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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸


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第八章――炎(ほむら)の子【中編】⑩――

 襲撃を受けた住民たちのほとんどが、庇護を求めてブラギや自警団の天幕を目指していた。

 逆に山壁や大川を目指した者は少なかった。特に大川の船着き場へは襲撃が届いていなかったのだが、そもそもここは市から戻ることを目的としているので、舟を常住させてはいない。

 誰も逃げ場所には選ばず、向かったのは危機を伝えにいった見張りの家族くらいだった。その為船着き場の者たちは、そのまま敵にも味方にも知られず留まりそっと息を潜めていた。

 自らの足で。あるいは馬で。あるいは自警団に抱えられながら。皆一様に汚れ、怪我をし、悲愴さを全身に纏わりつかせながら。

 やがてそこには、ヨトゥンヘイムのほとんどの住民たちと戦力が集結していた。


「奴らは夜間の内に、抜け道のひとつから侵入していたようです。山壁を背に、横並びに広がって居住地を包囲していたと思われます。抜け道の見張りは――恐らくその、夜間のうちに。早朝の交代の者も」


 自警団の天幕に戻ってきた若者が、息せききってブラギと覡巫(ヴォルヴァ)、そしてエイナルの前で報告したのは、空恐ろしい事実だった。


「そうして明け方まで待ち、今も、か。――ぞっとしないな。そもそも奴ら、どうやって抜け道を通ってきた? まじないが破られでもしたか?」

「かのまじないは破られるようなものではない」


 覡巫(ヴォルヴァ)が、しゃがれた声を発した。


「ここに辿りつくための道しるべは、ごく一部の者しか知らぬ……そして正しき道は、天の民(ヴィト)ならばわかる。天の民(ヴィト)でなければわからぬ……そうであるからこそ働く代物じゃ……天王を敗北神と蔑む輩に、これを破り侵入することはできぬ……」


 ぐったりと蒼白の覡巫(ヴォルヴァ)はエイナルに支えられ、両の鼻、そして両の耳、更には両のまなこから流れ出る血を拭われていた。

 風を操り呪歌(ガルドル)を唱えた代償だった。


「――いや、侵入はできる」


 エイナルが呟いた。


「襲撃前、居住地ではケヴァン殿の所を含めた複数の牧が、火災にあったと聞きました」

「それがなんだ」

「ケヴァン殿を助け出した人の話では、発見した時、彼は既に息絶えていたそうです。左胸をひと突きされていたと」


 ケヴァンの死については、もう聞き及んでいた。その妻の無惨な亡骸についても……。

 ケヴァンもグズリも、他者に命を奪われるような人間ではなかった。それこそ家族に囲まれて、往生してこそが似合いだったというのに。

 ブラギは、苛立ちまぎれにエイナルをねめつけた。


「まだるっこしいぞエイナル。何が言いたい」

「もしもの話です」


 エイナルは目元を伏せた後、淡々と続けた。


「抜け道の正しい道しるべを、知る者がひとりいれば良いんです。人の顔もわからない暗がりに、堂々と居住地を練り歩き、見通しがきく朝方に火を放つことはきっと難しくない。――それが、天の民(ヴィト)なら」


 ブラギは眉をひそめた。そしてエイナルの推測の意味するところに気づくと、表情を変えて怒りをほとばしらせた。


「――馬鹿な!」


 ブラギの怒声に、集まった自警団の若い衆は、自らが叱られたように肩をすくめさせた。

 ブラギはエイナルの胸ぐらを掴みあげた。


「それでは牧の火災は、こちらの足を奪い、奴らに居住地の配置を知らせるための、合図だったとでもいうのか――ここを敵の手に陥らせて、いったい何の得がある! 何が目的だ!」

「――もしもの話と言ったでしょう。そこまではわかりません。――ですが頭の隅には置いておいて下さい。奴らは撤退した訳ではなく、まだこのヨトゥンヘイムに潜んでいるんです――その、仮の、裏切り者も含めて」


 突き飛ばされるように解放されて、エイナルはよろめいた。

 ブラギは忌々しさに呻いた。エイナルの言うとおり、今導き出すべきは原因ではなく結果だった。

 戦士たちにとっては思わぬ反撃だったのだろう。それが虚を突き、今、追手の波は引いている。誰かしら今頃、本陣に戻り報告しているに違いない。

 こうして悠長に議論していられるのも、そのおかげではあるが――だからこそ、この一時の静けさが、敵の目的や出方をより見えなくさせる要因でもあった。


「奴らはどれくらいと見た?」


 この一言に、エイナルと察しのよい自警団の数名が表情を引き締めた。


「多く見積もって、五十から六十前後かと思います」

「同意だな。それ以上であれば、このように悠長にはしてられなかったろう。大軍とは言えん」


 エイナルはまなざしを厳しくさせた。


「相手は群れなす女神の戦士ですよ」

「逃げおおせた者は一生の運を使い果たす。だったか? だがなエイナル。実際に剣を交えてみてわかったが、奴ら、明らかな実戦不足だったぞ。それも若造ではなく、俺のような男盛(おとこざか)りがだ」


 自警団の何人かが頷いた。相当の覚悟をもって挑んだ彼らだったが、そのほとんどが、手応えの無さに肩すかしを食らった気分でいたのだ。


「剣舞と同じだ。型に添えば美しいが、実戦では通用しない。奴らの剣さばきはお行儀が良く、重く、鈍く、ど素人丸出しもいいところだった。女神の戦士とやらは、今や平和ボケして烏合の衆と化しているのじゃないか――なめられたものだ」


 鼻で笑うブラギの表情は、どこかすさんでいた。


「俺はこのまま、奴らの好きにさせるつもりはない。そして動くならば今だ。追撃の手を引き次を考えている、今しかあるまい」

「罠ということもあり得ますよ。誘い込むつもりなのかもしれない」

「ならばこそ! 飛び込んでやろうじゃないか。これ以上の猶予を与えてなるものか」

「ブラギ殿。頭に血が昇りすぎて忘れてやしませんか。敵の本陣に、女神の血族が控えていたらどうします」


 女神の血族――この一言で、周囲が別の意味でざわつきだした。一部の者は、帝国に帰還中だという、血族の噂を聞き及んでいたのだ。

 もしも血族含めた女神の戦士たちが、初めからこちらの殲滅を目的としていたら、五十どころか、百もの大軍が山壁の向こうに押し寄せているかもしれない。 

 そうであれば戦いの末に待つのは、地獄だ。


「――静まれ!」


 戦士ばかりか、女神が。血族が。と、どよめく周囲をブラギの一喝が轟き黙らせた。静けさを取り戻したのち、ブラギはエイナルに詰め寄った。


「それならば尚のこと好機だ――その血族を拉致して、隠微に帝国へ脅しをかけることも可能だろうさ」

「馬鹿も休み休み仰ってください」


 それはさすがに、甘く見積もりすぎているとエイナルは思ったが、ブラギは止まらなかった。


「奴らは我らが築き上げたものを、不作法な泥足で踏みつけ血で(けが)してきた。これでいったい何度目だ! 何ごとにも限界というものがある――刃には刃で応え、血には血で報わせる。ただでは帰さん。礼儀を知らん輩どもに、目にもの見せてやろうじゃないか」


 かの血族が帝国において、はたしてどれほどの人物なのか。そもそもそこまで敵の内側に入り込み、捕える手段はあるのか。そして目論み叶ったとして――こちらへの被害はどれほどか。ブラギにわからないはずはあるまい。

 だがブラギと彼の周囲には、彼の無謀さに同調する者たち。同じ火で燃え上がり、灰になったとしても後悔は無いという、ひとつの意識と化した者たちばかりが寄り集まっている。彼らは今、噴火寸前の火山のようなものだった。

 こんな時、男たちの無謀さに真っ向から反発できたグズリはもういない。代理も立てられないこの状況では、彼女の不在もまた、発火するための燃料にすぎなかった。

 エイナルには、彼らを引き留めるだけの理由も、情報も、時間も、何もかもが足らなすぎる。


「それはならぬ」


 ブラギの血気を諌めたのは覡巫(ヴォルヴァ)だった。


「戦ってはならぬ。ブラギ。逃げよ」


 ブラギは燃え上がるまなざしを投げかけた。


「楽土を焼く敵を目前にして、背を向け逃亡せよと? 正気か覡巫(ヴォルヴァ)よ」


 並みの者であれば卒倒しかねない気迫が立ち昇ったが、覡巫(ヴォルヴァ)は熱波をたやすく受け流して、いずこかに遠いまなざしを向けた。


「逃げよ――そやつの推測通り、奴らが引きかえした先には、女神の血族が控えておる」


 冷や汗をかく息子を杖で示し、確信を持って告げる覡巫(ヴォルヴァ)に、全員が息を飲んだ。


「それは確かなことか」


 覡巫(ヴォルヴァ)は重々しく頷いた。


「天が、風と雲が、畏れをなしてわなないておる。大地が、草木が、かの者の参上に歓喜し、震えておる……これほど間近で、かような存在を感じとったことは無い。生きながら焼かれるようじゃ……」


 白く濁るまなこで、いったい何をとらえているのか――全身をわなわなと震わせ、新たに血の涙を滴らせる姿は嫌でも寒気を誘う。

 熱がいくら引いたところで、覡巫(ヴォルヴァ)は孫のいたずらを優しく咎めるような口調になった。


「ブラギ、おぬしは腕がたつ。豪気であり勇猛じゃ。それはおぬしの誇るべきところよ。このような状況でも(みな)を活気づけ、奮い立たせてくれよう――それこそ倒れるまでな。ディアスもそうであった」


 失われし楽園の最後の長の名に、ブラギの表情が固まった。


「ディアスも、おぬしと同じように考えたに違いない。このまま逃げてなるものかとな。わしはなブラギ。ヴァナヘイムの生き残りが、ついにあの、ディアスの遺児以外に現れなんだは、その勇猛さがもたらした結果と思っておる」


 口調こそ優しいが言っていることは厳しかった。


「ディアスは築いたすべてを己が手で守ろうとし、すべてをとりこぼして灰にしたのじゃ。何も、手放すことができなんだ……だがおぬしは、そうではあるまい。おぬしは、決断できるはずじゃ」

「……ヨトゥンヘイムを手放せというのか」


 覡巫(ヴォルヴァ)はゆっくりと瞬いた。


「左様。どうせ無謀に出るのなら、犠牲が少なく済む方に賭けよ。我ら雑草の如くであろう? 雑草と言うのは、踏みつけられても何度となく立ち上がるばかりが強さではあるまい。種を風に飛ばし、よそへ行ける自由気ままさ。そしてどのような不毛の地であっても、必ず根付いて芽吹く柔軟さもまた、強さなのじゃ」


 ブラギは一拍置いたのち、苦々しいため息を吐いた。


「何も俺とて、向こう見ずで戦おうとしている訳ではないぞ。逃げるのも容易ではないんだ。舟の数が足りない……全員を乗せることは、不可能だ」

「それならば病んだ者、老いた者――動けぬ怪我を負った者は置いていくがいい」


 ブラギが目を見開いた。


覡巫(ヴォルヴァ)、それは」

「どうせ長くはもたぬし、逃げるには向かぬ者たちよ。このわしも、もう長旅には耐えられぬ。そして悩む時間も残されておらぬ」


 覡巫(ヴォルヴァ)が呟くなり、息せき切った自警団の者が、天幕に飛び込んできた。


「長殿、次が来ます!」


 開かれた幕の向こうから、敵の角笛の音がここまで届いてきた――人々に緊張が走る。

 覡巫(ヴォルヴァ)のまなざしの奥が、冷酷に光った。


「決断せよブラギ。置いていけ」


 結局猶予は、あったようでほとんど無い。ブラギは沈黙し、逡巡し、やがて、拳をふりかぶって天幕の支柱を殴り付けた。


「……くそったれめが!」


 周囲の者たちが、支柱の振動に共鳴して握り拳を作っていた。そして長としての、ブラギの決断を待った。

 ブラギは表情を改めると、再び覡巫(ヴォルヴァ)に向き直った。


「――大川以外の退路も欲しい。だが時間が無い。再び、頼まれてくれるか? 覡巫(ヴォルヴァ)よ」


 覡巫(ヴォルヴァ)は頬笑みらしい表情を浮かべた。


「こんな老いぼれでも、あといくらかは動けようぞ。――何、案ずるな。残った者は、(みな)、わしが導く」


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