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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸


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第八章――炎(ほむら)の子【中編】⑪――

 「奴らめ。妙なわざを使う」


 馬上にて角笛を弄びながら、ひとりの地の民(アマリ)が唸った。


「あのような馬具までつけて……こちらは着の身着のままだというのに。俗世を知らぬ蛮族と侮っておったわ」


 忌々しく褐色の目を光らせる男の装いは、女神の御手が金で箔押しされた、大層立派な黒革の外套だった。

 ほつれも汚れもなく、隊長の証である、金の房飾りもまったく色褪せてはいない。

 この行軍のために新しくしつえた装備だったのであり、また、男の側には日々身のまわりを細々と世話する従者がいた。

 実のところ、着の身着のままという言葉ほどに、男は労力を払ってはこなかったのである。

 男は角笛をすぐ側に控えている、件の従者に押しつけた。そして背後に並ぶ部下たちへ、声高に命じた。


「敵は今、ひとどころに追いつめた! 掌握まで今少しであろう。だが妙なまじないを用いて馬を惑わせてくる。今度こそ油断せず、全力を以ってこれを殲滅せよ!」


 命令に一部の戦士たちはわかりやすく表情を曇らせた。

 隊長が示すした先は風車が横並ぶ丘の上の天幕群であり、今、ほとんどの天の民(ヴィト)がそこに逃げ込んでいると伝わっていた。更にはそこから現れた戦闘員によって、反撃を受けたばかりでもあった。

 この反撃がまた手痛く、戦士たちの内の半数が死傷で戦闘不能に陥っていた――馬は突如響いた奇妙な歌声によって、ほとんどが不可思議な眠りについて使えず、無傷で残っているのは後ろに控えていた上官らと一部の若手だけ。まったく続けられない程ではないにしろ、戦力は欠けていた。

 山壁の向こうに密かに築かれていたこの里は、戦士たちの予想を越えた規模であり、たやすいと思われていた相手の力も未知数だったのだ。

 なのに具体性も何もなく、ただ全力を尽くせという命令に難色を示すのは当然だった。


「あの、隊長殿。この進軍ははたして今、どうしても必要なことでしょうか?」


 一瞬、その場に緊張が走った。口を開いたのは、隊長の従者である若者だった。


「我々の任務は、帝国まで無事に帰還することのはずです。これでは――」

「このたわけが!」


 隊長は突然馬の鞭をしならせて、従者をぴしゃりと打ちすえた。


「女神にお仕えする身でありながら、目先のことしか考えられぬのか!」

「しかし……しかし、かの御方も、速やかな帰還を望まれているではありませんか」


 鞭の跡が刻まれた頬を押さえ、まだ懸命に従者は訴えた。


「山道を大きく逸れていますし、帝国とは反対です。それに、何もこのようなところまでお連れしなくても……」


 従者が隊長から視線を逸らした。彼の見る先、戦士たちの背後には、ものものしい場には似つかわしくない、絢爛な箱馬車が控えていた。

 細部が緻密な外装の馬車は現在、車輪が外され橇板がつけられている。険しく雪深い山道に分け入るため、わざわざ装備をつけ替えたからだ。

 従者の訴える通り、そもそもここにいること自体、彼らの本来の任務には組み込まれていなかった。


「せめて山壁でお控えいただくほうが……このように血生臭い場所、刺激が強すぎます」


 隊長は従者を更に打ちすえて叱り飛ばした。

 もっともらしいことを訴えてはいるが、惨状に怖気づき、保身しか頭にないのが明らかだったからである。


「姫君の御車(みるくま)が進軍することに、意味があるのではないか! 彼奴等に何者が参上なされたのか見せつけ、かつ、華々しい功績を築くために必要なことだというに。それがわからぬとはこの愚か者!」


 隊長は馬鹿な顔をさらす従者に、はては部下たちに向けて言い放つ。

 士気を下げてしまうことを危惧して、己の胸のみで受け止めていたが、とうとう明かさねばならぬ時が来たようだ。

 隊長は息を吸い込み、もったいぶった口調で語り始めた。


「よいか! 帝国において、我らが姫君は極めて不安定なお立場にある。政争より離れ、遠い異国の血で蝶よ花よと愛でられお育ち遊ばされたが、それゆえになんの実績も後ろ盾も持っておられない。何より姫君は、大層意志薄弱なかたなのだ……」


 語りながら隊長は、姫君の尊顔を拝した最初の日のことを思い浮かべた。

 顔合わせの日、隊長が如何に此度の任務を誇りに思っているか述べた際、姫君はすぐには答えなかった。

 訝しみだすほどの時間がたった頃、ようやっと「大義である」と告げられ顔をあげると、そこには侍女の腕に絡みついておどおどと目を伏せる、臆病極まりない少女がいた。

 姫君は細面にすっきりとした見目の、美しい少女だった。しかし中身の凡庸さが、容姿を十人並みにまで落としこんでいるとすぐに理解した。

 受け答えのたびに姫君は侍女か直属の護衛に助けの視線を向けて、手招いては耳打ちし、答えてもいいものかの判断を求めてばかりいたのだ。

 侍女に促がされて熟考の末に出てくるのは「守護の任を全うせよ」か「汝の良きように」という始末。道中気をもみ、不足は無いか、心身健やかかと訊ねてみても、目元を伏せてうつむいてしまう。

 そしていずれも自らの口ではなく、侍女に言わせるという有り様だった。後に隊長は、初日の御言葉すらも侍女が代弁していたのだと気がついた。

 成人前とはいえ、十五という実年齢よりもずっと幼く見え、無礼ながら申し上げれば、尊き血が御身に流れていなければ、下女になるのが妥当のような主体の無さ――底の浅さが知れたのだった。

 隊長は正直に言えば、これが自分の仕えるべき主かと落胆した。そしてすぐ、このままにしてはおけぬと決起した。

 たとえ如何に愚鈍な主であっても、部下次第では如何ようにも化けると。

 ましてこのうら若さなのだから、のびしろがあると思うべきであり、これは女神より自らに与えられた試練に他ならないのだ。

 馬車の天蓋から、重く垂れる紅と深緑の帳の向こうにおわす姫君にも聞こえるよう、隊長は声を張った。


「もちろん心根のお優しさは美徳である。だがあれでは、あっという間に食い物にされてしまうだろう。お血筋のみを見て、そこにつけこみたがる輩はごまんといるからな。まことに嘆かわしい……。だがまだ望みはある。せめてお立場だけでも盤石になるよう、我らが尽力して支えるのだ!」

「……それが、いったい、任務を外れてこのような山奥の天の民(ヴィト)を蹂躙することと、どう繋がるのですか」


 鞭が再びしなり、従者は悲鳴をあげてのけぞった。


「ここを見ても、まだ深刻さがわからんのか大馬鹿者! 奴ら、女神の目を逃れてこのように増えていたのだぞ! あの『(いち)』やらと同じく、反乱分子の溜まり場ではないか! 一刻も早く潰さなければ陛下の――はては帝国の威信に関わるというに!」


 完璧な正論に、従者はもう反論はしなかった。いや、できなかった。顔面めがけて執拗に振られる鞭が、瞼や唇を裂いてそれどころではなかった。

 隊長は馬上で鞭の痛みに呻きながら耐える従者の姿を、さも滑稽な物でも見るように鼻を鳴らした。


「……逃亡奴隷を捕獲するという話は、どうなったんだ?」

「しっ! 俺たちも打たれるぞ」


 従者と年の近い若手たちがささやきあった途端、彼らの前に立ち並ぶ上官たちが、こちらに睨みを利かせる。

 目を合わさぬように視線を落とし、心では勇気ある従者に同情した。


(くそっ――なんでこんなことに)


 本当なら彼らはとっくに帝国に戻り、次の任務まで鍛錬をこなしながら、日々を過ごしていたはずだった。

 なのに彼らがこの天の民(ヴィト)の隠れ里を見出して現れたのは、予定外の殲滅を行っているのは、この隊長の独断のせいに他ならない。

 最後に立ち寄った街で彼らは――いや、隊長は――とある商家から、貴重な薬の精製に携わっていた奴隷が、逃げだしたのだと泣きつかれた。

 本来ならば街に配属された警備の仕事になる。なのにあろうことかこの隊長ときたら、女神の戦士の威信にかけて、捕えてみせようと安易に請け負ったのだ。 

 道中、帝国より伝令を携えた迎えの戦士のうち、三人が行方知れずになったことや、本隊に合流した一人から、天の民(ヴィト)の子供の襲撃を受けたという情報が入ったのもまずかった。

 隊長はそう遠くには行っていないだろうと算段をつけ、山道をそれて山に分け入るように命じたのだ。仲間を見つけ、戦士に弓引く不届き者を捕えよと。 

 そして彼らは幸運にも、逃亡者の集団を発見した。ここまではまだ良かった。良くなかったのはその集団の中に、探している逃亡奴隷も天の民(ヴィト)の子供もいなかったことだ。

 なのに、帝国に居場所をなくした地の民(アマリ)と、元より居場所のない天の民(ヴィト)が中睦まじく交流する場所があると、聞き出してしまったのだ。

 賢明であれば、この時点で任務に戻る判断をしただろう。素知らぬ顔で引き返すことはまだできた。帝国に戻り、一言報告すればそれで済む。

 だが隊長が下した決断は更なる進軍だった。

 そうして辿りついた市にも、逃亡奴隷はいなかった。天の民(ヴィト)の子供は複数いたが、どれも別人だった。もう立ち去っていたのか、そもそもの算段を見誤っていたのか。それはもはやどうでもいい。

 隊長は市の徹底した取り潰しを命じ、一部の逃亡者をひっ捕えた。

 地のアマリと対等になろうとする不埒な蛮族については、逆らう姿勢の強い者もろとも始末した。

 暴走はまだ終わらなかった。

 異例の抜擢を受けた、この幸運な隊長含めた戦士半数――特にこれといった実績もなく、鳴かず飛ばずで、ただ齢を重ねただけの上官たちは、このままで帰れるかと更に躍起になっていった。

 何より隊長は、例の商家の頼みごとを請け負う代わりに、相当の旨みを得ていた。このまま帰って任務脱線の理由を追及されるのは、なんとしても避けたかったのだ。


「この巣を見事駆除できた暁には、大きな功績になる――地帝陛下も我らの働きにご満足なさるであろう。これ以上姫君も、軽んじられることはあるまい」


 この隊長の特技といえば、自分が不利益を被らぬためなら、どんな風にでも大義をたてられることにあるかもしれない。

 お優しい姫君は今頃馬車の中で、この現状に恐れをなして侍女にしがみついているに違いない。

 だが世を統べる偉大な血族の娘であるならば、美しい世界ばかりではなく、時には厳しい世界にも身を投じねばなるまい。女の印以外の血の道というものを、体感すべきなのだ。誰かが導いてやらねば。そして誰もいないなら、自分こそがそうしてやらねば。

 そうとも。これは姫君の今後の為に必要なことだ。

 ――とはいえ。

 とはいえ、あの重たげなまつげが悲しげに伏せられ、潤むまなざしが頼れるあても無く途方にくれる様を想像すると、どうしても嗜虐的な欲望が湧いてきてしまうというものだった。


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