第二章 真夜中の殺人事件
ディオゲネス帝国帝都に滞在し、早くも三日が過ぎようとしていた。
毎晩広場の噴水に出向き、すすり泣く女の姿を見つめながら、調査の仕方を考えていた。が、一向に調べ方が思いつかない。近づけば消えてしまうという性質上、『パストヴィズ』で素性を調べることができないのだ。
『パストヴィズ』は、言わば過去視の魔法である。この世に存在する物体は、常に光や音の刺激を受けている。『パストヴィズ』は、その刺激の記録を読み取り再生する魔法で、十八年前の『人喰いの塔』の一件から、霊体にも有効であることはわかっていた。しかし、この魔法は性質上、直接触れなければ使用することができない。その上、対象の物質全体に魔力を注ぎ込む必要があるため、私の魔力量でも、最大でも大柄の人間一人分程度に対して使用するのが限度だ。噴水や建物のように、地面に設置されたものに対しては使用することができない。一部を切り離せば話は別だが。
「……そもそも、噴水や像の一部を切り離して見たところで、あれの正体までわかるわけではないがな」
ホテルのベッドに横たわりながら、つい独り言が漏れてしまった。チヨはガードの人間を連れて、買い物に出かけている。
たとえ、噴水の『すすり泣く女』が座っている場所の一部を取り外して確認したとしても、女の尻が見えるだけだ。あいつが何者で、どこから来たのかまではわかるわけではない。
『人喰いの塔』での一件から、各種秘匿魔法を纏いながら移動できるようにはなっていた。しかし、直接触れた瞬間に姿を消されては、調査などできるはずもない。
「……あいつ、何者なんだろうな。なんで泣いてるんだろうな」
すすり泣く女をいろいろな方向から眺め、一つ見えたものがあった。女の服の襟付近に、目立たないほどの赤い血痕が見えたのだ。もしかすると、あれは何かに殺された女で、そのことを嘆いていいるのではないのだろうか。
だが、それがわかったところでどうしようもない。それ以上の手がかりがないのだ。
「やはり、調査方法そのものを変えてみるか。となると……まずはあいつが現れた時期についてからだな」
もしかすると、何かのきっかけで『すすり泣く女』が現れたのかも知れない。女が目撃されるようになった時期に、なにか変わったことが起きていないか、レドやアルフレッドに聞いてみることが、まずすべきことだろう。
思い立ったが吉日、レドに連絡をしようとベッドから立ち上がり、ホテルの部屋備え付けの電話に手を伸ばす。と同時に、電話が鳴りだした。
「はい、ミレニアだが」
「先生、レドです。急で申し訳ございませんが、先生に別件でお願いしたいことがありまして。報酬は別途お払いいたします」
「別件?」
少々慌てているようなレドの声に、何かが起きたことを悟った。
「はい……実は昨晩、殺人事件が起きまして」
***
現場はシファネ広場から離れた、ビル群の路地裏だった。酒場で働く若い女が一人、帰宅中に背後から、何かしらの刃物で何度も刺され、殺された。遺体は早朝に、現場近くを通りかかった通行人によって発見された。
「遺体は既に搬送済みですが、必要あれば安置所まで案内します」
「いや、ここだけで十分だ」
レドに現場へ案内された私は、辺りを見回した。今は捜査官や野次馬が多くいるが、普段、それも夜間には、人通りが全く無いような場所だという。女は仕事帰り、毎回近道として利用していたらしい。
「しかし、何故私に頼ろうと思った? お前たちご自慢の監視カメラはどうした?」
「それが、不思議なことが起こりまして……」
ディオゲネス帝国は、建国当初から千数百年、国民過保護国として有名であった。かつて他国を支配していたのも、発端は自国民を守護するためだったという逸話があるほどだ。そんな過保護な国の帝都全域には、監視カメラが設置されている。当然公共空間に限りだが、監視カメラは死角が出ないよう、帝都の全てを見張ることができるよう、くまなく設置されているのだ。そのため、なにか事件が起きようものなら、犯人は即座に特定されるのだ。
「当然、この場所を記録するカメラは何台も存在します。しかし……その全てが、犯行時刻に故障していたのです」
「故障? 全て同時にか?」
レドの話によると、女が襲われたと思われる時間、複数の監視カメラが、女がここに向かう姿を捉えていた。しかし、女の姿を映していたカメラ全てが同時に暗転し、襲われた瞬間を捉えることができていないというのだ。その上、カメラの異常警報すら鳴らなかったという。そのため、遺体の発見が早朝になってしまったのだ。
「壊れていない、周辺の他のカメラは? 逃げていく怪しい人影とかは映っていないのか?」
「それが、誰も映っていないのですよ……このようなことが起きるはずがなく、それで先生に協力を仰いだわけです」
帝都内では、魔法は許可されない限り一切使うことができない。転移魔法や透明化で逃げることは不可能である。仮にカメラを調整する技術者が犯人で、カメラに細工したとしても、対象のカメラは大量にある上、そのような細工はすぐにバレるであろう。
「なるほど、手詰まりってわけか。ちょうどこちらも詰まっていたところだ、手伝おう」
レドにそう伝えると、辺りを見回す。犯行現場が見える位置に、何か手頃なものが落ちていないかと探ると、手のひらサイズの欠け落ちた壁材が目に止まった。
「多分、こいつが見てるはずだ。『パストヴィズ』で見るから、少し待っててくれ」
壁材の欠片を手に取り、魔力を流し込む。魔力を調整し、襲われたであろう時刻の記録を脳内に再生した。
僅かな明かり程度しかない暗い路地を、こちらに向かってくる女が見える。手には照明を持ち、慣れた足取りで少々足早に歩いている。
「……こんな場所一人で通ってたら、遅かれ早かれ危険な目には遭っていただろうな」
そこは監視大国ディオゲネス帝国、自国の治安を過信していたのであろう。
女がこちらに近づいてくるが、一向に犯人らしき姿は現れない。そろそろ、監視カメラが一斉に故障しだす時間だ。何が起こるのか、女に集中する。
『……カツン、カツン』
突如、女の後方から音が聞こえた。硬いもので石を叩くような音だ。女がハッと立ち止まり、後ろを振り返っている。この場面は、レドの話からは聞いていない。
「レド、何か音が聞こえて、女が立ち止まった。確認だが、カメラの残っている映像に女が立ち止まる姿はあったか?」
「いえ、ありません。おそらく、カメラが故障した後の出来事かと」
再生を続け、成り行きを見守る。女が振り返った直後に、音は止んだ。首をかしげつつ、元の方向へ向き直す女。と、同時に。
『カツン、カツン、カツン』
先程よりも近い位置で、硬い音がなった。この音は、ヒールのような底の硬い靴で、硬い床を歩いている音のように聞こえる。
女は前を向いたまま、固まっている。
『カツン、カツン、カツン』
硬い足音は、段々と近づいてくる。女の後方へ向かい、まっすぐに。
突如、女が走り出そうとした。その表情には、強い恐怖と不安が見える。が、走り出した瞬間、女が前のめりに倒れた。
「レド、見えた。女が刺された瞬間だ。犯人の姿も見えるはずだ」
「さすがミレニア先生!」
女が立っていた場所に視点を移すと、そこには包丁を手に持った、何かが立っていた。その姿を見た瞬間、全身におぞましい悪寒が走った。
「……こいつは……」
「先生、どうしたんですか? 顔色が優れないようですが……」
立っている何かは、人間の姿であった。あったのだが、何かがおかしい。
返り血で染まった白いコートを身に纏い、頭からバラバラに乱れた長い髪を垂らしている。足には、赤いハイヒールを履いている。女であろうか。生気の感じられない表情で、倒れている女を見下ろしている。その顔に見覚えはないが、その雰囲気には、懐かしい恐怖を感じた。
『ミ タ ナ ?』
犯人の女が、こちらを向いた。私は心臓が止まるかと思った。私が見ている風景は、過去の記録を再生しているだけである。その過去の記録が、私を認識し、見つめ、話しかけてきた。
犯人の女は、こちらをじっと睨みつけると、ニタァと気色の悪い笑みを浮かべた。そして、こちらに向かって歩き始めた。
『カツン、カツン』
硬い足音を、大きく立てながら。
「くっ……!」
「先生!?」
思わず、壁材の欠片を手放した。これ以上見るのは危険だ、そう本能で感じたのだ。身体は寒気を感じているのに、冷たい汗が止まらない。
「先生、大丈夫ですか? 何が見えたのですか?」
心配そうに、レドが顔を覗き込んでくる。
「……レド、今から言うことを、アルフレッドに伝えろ。ただし、アルフレッド以外には絶対に漏らすな」
「は、はい!」
「犯人は霊だ。霊は二体居る」




