァルガスは手元の作業から目を離さずに答えた。


「うん」


 短い返事だった。


「今日は秋葉原ですか、良かったですね」


「うん」


 ヴァルガスは満足そうに頷いた。


 親戚の男の子の相手をしているような言い方だった。クライアントに向ける声ではない。


「あかり」


 私は名前だけ呼んだ。


「はーい」


 あかりは返事だけして、一歩下がった。反省している顔ではなかった。


 玄関側にはヴァルガス側の私設警護が三人。廊下側に、警察の警護が六人。応接スペースの入口に一人。多分、ビルの外にもいるのだろう。


 これだけ人が立つと、圧迫感がすごい。


 給湯室へ向かう節子さんの導線、あかりがコピー機へ行く導線、私が応接スペースへ入る導線。そのすべてに、黒いスーツか濃紺のスーツの肩がかかっている。


 彼らは邪魔にならないように立っているつもりだろうが、それでも邪魔だ。


 私は膝の上のファイルを開き、ペンを手にした。


「それで、今日は何のご用件ですか」


 テーブルの上に広がった箱と紙袋を見てから、理由などない、ただの寄り道でなのではと、意味を込めて言った。


「永住権、取ろうと思う」


 ちゃんと理由があった。ただ、その意味がわからず、ペンを持つ手が止まった。


 ヴァルガスは、こちらを見ていない。フィギュアの角度を確かめている。


「いま、何と?」


「永住権、よろしく」


 あかりの動きも止まった。


 節子さんの電話の声だけが、事務室から低く続いている。応接スペースの外に立っていた警護の一人が、こちらを見た気配がした。


 私はペン先を紙から離した。


「希望すれば取れるものではありません」


「そうなの?」


 ヴァルガスは、そこで初めて顔を上げた。


 驚いている、というほどではない。自動販売機に入れた硬貨が戻ってきた時のような顔だった。


「そうです」


 私はペンをノートの上に置いた。


「少なくとも、私だけで判断できる話ではありません。在留関係の専門家に確認します」


「じゃあ、よろしく」


「……今、ですか?」


 ヴァルガスは、フィギュアをテーブルの真ん中に置いてはずらし、また置いた。満足のいく角度になったのか、笑顔を浮かべてから、「うん」と一言。


「あかり、高田先生に連絡を」


 あかりは「ごめんなすってー」と入口の警備の間を抜け、事務室の方へ走っていった。




◇     ◇     ◇




「おぉ……本物たい」


 高田先生は、私の横に腰を下ろし、目を丸くしながらヴァルガスを見ている。


 顔が赤い。


 頬だけではなく、耳まで赤かった。ネクタイは締まっているが、結び目が緩んで下がっている。足元はしっかりしているものの、声は普段より一段明るかった。


 節子さんが、盆を持ったまま一瞬だけ目を細めた。


 あかりも同じ顔をした。


 私も、おそらく同じ顔をしていた。


 ――出来上がっている。


「高田先生」


 私が呼ぶと、高田先生は唇を尖らせた。


「仕方なかたい。こっちは楽しく飲みよった最中だったとだけん」


 なぜ酔うと可愛さをアピールするのか、わからない。


 ヴァルガスは立ち上がり、身を乗り出して手を差し出した。


「イーサンです」


「存じ上げとります」


 高田先生は握手をした。


 赤い顔のまま、笑みだけが消えた。


「そいで、麻生先生」


 声が少し低くなる。


「急ぎっちゅうとは、何ね」


 酔っている。いや、なんとかなるだろう。


「ヴァルガスさんが、永住の申請をしたいそうなので。高田先生、お願いできますか」


 赤かった顔から、血の気が引いたように見えた。


 ただ、顔はまだ赤い。


 ややこしい。


「永住権」


 ヴァルガスの発した単語に、高田先生はソファの背から体を起こした。


「えーっと、あれです。永住権いうたら、まあ、皆さんそう言うんですけど」


 後半で言葉が平常運転を取り戻した。


「正しくは、永住許可です。権利ではなく、許可であることをご認識ください」


 ヴァルガスが頷くのを見てから、高田先生は続けた。


「まず、前提を整理します。永住許可は、本人が日本に住みたいというだけで判断されるものではありません。見るのは、素行、独立生計、それから国益適合です」


「国益……うん、国益か」


 ヴァルガスが言った。


 その言葉は、自分の中で確認している作業にも見えた。


「はい。日本に永住することが、日本の利益に合うと認められるかどうかです。その中で、在留実績、公的義務の履行、いま持っている在留資格と在留期間、活動の実態を見ます」


 高田先生がそこまで言うと、ヴァルガスはフィギュアの角度を直していた手を、一度だけ止めた。


 次の瞬間にはまた動き出し、満足のいく位置に置き直していた。


「私は、もう住んでる」


 ヴァルガスは軽く言った。


「住んでいる、という事実を、どう積むかです。まあ、経済的な意味での国益なら、申し分ないどころじゃないとは思いますけど」


 高田先生は即座に返した。


「通常は、長い在留実績が要ります。もちろん、例外もあります。高度人材として見るのか、特別高度人材として見るのか、日本への貢献で見るのか。ただ、どの道を取るにしても、作り方を間違えると後で詰まります」


 高田先生は、テーブルの上に並んだフィギュアの箱と紙袋に目をやった。


「ヴァルガスさんの場合、普通の個人とは違います。経営、投資、財団、国内外の活動が全部絡みます。警備や移動の記録も、生活実態を整理するうえでは無視できません。何を日本で行っているのか。何が個人で、何が法人で、何が財団なのか。そこを分けないと危ない」




◇     ◇     ◇




 ヴァルガス一行が事務所を去り、帰りの身支度を整える高田先生に言った。


「私だけでは無理です」


 永住許可。本人希望。前提整理。


 文字だけ見れば普通の内容だ。


 ただ、ヴァルガスは普通ではない。


 高田先生は鞄を持ち上げた。


「まずは、今の在留資格と在留期間、入出国の履歴からですね。あとは、国内での活動実態。個人、法人、財団、その切り分けです」


「こちらで資料をまとめます」


「頼みます。急ぐなら、なおさら最初を間違えないことです」


 高田先生は、そこで一度息を吐いた。


「明日、朝――いや、昼過ぎにでも電話ください。酔いがさめたんで、飲みなおします」


 私たち三人で頭を下げ、高田先生を見送った。


 扉が閉まる。


「また仕事、増えましたね」


 あかりが、応接テーブルの上を見た。


「そうね。私たちも今日は帰りましょう」


 応接テーブルのファイルを閉じ、立ち上がる。


 あかりも紙袋を手に、応接室を出た。


 事務室に戻ったところで、椅子に座って茶をすすっている男と目が合った。


 濃紺のスーツ。


 男は湯飲みを両手で持ったまま、一拍遅れて立ち上がった。


「先日はどうも」


「どうも」


 返事をしたところで、廊下から声が飛んだ。


「朝倉ーっ!」


「では、失礼します!」


 湯飲みを机に置き、男は足早に事務所を出ていった。


 カッカッカッと、階段を駆け下りる音が遠ざかっていく。


「先生、お知り合いで?」


 あかりが訊いた。


「たぶん、K町の邸宅で警備をしていた警察の人」


「警察も大変ですね」


 あかりは自分のデスクへ戻りかけ、途中でスマートフォンを見た。


 足が止まった。


「先生」


 嫌な予感がする。


「ヴァルガスさん、早速投稿してます」


 私は視線を逸らした。


 あかりは、逃がさないというように、スマートフォンの画面を私の視界に差し込んできた。


<Z:英語からの翻訳 / 原文を表示>

『永住決定。もうすぐ日本人』


 投稿の下で、返信の数が増えていく。


 決定って……申請すらまだなのに。


 私は、さらに顔をそらした。


 事務所の電話が鳴った。


 節子さんが盆を手にしたまま、受話器へ手を伸ばす。


 その手が届く前に、二番のランプが点いた。


 続けて、三番のランプも点いた。


 この事務所にある回線が、全部鳴っていた。


 帰る支度をしたはずの手で、私たちはそれぞれの受話器を取った。


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