第三章 硬い足音
「ああ、こちらは問題ない。すまんな、手間をかけさせて」
『いえいえ! 先生にはお世話になってますし、愛する国民に害をなした、憎き悪霊を誅するためです! いくらでも協力させて下さい!』
日付が変わり、しばらく経ったくらいの深夜、私は滞在しているホテルの部屋のベッドに腰掛け、電話でアルフレッドと話していた。
現在、ホテルには私以外の人間はいない。アルフレッドに頼み、従業員含め全員避難させたのだ。チヨも城へと避難させている。
「おそらくあの霊は、私を狙ってくる。無関係の人間を巻き込むわけにはいかんし、こうするしかなかっただろう」
『見たな』。あの霊は、東の島国ニパングのものに似た言葉で、そう意味する言葉を発した。あれに近い現象は、十八年前、ティレニアで怨霊のチヨが起こしている。しかし、あの時とは違い、霊はすぐにはこちらに向かってこなかった。もしかすると、私がスキを見せるタイミングを狙っているのかも知れない。ならば、待ち構えるのみだ。
私だけが他の場所に一人いくことも考えた。しかし、仮にあの霊が、何らかの理由で私が元々滞在しているこの場所に来てしまった場合、他の人間が襲われる可能性が高い。場所は変えないほうが良いと判断した。
「とりあえず、定期的に連絡はする。もし連絡が途絶えたら……」
『先生! そんな弱気なことは言わないで下さい! らしくないですよ!?』
そうは言っても、あいつに相まみえたところで、対処することは今はできない。ティレニアで怨霊のチヨを退治したが、あの時は怨霊のチヨから、過去の地獄のような記憶を再生して流し込み、精神的なダメージを与えることで対処したのだ。それは、怨霊のチヨの過去を調べられていたからこそできたことだ。
しかし、殺人鬼の霊に関しては、今は何者なのかの正体が掴めていない。対峙し『パストヴィズ』で記憶を流し込もうにも、あれにとっての辛い記憶を探す時間はないだろう。
「……すまんな。とりあえず、できる限りのことはする。いいか、絶対にホテルには一人も近づけるな」
アルフレッドに忠告しつつ、複合探知計に目をやる。霊には反応しないが、好奇心を持った新聞記者などが潜り込んだ時用に起動しているのだ。時々目をやると、わずかに生命探知計のメモリが動いたりもしている。おそらく、ネズミや虫など、小さい生物だろう。
『ご安心を! 我が帝国軍が誇る、自律機械兵団を周囲に配備しています! ネズミ一匹通しませんよ!』
「ああ、それは残念だが……いや、なんでもない。頼りにしてるよ」
とりあえず、他の犠牲者が出ることは防げそうだ。あの殺人鬼の霊が、気まぐれにターゲットを変えなければの話だが。
「ところでアルフレッド、頼んでいた調査の件はどうなった?」
『ええ先生。亡くなった女性は確かに、事件の数日前、恋人とすすり泣く女を見に行っています』
やっぱりか、と納得した。同じ時期に近い場所で、これまで観測されなかった幽霊が、二体も現れたのだ。何か関係がありそうに考えたが、その通りであった。
だが、殺されたのは女だけである。恋人の男には、何の危害も加わっていない。もしかすると、これからの可能性もあったが。
「おそらく、あの殺人鬼の霊は、すすり泣く女と何かしらの関連性がある。何でもいい、そちらの方ですすり泣く女について調べてくれ。特に、現れた時期とか、その頃に何処かで事件が起きていないかとか」
『ええ! できる限りのことはさせていただきます!』
元々の依頼を返す形になってしまうが、あちらのことは、アルフレッド達に任せるしかない。こちらは今、自分の身を守ることを優先せねば。そう考えつつ、複合探知計に目をやった。
「……な、おい! 誰か入り込んでるぞ!」
生命探知計のメモリが、大きく揺れていた。この反応は、近くに人間大の生物がいる時のものだ。
「アルフレッド! すぐにこっちに機械兵をよこせ! アルフレッド!?」
電話口に怒鳴りつける。が、反応がない。ザザーという不快なノイズが聞こえるだけで、人間の声は一切聞こえない。
突如、生命探知計のメモリが、大きく動き始めた。まるで狂ったかのように、不安定に最大値と最小値を行き来している。一瞬壊れたか、とも考えたが、毎日点検しているのだ。そんなことはありえない。
『……カツン……カツン……』
ホテルの廊下の方から、硬く細いもので石を突くような音が聞こえた。日中に記録の中で聞いた、あの足音だ。途端、急激な寒気が全身を襲った。
「……おかしい、廊下の床は……」
ホテルの廊下の床は、絨毯だ。あのような硬い足音が鳴るはずがない。不可解な現象を起こすのは、霊特有のものなのだろうか。
(くっ……まずは様子見だ)
私は各種秘匿魔法を発動し、身にまとった。透明化、音遮断、生命反応遮断、などだ。そして、部屋の隅の方へと移動した。物をしまい忘れるような失態をしないよう、速やかかつ厳重に注意しながら。
『カツン、カツン』
硬い足音が、どんどん近づいてくる。二つ離れた部屋の前、一つ離れた部屋の前、隣の部屋の前、そして。
『カツン』
私がいる部屋の前で、足音は止まった。
扉をすり抜けて入ってくる、身構えつつ扉を注視する私の予想はそうだった。しかし。
『ピピッ カチャリ』
閉まっているはずの鍵が、開けられた。このホテルの部屋には、全て機械式のオートロックが設置されている。鍵を持たぬ者が、外から開けることは不可能だ。いや、それ以前に、何故鍵を開けたのだろうか。霊であるならば、扉をすり抜ければ済む話である。
『ギィィ……』
きれいに整備された扉で、鳴るはずのない軋んだ音が鳴り響いた。開いた扉から、過去の記録からこちらを睨みつけていた、女の霊が顔を覗かせた。髪の毛はバラバラに乱れ、その手には赤黒く濡れた包丁が握られている。着ている白いコートも返り血に染まり、薄気味悪い笑顔を浮かべ、部屋の中を覗き込んでいる。
『バタン!』
殺人鬼の霊は部屋の中に侵入すると、わざとらしく大きな音を立て、扉を閉めた。この行動が何を意味するのか、理解できなかった。殺人鬼の霊は相変わらず、赤いハイヒールを履いている。硬い足音の正体は、これだろう。
殺人鬼の霊は、ゆっくりと部屋の中を進んでいき、まずは扉のすぐ横にあるクローゼットに顔を向けた。クローゼットに隠れていると考えているのだろうか、立ち止まって見つめている。秘匿魔法に包まれた私を認識できていないあたり、やはり怨霊のチヨと同様、視覚や聴覚を頼りにしているようだ。
殺人鬼の霊は、しばらくクローゼットの前で立ち尽くしていた。が、中を確認するようなことはせずに、今度は対面の方にある、バスルームの扉前に移動した。そして、同じようにその場で立ち止まった。
(……何故中を確認しない? こいつは何がしたいんだ?)
数秒後、殺人鬼の霊は再び歩き始めた。部屋の中の方へと入り込み、ベッドの周りを二週ほど、ゆっくりと回った。部屋の床も絨毯なのだが、ずっと硬い足音が響いている。私の側まで近づいてきたが、やはり私には気づかない。
諦めたのだろうか、霊はゆっくりと、部屋の入口へと歩いていった。やはり扉はすり抜けず、取手に手をかけると、扉を大きく開いた。
(とりあえず、視覚と聴覚に頼っているのはわかった。さて、どうするか)
部屋から出ていったら、秘匿魔法を解除し対策を練ろう。そのようなことを考えていた矢先。
『バタン!』
殺人鬼の霊は、部屋の外には出ず、大きな音を立てて扉を閉めた。突然のことに驚き、思わず秘匿魔法の状態を確認した。見つかったと思ったのだ。しかし、秘匿魔法は解けていない。向こうからは私の存在は認識できていないはずだ。
殺人鬼の霊は、扉を閉めた後振り返り、部屋の中を見渡している。一歩も動かず、物音を立てないように。クローゼットを、バスルームの扉を、ベッドの歩下の方を、何度も見つめ回している。
(……まさかこいつ、私がどこかに隠れていると考えているのか?)
この霊がしている行動の意味が、ようやく理解できた。探すのを諦めて部屋から出ていったと見せかけて、安心した私が何処かから出てくるのを待っているのだ。
似たような行動をする人間を、過去数人ほど見てきた。いずれも、息をするように生物を殺すような狂人だった。
殺人鬼の霊は、扉の前でおぞましい笑みを浮かべながら、部屋の中を見渡し続けた。
***
殺人鬼の霊が部屋に入り込み、一時間ほど経過した。あれ以来、殺人鬼の霊は扉の前から微動だにせず、部屋の中を見張っている。
(しつこい奴だ。随分と執念深いんだな)
時刻は真夜中の三時になろうとしている。秘匿魔法を展開し続け、私も流石に疲労を感じ始めていた。
(ここまで長く使うのは初めてだな……もう少し、使用魔力の調整は必要か)
移動もできるよう身体に秘匿魔法を纏い続けるのは、想定以上に魔力を消費した。適宜魔力補給用の薬も摂取しているが、手元にある分は残り一本である。これ以上張り込まれると、魔力が尽きた状態で危険に身を晒すことになってしまう。
(いっそ、残りの一本を飲み干した段階で秘匿は解除して、攻撃してみるか?)
扉をわざわざ開けて入ってきたため、もしかすると攻撃が通るかも知れない。そう考え、カバンから魔法触媒も兼ねた短刀を取り出した。もう少し魔力を消費し、最後の補給薬を飲み干したら、仕掛けよう。右手に短刀、左手に封を切った補給薬を持ち、身構える。
時刻は三時を過ぎる。すると突然、殺人鬼の霊はチッと舌打ちをすると、扉の方へ向き返った。そして、扉をすり抜けて、部屋の外へと出ていってしまった。
『カツン、カツン……カツン……カツン……』
硬い足音が遠ざかっていき、ついには聞こえなくなった。
突然のことに唖然とした私は、しばらく動けずにいた。足音が聞こえなくなり数分後、ようやく安全を確信し、秘匿魔法を解除し、その場に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……なんだ、すり抜けられるじゃないか……」
攻撃を仕掛けなくてよかったと、心底思った。早まった行動をしていれば、返り討ちに遭っていたであろう。
複合探知計に目をやると、生命探知計は一時間前と同じく、メモリは僅かにしか動いていない。
大きな深呼吸を数回繰り返した後に立ち上がり、通じなくなっていた電話を手に取ると、アルフレッドへとかけてみた。一度呼び出し音が鳴った後、すぐさま誰かが電話に出た。
「もしもし、アルフレッドか?」
『先生!? 大丈夫ですか!? 通話が突然切れてから一時間以上も通じなくて、心配してました!』
良かった、ちゃんと通じた。人の声を聞けたことに安心し、だいぶ身体から力が抜けてしまった。
『一体何があったのですか!? 通話が切れたと思ったら、妙な歌のようなものと、気持ちの悪い女の笑い声がずっと受話器から聞こえていたものですから、一体先生の身に何が……』
「待て、順を追って説明するが、少し休ませてくれ……」
安心してから、強い疲労感を感じていた。だが、警戒は解けない。いつまた、あれが襲ってくるかわからないからだ。
(……しばらく、寝られそうにないな)
先行きに強い不安を感じながらも、顛末は話さなければと、ベッドに腰掛けた




