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納税者は二度死ぬ  作者: 紀友
第二章 日本に住むということ

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第十二話 表と裏


 旧軽井沢銀座通りは、観光客のための通りだった。


 車のためでも、警護のためでもない。まして、世界中の投資家と政府機関と報道機関を振り回している男を歩かせるための場所ではなかった。


 道幅は広くない。


 店先には、ジャムの瓶や菓子箱や土産物が並び、それを見る客が足を止める。犬を連れた夫婦、ベビーカーを押す家族、ソフトクリームを手にした若い女たち、土産物の紙袋をいくつも下げた老夫婦。そういう人間が、通りのあちこちで流れを作り、また詰まらせていた。


 車列が通りに突っ込んできた想定で、いかに対象を護衛するかを頭の中で組み立てた。


 通りの奥で、人の流れが乱れた。


 次に、本庁の警護が見えた。


 その内側に私設の警護があり、中心にヴァルガスがいた。


「――対象を現認。引き継ぐ」


 ヴァルガスは店先の棚に並んだ小瓶を、ひとつずつ手に取っている。


 ラベルを読み、隣の瓶と見比べ、店員に何か質問している。店員は緊張した顔で頷いていたが、その挙動に不自然なところはない。


 距離は悪くない。近すぎると買い物の邪魔になる。遠すぎると、店先で詰まった時に割り込まれる。三人のうち、右後ろの男だけが観光客の流れを気にしすぎていた。


 私設の警護は、対象にいちばん近い位置にいた。


 左右と半歩後ろ。距離は近いが、買い物の邪魔にはなっていない。ヴァルガスが突然横へ動くことも、店員に話しかけることも、最初から織り込んでいる立ち方だった。


 本庁の警護は、その外側にいた。


 私設が対象を動かすための内円だとすれば、本庁は周囲を押し返すための外円だった。


 観光客の流れが、ヴァルガスに引き寄せられるように渦を作り出している。


「通行の方、そのままお進みください」


 所轄制服警官の声は柔らかい。土地勘のある者に、向いた仕事をさせている。


 俺は、観光客の一人として通りの反対側に立っていた。


 両手には紙袋を下げていた。中身は焼き菓子の箱。警護からすれば、両手がふさがった人物は一段下がる。


 お土産物の荷物番をしている旦那、といったところだ。


 店の向かいに、ソフトクリームを持った女がいた。溶け始めているのに、ひと口も減っていない。視線はヴァルガスの顔ではなく、警護の立ち位置に向いていた。


 その奥、絵葉書の棚の前に男がいる。絵柄も値札も見ていない。棚の隙間から、店先と通りの出口を交互に見ている。


 暑いなと、襟元に手をやりながら自然に視線を上方へとやった。


 二階の窓際にも一人。観光客なら、窓から下の通りを眺める。そいつは窓ガラスの反射を使って、通りの端に停められた車の位置を拾っていた。


 アメリカ側は、見分けやすい。


 隠れていない、というほど雑ではない。だが、こちらに見つかったところで困る動きでもなかった。立つ場所は決まっている。対象に近づきすぎない。警護の外縁を見て、車列を見て、撤収導線を確認する。


 こちらが把握済みの顔が二人。初見が一人。


 向こうも、こちらが見ていることには気づいている。目が合うことはないが、互いに相手の位置を外さない。上の方で話がついている相手の距離だった。


 情報収集程度という認識で、民間に任せているのだろう。


 問題は、その外側だった。


 中国語を話す観光客の集団は、通りのあちこちにいた。


 それ自体は何もおかしくない。旧軽井沢で外国語が聞こえるたびに、いちいち反応していたら仕事にならない。家族連れもいる。店先で写真を撮り、値札を見て、同行者に声をかけ、狭い通りの流れに文句を言う。彼らは、だいたい彼ららしい面倒さを持っている。


 その中で、一組だけ違った。


 四人組。男が二人、女が二人。年齢も服装も、観光客としては不自然ではない。


 だが、詰まった通りに押されても、誰も声を上げなかった。前の客が急に止まっても、顔をしかめない。店先の棚に目をやるが、商品を選んでいない。スマートフォンを持っているのに、ヴァルガス本人を撮ろうともしない。


 群衆に同化することに徹している。


 目立たないように、情景の一部になろうとしているのが見え見えだ。


 四人組のうち、前にいた女が半歩だけ外へ出た。


 ヴァルガスへ向かった、というほどではない。店先の棚に興味を持った観光客にも見える。だが、足の向きが商品ではなく、対象と私設警護の隙間へ向いていた。


 近い。


 俺が動く前に、日傘が視界に入った。


 日傘を差した女が、四人組の斜め前を横切る。帽子に薄手の上着。手には土産物の袋。観光客同士のすれ違いとしては、不自然ではない位置だった。


 日傘の縁が、前に出た女の顔を隠した。


 次の瞬間、土産物の袋が傾いた。


 小さなキーホルダーがいくつも、通りにばらける。


「あ、すみません」


 日傘の女が言った。


 四人組の女は、足を出し切る前に止まった。足元に転がったキーホルダーを避けるために、周囲の観光客も立ち止まる。後ろから来た客が詰まり、通りの流れが一拍だけ崩れた。


 日傘の女は、しゃがんでキーホルダーを拾い始めた。


 ひとつ、ふたつ。


 動きは遅すぎない。だが、早くもない。落とした本人として自然に見える範囲で、四人組の前に時間を作っている。


 表の警護は、その乱れを見て、対象を店内側へ寄せた。


 私設の警護が一歩だけ位置を変える。ヴァルガスの肩と通りの間に身体を入れ、商品棚を見るふりをしていた観光客の視線を切った。


 ヴァルガスは、手にしていた瓶を店員に渡した。


 それから、足元で起きた小さな騒ぎに気づいたように、日傘の女の方を見た。


 ――気づいたように。


 俺はその一言だけ、頭の中で訂正した。


 日傘の女は顔を上げない。四人組の女の顔も、まだ傘の陰に隠れている。


 ヴァルガスはそちらを向き、手を上げた。


 誰かが声を上げた。


 そこから先は早かった。


「こっち向いた」


「手、振った!」


「ヴァルガス!」


 歓声が膨らむ。その姿を映そうと、スマートフォンがいくつも頭上に上がった。制服の警官が、声を荒げないぎりぎりの音量で、通行を促した。


「立ち止まらずにお進みください!」


 日傘の女は、最後のキーホルダーを拾い、土産物の袋に戻した。軽く頭を下げると、人の流れに戻っていく。


 次に四人組のいた場所を見た時、そこには別の観光客が立っていた。


 対象は、またジャムの棚に視線を戻していた。


 いいご身分だ。




◇     ◇     ◇




 ヴァルガスを乗せた車列が、邸宅の前に差し掛かった。


 一時期よりは落ち着いた報道陣の車両を避けながら、先頭車両が入り、対象の乗る車が続いた。


 数台のカメラがその姿を追いかけ、車道に身を乗り出したところで、制服警官に制止されていた。


 門が閉じる。


 陽も傾き、今日の外歩きはこれで終了だろう。


『――戻れ』


 丹羽の声が、耳の奥に短く入った。


 俺は門前の報道陣とは逆の方向へ歩き出した。


 正門前は報道と本庁が抑えている。


 黒塗りのワゴン車に乗り込むと、そこにはすでに四人の姿があった。


 運転席に一人。助手席に一人。後部座席に二人。


 黒いワゴン車は、公道を東へ外れた位置に停めてある。そこなら、メインゲートへ入る車列と、車庫棟・サービスヤード側へ回る車両の両方を拾える。敷地の中は、ヴァルガス側から許された、防犯カメラの映像を共有することでカバーしている。

 最後尾にあたるエリアには、四枚の小型モニターと端末が置かれていた。


 四枚のモニターの映像は、数秒おきに切り替わっていた。プライベートエリアを除いた敷地内の防犯カメラ映像が、ヴァルガス側から共有されている。


 少し遅れて、日傘の女が戻ってきた。


 帽子に薄手の上着。手には土産物の袋。日傘は畳まれて、腕に掛かっている。通りにいた時と同じ格好だったが、佇まいは変わっていた。


 女は俺の隣まで来ると、無言で腰を下ろした。


 助手席の男が、サイドミラーを見た。


 車の気配が、ワゴンの後ろで止まる。


 数秒遅れて、スライドドアが外から開いた。


 男――丹羽が乗り込み、空いた席に腰を下ろすと同時に口を開いた。


「対象が自宅に戻った。一組を残し指示があるまで作業場で待機。何かあるか」


 人に向けた声というより、端末に入力された指示が、そのまま音になったようだった。


 後部座席の若い男が、口を開いた。


「アメリカは三です。既知二、初見一。対象への接触はありません。見ていたのは、対象ではなく表警護の配置です」


「扱いは」


「記録のみ。上には回します」


 丹羽は頷かなかった。


「他」


「確定で二。可能性ありが四です」


「近づいたか」


「一人だけです。店先に寄る角度を作りました」


 後部のモニターの一枚が拡大された。


 旧軽井沢銀座通りの店先。四人組の先頭にいた女が、通りの流れから半歩だけ外へ出ている。その直後のコマでは、日傘が女の顔を隠していた。さらに次のコマでは、足元にキーホルダーが散っている。


 丹羽は画面を見たまま言った。


「何を言った」


 日傘の女は、膝の上の土産物袋を片手で押さえていた。


「謝っただけです」


「接触は」


「ありません」


 丹羽はそこで画面から目を離した。


「虫払いは本庁に任せろ。処理系統が乱れる」


 日傘の女は返事をしなかった。


 丹羽も、それ以上は求めなかった。


 助手席の男が言った。


「一人二人、表に職質させて身柄を押さえますか」


 運転席の男が、続けた。


「別件で使えます」


 呼応するように、助手席の男が身を乗り出した。


「やめろ」


 丹羽は即答した。


「本件を別系統と絡めるな」


 機材のファンの音を耳にしながら、俺は手を軽く上げて丹羽の視線を拾った。

 

「なんだ」


「表、本庁側に知ってる顔があります」


「気づかれてはいないな」


 丹羽は、俺の返事を待たずに内ポケットへ手を入れた。スマートフォンを取り出し、操作を始める。


 助手席の男が、素早くメモ用紙とボールペンを手に腕を伸ばしてきた。


 俺は素早くその警官の名前を書き殴り、操作を終えて顔を上げた丹羽に渡す。


「こいつは邸宅警備から外す。――他には」




◇     ◇     ◇




 俺は、白いステーションワゴンの助手席に乗った。


 運転席には日傘の女。俺が乗り込むと同時に、滑るように走り出す。


 車には二人だけ。各組、異なる作業場を利用することで、不測の事態を回避するためだ。


「あの時、何を言った」


「言ったでしょ、謝っただけ」


「日傘で口元を切ってた」


 女は前を見たまま答えず、ハンドルを切った。


「余計なことをするなら外れろ」


「せっかく組んだのに、ひどいこと言うのね」


 女は小脇に置いた紙袋から、キーホルダーを取り出し、コンソールボックスの上に置いた。


「おひとつどうぞ」


 『軽井沢』と立体的に書かれた焼き印。さっき通りに散ったものと同じだ。


 俺はキーホルダーを手に取り、指先で転がしてからコンソールボックスの上に戻した。


 そして、胸元の拳銃を抜いた。


 女の肩が跳ねた。


 次の瞬間、車体が前につんのめる。タイヤが落ち葉を噛み、短く擦れる音を立てた。


 女は慌ててハンドルを切り、車を路肩へ寄せた。停まるまでの数秒、視線は前ではなく、俺の右手に落ちていた。


「ちょ、ちょっと! なんなの!!」


 俺は銃口を向けず、グリップの底をキーホルダーへ向けて、一気に振り下ろす。


 一度目でひびが入り、二度目で割れた。


 中から、小さな基板と薄い電池が出てきた。


 俺はもう一度、グリップの底で叩いた。


「余計なことをするな」


 女は口元を歪め、アクセルを踏んだ。


 荒っぽい音を立てて、車はまた別荘地の奥へ向かって走り出す。


「覚えてなさいよ……」


 女の恨み節を、俺はシートを倒して聞き流した。


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