第一章 すすり泣く女
こちらは、『異世界転死ー千の魔女と十五の怨霊ー』(https://ncode.syosetu.com/n6394gx/)の続編となります。
先にこちらを読んだほうが、話をより楽しめると思います。
『カツン、カツン』
息が切れそうだ。
なぜ、こんなことになっているのか。私には全くわからない。
ふと、すぐ左前に、横道があることに気づいた。即座に横道へ入り込むと、大きめの箱がある。その物陰に見を潜め、息を殺して耳を澄ませる。
『カツン、カツン』
硬い足音が聞こえる。その岩に杭打つような音は、少しずつこちらへと近づいてくる。
心臓が張り裂けそうなくらい、早く脈を打っている。
『カツン、カツン』
硬い足音は、ついに私のすぐ側まで迫ってきた。
早く過ぎ去れ。早くいなくなれ。
強く祈りながら、食いしばるように目を瞑る。
『カツン』
横道の入り口付近で、足音が止まる。かつて聞いたことがないくらい、鼓動が強く響いている。
永遠に続くような時間が続く。足音の主は、動かない。
『……カツン、カツン』
ようやく足音が動き始めた。硬い足音は遠ざかっていき、ついには聞こえなくなった。
足音が聞こえなくなり、どれくらいの時間が経っただろうか。鼓動も落ち着き、動き出す勇気も戻ってきた。
一つ大きな深呼吸をし、目を開いた。
不気味に笑う顔が、目の前にあった。
***
「うむ、整理はこんなところかな」
窓から陽の光差すリビングのソファで、私は自分で書いた書類を見直していた。
十数年前に開発した、時間移動魔法。その魔法で過去に干渉した事柄が、現在にどのような影響を与えるのかを検証した結果をまとめたものだ。
「過去だと思ってたが、違っていたか。やはり、時間干渉魔法は不可能なのかもな」
過去に戻って、大なり小なり様々な行動を起こしてみたものの、現在に影響が出るようなことは全く無かった。それどころか、過去に戻った際に、実際に起きていたことと異なった過去である場合があったのだ。
「時間移動ではなく、同じような歴史を辿っている異世界に行っていただけなんだろうな。世界線と言うのが妥当かな」
そうなると、歴史上重要な役割を持った人物の人生を変えてしまったのは、その世界線にとって悪いことをしてしまったかも知れない。そんな反省を少しだけしつつ、大きく伸びをした。
千年以上生きてきたが、時間干渉系統の魔法開発は、ほぼ初めての経験だ。私もまだまだだな、と意識を改めた。
「お疲れさまです、母様。お茶を淹れましたので、少しお休みになられては?」
「ああ、ありがとう、チヨ。ちょうど終わったところだし、そうするよ」
首を回してストレッチをしていると、娘のチヨが紅茶を淹れてきた。チヨは血の繋がっていない、異世界の人間だ。十八年前に、とある事情で娘として迎え入れ、私の下で魔法の修行をしている。
数百年ぶりの子育ては、苦労の連続であった。だが、無事こうして元気に育ってくれて、母としては嬉しい限りである。
「疲れが取れましたら、後で『ホロアリス』の練習を手伝って下さいませんか? どうしても、一人だと練習することができなくて……」
「ああ、いいぞ。あれは性質上、協力者が必要だからな」
千年以上生きてきて、不老の魔女として有名になってから、過去百何人もの人間が、私のもとに弟子入り志願で訪ねてきた。気まぐれにそのうち何十人かは弟子に取ったが、長続きした者は五人ほどしかいなかった。挫折した奴らに比べたら、チヨは遥かに魔法の才に秀でているし、根性も座っている。
「……あの世界にいたままだったら、この才能もそりゃ発揮できんわな」
「え? 母様、何か言いました?」
「あ、いや、何でもない。ただの独り言だ」
思わず口から言葉が漏れていたようだ。チヨには、異世界から連れてきたことは自体は伝えてはいるが、細かい経緯までは伝えていない。いつかは話したほうがいいのだろうかと、悩みつつも。
「ふぁあ……落ち着いたら、少し眠気が出てきたよ。チヨ、すまんが少し寝させてくれ。『ホロアリス』の特訓は、明日付き合うからさ」
「ええ、わかりました。明日でも明後日でも、見てくださるだけで嬉しいです。おやすみなさい、母様」
時間移動魔法の検証結果整理で、徹夜が続いてしまっていた。チヨに申し訳無さを感じつつも、まずはシャワーを浴びようと、バスルームへと足を運ぶ。
『♪キンコーン』
「……誰だ、タイミングの悪い」
機械製の呼び鈴が鳴らされたことに、若干嫌な予感がする。町の者は、基本的に呼び鈴を鳴らさずに入ってくる。そうして良いと伝えているからだ。となると、外部の人間であろう。
「……まあ、とりあえず、チヨに任せるか」
こういう時、同居者が居ると楽だ。そんなことを考えつつ、バスルームへと向き返った。
***
「母様、お客様ですよ」
「おお! ミレニア先生、お久しぶりです!」
「なんだ、誰かと思ったらアルフレッドか。一年ぶりくらいか」
シャワーを浴び終わり客間に行くと、チヨと三人の男女がいた。その内一人、白いスーツを着た若い金髪の男は座っており、その背後左右に、黒いスーツの男女一組が立っている。
白いスーツの男の名は、アルフレッド・ディオゲネス。機械文明国家である、ディオゲネス帝国の現皇帝だ。
「ええ、去年の魔法特訓以来です! 教えていただいた『ゼロエクス』は、もう完璧に使いこなせますよ!」
「うむ、精進しているようでなによりだ」
アルフレッドは機械文明国家の皇帝でありながら、魔法にも興味を持っていた。何度も魔法を習いに、私のもとに訪れたり、逆に私が帝国に招かれたりしている。数少ない、挫折しなかった弟子の一人だ。
「しかし、先生もチヨちゃんも、お元気そうで何よりです!」
「ありがとう。で、要件は何だ? 事前に連絡はなかったが」
アルフレッドが私を訪ねてくる時は、いつも事前に連絡が来ていた。教わりたい魔法の一覧と、滞在期間を連絡してくるためだ。私はいつもそれを見て、アルフレッドを迎え入れる準備をしていた。が、今回はそれがなかったのだ。
「実は、今回は魔法を教わりに来たのではなく、依頼したいことがありまして……先生、最近我が国を騒がしている、『すすり泣く女』の話をご存知で?」
「すすり泣く……女? いや、聞いたことないが、なんだそれ?」
「では、説明しましょう。レド、例の写真を」
レドと呼ばれた黒いスーツの大柄の男は、手に持っているカバンから、数枚の写真を取り出した。その写真は、ディオゲネス帝国の帝都中心にある広場のものである。夜に撮影したのであろうか、暗い風景の中に見慣れた噴水が有り、その縁に何か白い物が鎮座している。
「それが、ここ最近我が国を騒がしている、『すすり泣く女』という幽霊です」
***
アルフレッドの話を、簡単にまとめる。
半月ほど前から、ディオゲネス帝国の帝都中心にあるシファネ広場の噴水に、夜な夜な『すすり泣く女』が現れるようになったというのだ。
すすり泣く女は、夜中の二時頃に突如現れ、ただその場ですすり泣くだけだという。見た目は二十代中くらいの女性で、身体の周りに白いモヤのようなものを纏っている。これは写真に写っている通りだ。人に危害を加えるようなこともなければ、むしろ人が近づくと、即座に姿を消してしまう。すすり泣く女は一時間ほど泣き続けると、そのまま姿を消してしまうというのだ。
「調べようにも、近づくことができずに困っているのですよ。日が経つにつれて珍しがって集まる野次馬も増え、近隣住民も気味悪さと野次馬の騒音に悩まされているのです」
「それで、私に相談したというわけか」
「そのとおりです! 十八年前、ティレニアで怨霊を退治した先生ならば、きっとなんとかしてくれると思いまして!」
アルフレッドの言う通り、私は十八年前、ティレニア王国で『人喰いの塔』という建造物を調査した。その際、異世界から来た怨霊、『ツルタニ チヨ』と対峙し、退けたのだ。娘のチヨを迎え入れるきっかけとなった事件だ。
頼られるのは、悪い気はしない。が、話を聞く限り、ティレニアで怨霊のチヨと対峙した時とは、どうも異なっているように思えた。
「頼るのは構わんが、私は除霊師なんかではないぞ。幽霊なんぞ、むしろ存在しないと証明してしまった人間だ。ティレニアの時は、偶然対処できただけだしな」
私はかつて、好奇心から霊の存在を調査してきた。心霊現象に霊能力者、果ては遥か昔に亡くなった、自分の夫の魂の在り処まで。しかし、いずれも偶然の産物や、人為的なものばかりであった。夫の魂など、何処にもなかった。千年以上生きてきて、本物の霊と認定したのは、チヨの怨霊だけだ。
「その偶然が重要なのです! 先生は、天運に恵まれているのか、奇跡に遭遇することが多かった! だから今回も、奇跡的になんとかなるかも知れません!」
「腐っても、機械文明国家の元首が言っていいセリフではないぞ」
天運に恵まれているのは、単純に長く生きているせいで、そういった偶然に巡り合う機会が人よりも多いだけだ。
だが、チヨの怨霊とは質の異なる幽霊。気にならないといえば嘘になる。例え、それが霊なんかではなく人為的なものだとしても、まあ暇つぶしにはなるだろう。
「しかし、そうだな。ちょうどやることも一区切りついたところだし、観光ついでに引き受けてやるか。ただ、予め言っておくが、必ずしも解決できるとは限らないからな? 一月間調べてみて、進展がなければそこで調査は打ち切るからな」
「おお! 流石は我らのミレニア先生! 頼りにしてますよ!」
大喜びするアルフレッドを尻目に、横で静かに座っているチヨへと顔を向ける。
「というわけでチヨ、一緒にディオゲネス帝国まで行くか。私は仕事としてだが、チヨは適当に遊んでくればいいよ」
「え、いいのですか?」
「なに、いつも頑張っているからな。グリゼニアにはない物ばかりの国だ、ゆっくり観光しておいで」
「はい! ありがとうございます!」
目を輝かせるチヨを見て、この娘を拐ってきてよかったと、心の底から思った。
「さて、うまくいくかは不明だが、いい暇つぶしになるといいな」
***
ディオゲネス帝国は、機械技術の発達した国家である。
千数百年以上も昔、古代遺跡から発掘した超越的な技術を持って、長らくこの一帯を支配していた時代もあるほどだ。が、『勇者アポロン』とその仲間達に当時の皇帝が討たれて以来、他国と小競り合いすら起こさない、おとなしい国となったが。
そんなディオゲネス帝国の帝都中心に、シファネ広場は広がっている。かつての帝国の英雄である女性、シファネを称えるために造られたという広場だ。
高層ビルに囲まれたレンガ造りの広場には、中心に鳥の翼を背から生やした女性の像と、それを取り囲むように円形の噴水が設置されている。機械的な街並みの中に残る古い広場は、観光地としても、また住人の憩いの場としても、広く親しまれていた。
「さて、あの場所か」
日中は人で賑わうこの広場も、真夜中となると静まり返っている。これが本来の姿なのだが、最近はすすり泣く女の噂のせいで、野次馬が多くごった返しているという。私が滞在している間は、アルフレッドに頼んで真夜中に限り、封鎖してもらうことにした。
「そうです。そろそろ姿を現すでしょう」
アルフレッドの側近、レドは腕に巻いた時計に目をやっている。公務も行わなければならないアルフレッドに代わり、レドが私のサポートをしてくれることになった。
「しかし、相変わらず騒がしい奴らが多い国だな。今も封鎖線付近に大量にいるし」
「申し訳ありません。この国の者たちにとって、こういったオカルト絡みの話題は興味の尽きないものでして……」
無理もない。機械と科学に囲まれたこの国では、魔法ですら一般的ではない。私は訪問するたびに、新聞記者や報道機関のレポーターの質問攻めに遭っている。普段触れることのない物は、強い興味の対象となるのだ。チヨにはアルフレッドに頼んでガードを付けてもらったが、でなければあの子も同じ目に遭っていただろう。
そんな国に、幽霊とかいう存在が現れたのだ。国全体が興味を持つのも仕方のないことだろう。
「いつものことだ、気にしてないさ。さて、もう数分で時間か」
「写真の通り、シファネ像の正面右、噴水の縁に現れます」
かなり離れた位置から、時折時計にも目をやりつつ、噴水の方を見張る。時計の針が二時を指すと同時に、それは現れた。
「出ました、あれです」
「おお、あれか。なるほど、やはりチヨの時とは質が異なっているようだな……」
雄大にそびえ立つ像の正面右、噴水の縁に、それは座っている。
白いモヤのようなものに包まれた、一人の女。髪は肩までかかるくらいの長さで、髪色は黒に近い茶色のように見える。服装は見慣れないデザインだが、桃色のワンピースのようだ。顔を両手で覆いすすり泣いているようで、顔を見ることはできない。
その悲しげな声は、かなり離れているはずの私の耳にも聞こえてきた。
「チヨとはお嬢様のことではなく、ティレニアの怨霊の方ですよね? 質が異なるとは?」
「ああ、恐怖心が全く湧かないんだ」
ティレニアの『人喰いの塔』で怨霊のチヨに遭遇した時は、ほぼ毎回、おぞましい恐怖心を心の奥底から感じた。背中に氷水をかけられたような、しかし刺激のない、芯から冷え込むような冷たさだ。近くにいるだけで、自分は死ぬのではないか、そういった本能的な不安感が湧いて出てきたのだ。
しかし、今あの幽霊を見つめていても、そういったものは全くと言っていいほど出てこない。代わりに、悲しさで心を支配されそうになっており、気分が強く沈み込みそうだ。
「……恐怖心はないが、あれはあれで厄介なものだな。で、近づいたら消えるんだっけか?」
「ええ、手が触れるか触れないかくらいの距離まで近づくと、途端に姿を消してしまうのです」
試しに、女の方へ歩み寄ってみる。一歩、二歩と近づくに連れて、心に響く悲しさも段々と強まってくる。
女まで後一歩、という位置まで近寄ることができた。顔は見えないが、なんとなく、美しい女のように感じた。心に染み込む悲しさは強く、気をしっかりと持たないと、その場にふさぎ込んでしまいそうなほどだ。
そっと、女の方へ手を伸ばしてみる。あと少しで女の頭に触れる、と思った瞬間、女の姿は突如として消えた。同時にすすり泣く声も聞こえなくなり、心を支配しかけていた悲しみも、消え失せた。
「……なるほど、こいつは人為的なものではないな」
アルフレッドからこの話を聞いた時、一瞬誰かのイタズラかと考えた。誰かが変装しているのでは、とか、機械で特殊な映像でも見せているのでは、と。しかし、今目の前で発生した現象は、それを完全に否定するものであった。
ディオゲネス帝国の科学力でも、あのような心の底からの悲しみを引き起こすことは不可能だろう。魔法でやろうにも、帝都の全域に魔法を封じる装置が設置されており、許可を得た者以外は魔法そのものが使えなくなっている。もちろん私は、許可をもらっているが。
そうなると、このすすり泣く女の正体は、幽霊か何かはわからないが、得体の知れない存在である可能性が高い。
「ミレニア様、何か解りましたか?」
「とりあえず、今は誰かのいたずらではないことくらいしかわからんな。触れないと『パストヴィズ』も使えないし、さてどうしたものか」
こちらに駆け寄ってくるレドに返答しつつ、対処法を考えていた。触れられないとなると、直接あの幽霊を調べることは不可能だ。透明化や音遮断、生命反応遮断などの各種魔法を纏い近づいたとしても、触れた瞬間に消えられては意味がない。
「うーむ、思ったよりも厄介かもしれんな。さて、どうしたものか」




