神様だって……
「ここみたいね」
ミリル達と合流し、逃げたワドルを追ってきたティアが、とある扉の一つを見つめてそう言った。
道に落ちる血や汚れのあとは少なくなってきていたが、扉の取っ手部分にははっきりと血の跡が付いているので間違いない。ワドルが逃げ込んだのはこの部屋だ。
「扉に罠は無いけど、あいつがどんな手を用意しているかわかんないわ。十分注意しなさい」
鋭い声で注意を促すミリルに、ジェイグもアルも、もちろんティアも真剣な表情で頷きを返す。
そうして各自が武器を構えたところで、ジェイグがわずかに開いた扉をミリルが蹴り開けた。幸い中から魔物が飛び出してくることも無く、それを確認したティア達は、素早く中へと突入した。
中には空っぽの小さな檻が無数に並んでいた。まぁ小さいと言っても、人間が数人は入れそうな程度の大きさはあったが。
「ここは……?」
「魔物を閉じ込めてた部屋と似てるけど」
アルの疑問に、答えたのはミリルだ。どうやらここと同じような部屋を前にも見たらしい。
確かに檻の中には魔物の毛などが落ちており、ここに魔物がいたのは間違いないだろう。
だがこんな空っぽの檻だけがある部屋に、あのワドルがわざわざ逃げ込むはずはない。きっと何か良からぬことを企んで――
「やっと来たか、冒険者諸君」
部屋の奥から聞こえたワドルの声に、全員がそちらへ視線を向ける。
ワドルは十メートルほど先の檻の陰からゆっくりと現れた。その身体は、さっきまでと異なり随分とボロボロだ。額から血を流し、顔には痣や切り傷が。元々よくなかった顔色も、さらに血の気をひいて土気色に。白衣は埃と血に汚れ、衣服全体が所々擦り切れている。見るからに満身創痍といった状態だ。
だがその顔には相変わらずこちらを小馬鹿にしたような薄笑いが張り付いており、その目には狂気と狂喜が宿っている。ズタボロの姿と相まって、まるでアンデッドのゾンビに悪魔が宿ったように見える。
「観念して出てきたってわけじゃなさそうね」
「当然だ。私にはこの神の御業とも呼べる研究を完成させる義務がある。このようなところで捕まるわけにはいかない」
「何かアレだな……最近、神だなんだと言う奴に関わってばっかな気がするぜ。まぁどいつもロクな奴じゃなかったけどよ」
ミリルが鼻を鳴らしつつ訊ねれば、返ってきたワドルの言葉にジェイグが何かを思い出して顔を引き攣らせる。きっとビースピアで会った宗教国家バレアスの連中との戦いを思い出しているのだろう。
「私はあまり宗教に関心は無いけど、あなたのように他人の命を平気で弄ぶような人には、やっぱり神様じゃなくて悪魔が相応しいわ」
「遥か神話の時代から、己が欲望のために人の命と運命を弄ぶのが神だ。そしてその命を自由に作り替えるこの研究が、神の御業でなくて何だというのだね?」
「そんな難しい話はどうだっていい! 人の命を、剣士の誇りを踏みにじったアンタだけは、オレが絶対に許さない!」
毅然とした態度で言い返すティアに、己に酔ったように持論を返すワドル。そんな頭のおかしい理屈など知ったことかとばかりに、アルが右手の剣の先をワドルに向け叫ぶ。
「まぁ落ち着きたまえよ。まずはこの部屋について説明しよう」
そんなティア達の言葉など右から左へと聞き流し、一番近くにあった檻の鉄格子を撫でながらワドルが話を始める。
「先程、そこの狼のお嬢さんが、魔物の部屋と似ているといったね。それは半分正解だ。ここは私の実験成果を保管し、観察するための部屋だ。この部屋以外にも近くにいくつも似たような部屋がある」
その説明を聞き、改めてその部屋を見渡す。
この部屋はかなりの広さがあった。さっきまでいた実験場の倍以上の広さがある。
その部屋の中に、四方と上部を鉄格子に囲まれた檻が、等間隔に並べられている。その間を幅三メートルほどの通路が通っており、上から見れば碁盤の目のようになっているのがよくわかるだろう。
おそらく檻の数は五十近い。そんな部屋がまだ他にもあるとしたら、いったいどれだけの魔物の合成体がこの施設にはいるのか。そして人間を基にした合成体が……犠牲となった人間はどれだけの数に上るのか。
「実験体の保管庫ね……その割には檻の中に何もいないようだけど」
「ああ、いつまでも檻の中に閉じ込めておくのも可哀想なのでね。せっかくなので、彼らには少し運動の機会をあげようかと思ったんだよ」
そんな中、ワドルの話を聞き、辺りをグルリと見回したミリルが警戒を強めていく。ティア達も同様だ。
魔物の合成体を保管した部屋にミリル達を誘い込んだ理由など、一つしかないのだから。
そんなティア達の反応を見たワドルが、まるで舞台役者のように両手を広げて叫ぶ。
「さぁ出て来い、私の研究成果達よ!」
その声を合図に、檻の陰から何体もの奇怪な魔物が姿を現した。どれもが見覚えのある魔物の特徴を複数兼ね備えており、統一性が無い。間違いなく複数の魔物の合成体だ。
ただ人間のように二足歩行をしている魔物が多く、中には先程の合成体ミックのように武器を手にしている者もいる。
そして全ての合成モンスターが、ワドルの命令に従い、ティア達からワドルを守るように動いていた。
野生の魔物ではあり得ない動き――そして何よりそれぞれの瞳に宿る理性の色に、ティア達は確信する。
――あれは間違いなく人間を基にした合成体達だと。
「私の元に数体を残し、他の者は奴らを捕らえろ! それが難しければ殺しても構わない! 絶対に奴らを私に近づけるんじゃないぞ!」
そうワドルが指示を出した瞬間、何十という数の合成体達がこちらへ向かって走り出した。狭い通路を進み、回り込み、あるいは檻の天井を足場にして、ティア達へと襲い掛かってくる。
「クソッ!」
檻を跳び越え、上空から剣を振りかぶり落ちてきた翼の生えた猿の攻撃を受け止めたジェイグ。だが高速で檻を迂回してきた人型の豹が、ナイフのように伸びた爪を突き出してきたため、慌てて横に跳び退り攻撃を躱す。
「こいつら、動きはでたらめだけど速い! それに攻撃も重いよ!」
ゴリラのような太い腕に、ウサギのような脚で縦横無尽に動き回る合成モンスターの一撃を受け止めたアルが、その勢いに押されてたたらを踏む。その動きは無駄が多いが、複数の魔物の身体能力を武器に繰り出される攻撃は、侮れない威力を持っているようだ。
「多分、元が戦いとは無縁な一般人なんでしょうよ! 武器の扱いも魔法の使い方も、どれもなってないわね!」
そう考察するミリルだが、状況は芳しくない。二足歩行のフレイムリザードや、エラやヒレがある熊がでたらめに乱発する魔法を銃弾で掻き消しつつ、六本腕を持つオークの攻撃を捌いていた。
三人ともが防戦一方。完全に攻めあぐねている。
一見すると圧倒的な劣勢に見える。敵の数は多く、人間の知性を持って繰り出される攻撃の数々は確かに厄介だ。
だが所詮は数と能力のみに頼った、ごり押しの戦い方。ミリル達の実力があれば、それらを跳ね除け、打ち倒すことは容易だ。
にもかかわらず、全員が劣勢に立たされているのは、彼らに明らかな人間としての知性が感じられるからだ。彼らが完全に魔物に堕ちているのなら、まだ諦めもつく。だがもし彼らが人間としての自我や記憶を今も維持しているのなら、彼らを助けに来た自分達が彼らを傷付けるわけにはいかない。
「剣を引いてください! 私達はあなた達と戦うつもりはありません! あなた達を助けに来たんです!」
ティアが合成体の攻撃を躱しながら、必死に彼らに呼びかける。
そんな真に迫るティアの叫びに、合成体達の攻撃の手が確かに緩んだ。その顔にはたとえ魔物の顔でも見間違えようのないほど明らかな動揺、困惑、嘆き、そして助けを求める懇願の色が浮かんでいた。
こちらの言葉が通じたことに安堵の表情を浮かべ、説得を続けようとするティア。
しかし――
「何をしている? まさかさっきの話を、もう忘れたのか?」
冷たく言い放ったワドルの言葉が響いた途端、合成体達の顔が恐怖に歪んだ。何体かはワドルとティア達の顔を見比べるように、視線を彷徨わせている。
「う、うおおおおおおおおおおおっ!」
わずかな沈黙のあと、一体の合成体がまるで何かを振り切るように叫び声を上げた。そして困惑するティアへと飛びかかると、手に持った武器をがむしゃらに振り回して襲い掛かってくる。
それに引きずられるように、ティア達への攻撃を躊躇っていた連中も攻撃を再開した。
「待って! お願いです! 話を、私の話を聞いてください!」
「……スマナイ。オレモ、自分ノ命が惜シいンダ」
「っ!? あなた、人間の言葉が!」
鍔迫り合いの状態になったリザードマンの口から発せられた言葉に、ティアが驚きの声を上げる。姿形は完全な魔物と化し、発音は聞き取りにくいが間違いない。彼らは人間としての自我も、言葉を話すだけの知性も持っている。
戦いながらも、ミリル達三人がティアとリザードマン型の合成体の会話に耳を傾けていることを感じながら、ティアが慎重に彼と言葉を交わしていく。
「あなたのお名前は?」
「……デニス……デニス・クレーマン」
その名前は記憶にあった。ミラセスカのギルドマスター、オラルドから受け取った行方不明者のリストにあった名だ。確か隣国から来た観光客で、結婚したばかりの妻と共に二週間ほど前に魔空船でミラセスカを訪れ、陸路で都市を出た後、そのまま行方が分からなくなっていたはず。
「あなたのことはギルドの行方不明者リストにありました。今、ギルドやシスト商会があなた達の捜索に全力を尽くしています。魔物に変えられてしまったのは残念ですが、あなた方の身の安全は保障します。だから――」
「スマナイ……ダガ、君達に従ウ訳にはイカナイ!」
ティアの説得を遮るように謝罪の言葉を口にすると、全てを振り切るようにその剣を振り払った。救いの手を拒まれたティアは、それでも諦めずにデニスに呼びかけ続ける。
「お願いです! 私達を信じて下さい! 絶対、絶対にあなた達を――」
「黙レ! もう何モカも遅過ギルんだ!」
「そんな、どうして……」
必死の訴えも空しく、剣を振りかぶり襲い掛かってくるデニスに、ティアが悲痛な声を零す。
「お前らをそんな姿に変えたのはあいつなんだぞ! 何であんな奴のために戦うんだよ!」
「ウルサイ! 何モ……何モ知ラナイクセニ!」
ティアの援護をするようにアルも叫ぶが、別の男の合成体の八つ当たりのような攻撃に拒絶される。
「くそっ、邪魔すんじゃねぇよ!」
「アナタこそ! 私達のジャマをシナイデ!」
このままじゃ埒が明かないと、襲ってくる合成体達を避けてワドルを目指したジェイグだったが、やりきれない怒りを宿した雷撃に足止めを食らってしまっていた。
誰一人として、ティア達の言葉など聞こえていないように攻撃を止めない合成体達。
それでも諦めず想いを届けようとするティアの耳に、あの悪辣な男の声が届いた。
「無駄だよ。そんな言葉では、彼らは止まりはしない」
「ワドル……またあなたが……彼らにいったい何をしたの!?」
合成体達の攻撃を躱し、あるいは捌きながら、遠くの安全な場所から高みの見物を決め込んでいるワドルを睨みつける。
「何もしていないとも。ただ君達が私を捕まえた後の話をしただけさ」
「どういうこと?」
だがワドルは、そんなティアの怒りの視線さえ心地良いとばかりに口元を歪めると、得意げな顔で真相を語り出す。
「もし君達が私を捕らえれば、あと数日で彼らは完全な魔物となる」
「っ!?」
ワドルの口から語られた残酷な事実に、戦いの最中ということも忘れてティアは思わず息を呑んだ。ジェイグ達も幸い致命的な隙を見せてはいないが、明らかに動揺している。
そんな反応を楽しむように、舐めるような視線でこちらを見回した後、ワドルが続きを話し出す。
「この研究がまだ完成前だという話はしたかな。まぁその過程で作り出した彼らも、まだまだ未完成……というより不完全でね。魔物との合成に人間の精神が耐えられないんだ。ゆえに、私が手を施さなければ、あと数日もしないうちに彼らの人間としての自我は失われ、彼らは完全な魔物となるだろう」
ようやくティアは、先程彼らに浮かんだ恐怖の意味を理解した。
それは紛れもない死への恐怖。人間としての自我が消えるということは、たとえ命を落とさずとも、人間としての自分が死ぬということだ。
ならば、彼らが自分達の心を守るためには、奴の命令に従うしかない。
「さっき君達が殺したミックという冒険者がいただろう。彼は人間としての自我を保てた最初の実験体だった。もっともその後は君達も見ての通り。わずか一週間ほどで、彼は完全な魔物へとなり下がった。多分、この中にもいるのではないかな。すでに人間としての自我が薄れ始めている者が」
ワドルがスッと視線を動かせば、何体かの合成体が小さく体を震わせた。おそらく彼らにはその兆候が表れているのだろう。それはすなわち、自我を失うというワドルの言葉が真実だということだ。
そんな彼らにとって、ワドルは絶望の中の唯一の希望なのだろう。
たとえ、その絶望を与えたのがワドル自身だったとしても……
「あなたという人は……どこまで人の心を弄べば気が済むの!」
「何を言う。私は彼らに希望を与えているんだよ。時に無慈悲に、だが時に慈悲深くもある……そう、神のように! それに私が無事ならば、研究はいずれ完成する。そうなれば彼らを元に戻す手段も見つかるかもしれないねぇ」
ティアの怒声を心外だとでも言うように肩を竦め、合成体達に更なる蜜を与える。人間に戻れる可能性を示唆されれば、ますます彼らはワドルに逆らえなくなる。
ワドルの言葉が真実かどうかはわからない。自我の喪失を防げるかも、彼らが人間に戻る方法があるかどうかも不明だ。
だが彼らにも、そして今の自分達にも、それを否定する根拠は何一つないのだから。
「さぁ実験体達よ! 奴らを捕らえ、自分達の命を取り戻すがいい!」
「こんの……クソヤロオオオオオがあああ!」
ワドルのあまりに非道な仕打ちにキレたアルが、たった今相手をしていた合成体を蹴り飛ばすと、檻の上へと跳び上がり、ワドルの元へと疾駆する。
だが全ての合成体達がこちらを捕らえるために動いていたわけではない。ワドルの身を守るために残っていた猫の魔物の合成体が、その柔軟な身のこなしを活かして跳び上がると、素早くアルの前に立ち塞がった。
「退けぇっ!」
身を焦がす怒りに身を任せたアルが、左手の剣を切り上げる。
猫の合成体は持っていた短剣でそれを防ぐが、怒りに燃えるアルの剣の威力は素人が受けきれるものではない。攻撃を受けた短剣を容易く弾き飛ばし、その勢いのままアルはもう一方の剣を振りかぶり――
「ひぃっ!」
「っ!?」
怯えるように短い悲鳴を上げて腰を抜かした猫の合成体を前に、アルの剣がピタリと止まった。
魔物の姿ではあるが、その人は女性だった。それもまだ若い、おそらくティアとそう変わらない年の……
「イ、ヤ……イヤァ! 死にタクナイ……死にタクナイヨォ……」
彼女は眼前で止められた鋭い刃に、腰を抜かしたまま頭を抱えると、ガタガタとその身に迫る死の恐怖に身体を震わせ始める。戦う覚悟など何一つない、ただのか弱い一般人。本来ならこんな血生臭い戦いとは無縁の世界で、平和に暮らしていたはずの……
「クソッ……何で……何で、こんな……」
怒りに燃えていたはずのアルの眼に、知らず知らずのうちに涙が滲み始めた。振り下ろす先を失った剣が、その胸に渦巻く様々な激情を表すように震えている。
「エリゼ!」
そんな彼女の元へ、別の合成体――先程までティアと剣を交えていたデニスが、血相を変えて飛び込んでくる。アルは慌てて後退して距離を取るが、デニスはそんなアルに構うことなく、今なお死の恐怖に打ちひしがれたままの女性を抱きしめた。
「エリゼ……」
「デニ、ス……もうイヤ……ワタシ、怖イ……怖イヨォ、デニス」
恐怖に震える声で、自身を抱きしめるデニスに縋りつくエリゼと呼ばれた合成体の女性。
エリゼという名前も行方不明者リストで見た。エリゼ・クレーマン。デニスの妻で、年はまだ十九歳。ティアよりも一つ年上の彼女が、今は幼子のようにデニスの腕に抱かれて泣きじゃくっていた。
戦うこと、自身の自我が失われること。どちらも恐ろしく、だが何もしなければただ死に逝くだけ。それは自分だけでなく、自分の愛する者も同じ。
だがそれはティア達も同じだ。戦わなければ生き残れない。仲間も守れない。
「オメェら、本当にあの野郎の言うこと信じてんのかよ!? オメェらが戦ったって、あのクソ野郎がオメェらとの約束を守るはずねぇだろうが!」
「そうだよ! ホントに魔物化を食い止められるかもわかんないだろ!?」
「ソレデモ俺たちハ死ニタクない……死にタクナイんだ!」
「ちっくしょう! どうすりゃいいんだよ!」
ジェイグとアルが呼び掛けるも、返ってくる合成体達の悲痛な願いと苛烈な攻撃に、どうすることもできずにいる。
どうあがいても、ティア達に彼らを救う手立てはない。だが恐怖と絶望に怯える彼らに刃を向けることもできずにいる。いずれ決断し、覚悟を決めなければならないとは頭でわかっているのに、彼らを傷付け、命を奪うことに迷いが生まれる。
先程のミック達との戦いで、ワドルはこちらの性格を見抜いていたのだろう。既に理性を失ったミックでさえ殺すのを躊躇い、狂化から元に戻る可能性のある女性には手を出すことさえできなかった。ならば人間としての理性を残し、死の恐怖に縛られただけの彼らを、ティア達が傷付けることはできないと。
(私が……私がやらないと……でもっ!)
エリゼと呼ばれた女性の「死にたくない」という声が、頭から離れない。刃を振るう先に見える彼らの怯えた表情に、攻撃の手が止まってしまう。
「さぁ、彼らを救いたいと思うなら、大人しく私の研究に協力するがいい。君達程の素材は貴重だ。決して悪いようにはしないとも」
勝ち誇った笑みを浮かべ、悪魔の囁きのように心にもないことを口にするワドル。抑えきれない怒りが湧いてくるも、魔物との合成体数十体の攻撃を潜り抜けて、奴を黙らせることは難しい。
そうしてなすすべもなく、ただ時間だけが過ぎていく中――
ダァンッ!
一発の乾いた銃声が響き渡った。
合成体達の嘆きや叫び、剣戟の音などが絶え間なく響く中で、その音はやけにはっきりと響いた。
その音に誰もが視線を向けると、そこには――
「ミ……リル?」
――銃を持った右手を真っ直ぐに伸ばしたまま立つ、ミリルの姿が。その顔には何の感情も浮かんでおらず、いつも一緒にいるティア達をして思わずゾッとしてしまうほど、ミリルの纏う空気は冷たく凍てついている。
そしてそのミリルの前には、額を撃ち抜かれた猿の合成体がいた。後頭部まで貫かれた銃創からは真っ赤な鮮血が噴き出している。驚愕に見開かれた瞳からは光が失われ、ゆっくりと後ろへ倒れていく。ドッと重たい音を立て倒れた身体は、感電でもしたかのようにビクンビクンと体を震わせると、そのまま二度と動くことは無かった。
「お、オマエっ――」
「……道を開けなさい。抵抗するなら、自我の喪失を待つことなく、あたしがここで終わらせてあげる」
容赦なく合成体の命を奪ったミリルに、酸欠になったかのように口を開閉するワドル。だがそんなワドルの声を聞く価値も無いとでも言うように、ミリルは鋭く周囲の合成体達を睥睨すると、酷く冷たい声でそう言い放った。
頭部を撃ち抜かれ絶命した死体と、ミリルのその声の温度が、何よりもその言葉を真実だと物語っている。
目の前の現実に誰もが言葉を無くし、動きを止める中、ミリルは何事も無かったかのように歩き出す。向かう先はもちろんワドルの下。周りにいる合成体達など目にも停めず、真っ直ぐにワドルを目指して突き進む。
「な、何をしている! そいつを止めろ! 心まで魔物になってもいいのか!?」
ミリルの絶対零度の視線に射抜かれるワドルが、血相を変えて周囲の合成体達へ命令を飛ばす。
怯え動かない者もいたが、その叫びに我を取り戻した一部の合成体達が、ミリルの足を止めるべく襲い掛かる。
だが――
「――邪魔」
足も止めず、顔を動かすことも無く、ただ銃を持つ手だけを動かして、ミリルはさらに四人の合成体達を撃ち殺した。そこに躊躇いの色など何もなく、殺した相手を哀れ見ることも無く、ただ必要だから、邪魔だから殺したと言わんばかりの態度で歩き続けるミリルに、ティア達を含む誰もが息を呑み動けずにいた。
一瞬のうちに五人が殺されたことで、誰もミリルを止めることはできないと悟ったのだろう。あるいは撃ち殺される恐怖に負けたのかもしれない。ある者は気圧されるようにフラフラと道を譲り、ある者は全てを諦めるように力なく崩れ落ちた。どこからかすすり泣く声も聞こえる。
そんな絶望と恐怖が支配する中を、ミリルは悠然と歩き続けていた。
「お、お前はっ、こいつら全員の命がどうなってもいいのか!?」
己の絶対的な不利を悟ったのか、これまでの傲慢な態度が嘘のように余裕を失ったワドルがミリルに向かって叫ぶ。
そんなワドルの言葉に、ミリルはつまらなそうに小さく鼻を鳴らす。
「そのセリフ、あんたにだけは言われたくないわ」
「わ、私だけが、奴らの魔物化を食い止めることが――」
「まぁこれでも一応、彼らには悪いとは思ってるわよ」
「ならば――」
「でも命が惜しいのはあたし達も同じよ。それに見ず知らずの他人と、大切な家族……どちらを優先するかなんて、そんなの秤にかけるまでもないでしょ」
「わ、私は、神の領域に――」
自分のこれまでの所業も忘れたかのようにミリルを責めたてるワドルに、ミリルは足を止めることなく歩み寄り、淡々と言葉を返す。
「あたしはね、もうとっくに覚悟を決めてるわけよ。そりゃ救える可能性があるなら、あたしだって誰かを殺すのも見殺しにするのも御免だわ。だけどそれで自分や家族が犠牲になるってんなら話は別。大切な家族を守るためなら、あたしは――」
そうしてワドルの目の前に辿り着いたミリルが、奴の額に銃を突き付け――
「――神様だって撃ち抜いてやる」
――そのゆるぎない覚悟を告げた。
青と緑の瞳に射抜かれたワドルが後ずさるが、足をもつれさせて後ろに転んだ。
それでも決して銃口を外すことなく突き付けるミリルが、ワドルを見下ろしてため息を吐く。
「だいたい、魔物化を止める手段があるなんて嘘でしょ」
「なっ!」
確信を持って告げられた事実に、ワドルが大きく眼を見開き、声を上げた。明らかに図星を突かれて動揺している。
その反応に、ミリルが「やっぱりね……」と言うように鼻を鳴らす。
「あたし達の前に現れた偽物の一人が、道案内中に言語が不安定になり始めた奴がいたからそうじゃないかと思ったわ。そんな方法があるなら、あの人の魔物化の進行を止めない理由が無い。あたし達を欺く作戦が破たんしかねないし」
今の話でティアは、先程のクレイジーラビットの女性の話をしていたときに、ミリルが言いかけたのはこのことだと気付いた。まだ可能性段階の情報を、彼女を心配するティアに伝えるかどうか、迷っていたのだろう。
「それに彼らを従えるなら、魔物化を止める方法を実際に見せていないのはおかしいわ。その方が彼らに言うことを聞かせやすいわけだし。おおかた、あたし達に追い詰められて、デタラメ吹き込んだんでしょうけど……所詮は無能な三流以下の魔科学者。その程度の悪知恵が限界でしょうね」
「私が、三流以下、だと……?」
物理的にも精神的にも見下す態度を取るミリルに、ワドルが怯えながらも怒りの表情を浮かべ出す。
「貴様のような小娘に何がわかる!? 私の研究は完璧だ! 私はこの偉大な研究を完成させ、いずれ神の領域に――」
「あんたには無理よ、ワドル。あんたには魔科学者として、最も大事な物が欠けてる」
「何だと……?」
銃を向けられていることも忘れたように叫ぶワドルの言葉をミリルが一刀両断に断ち切る。そして狂気を宿した瞳で見上げてくるワドルに、ミリルがさらに言葉を続ける。
「あんたは容易く人を犠牲にし過ぎる。魔科学者として……いえ、一人の研究者として、それは致命的な欠陥よ」
「何を言う! 魔科学の発展に犠牲は付き物だ! これまでの多くの偉大な発明が、多くの犠牲の上に成り立ってきた! 魔科学の発展のためには、この程度の命など――」
「だからあんたは無能だって言ってんのよ。確かに魔科学は……いえ、魔科学だけじゃなく薬学や医学や考古学なんかも、過去の多くの犠牲の上に成り立っている。そういう意味では、人類の発展そのものが、そう言った犠牲を許容しているのかもしれない。でもね、だからこそあたし達研究者は、犠牲になった過去の人達に敬意を払わなければならない。理論を完璧に整え、実験の成功率を高め、魔科学の発展に犠牲になる人を一人でも減らさなければならない。魔科学を志すあたし達が、それを当然のことと受け入れたらダメなのよ。それを受け入れたら、魔科学の研究は人類を“発展”ではなく“破滅”へ導くことになる」
ま、この人達を見捨てるあたしが、偉そうに言えたことじゃないけど……とミリルが自嘲気味に笑った。
それはきっと、魔科学、魔導技術に身を捧げたミリルの人間としての守るべき一線なのだろう。
ミリルはこれまでに自身の造り出した魔導具で多くの命を奪ってきた。それは家族や自分、あるいは救うべき誰かのためだが、自分の作り出すものが容易く命を消し去るものだと理解している。
これまでにも試作品の実験やら、完成品の試し撃ちなど、いろいろやらかしてはティアに叱られてきたミリルだが、実際にそれで誰かが死んだり大怪我をしたりしたことは一度も無い。ジェイグやアルなどの身内が多少巻き込まれたりはしたが、安全面などには最大限配慮していたのだろう。
「何を甘いことを……そんなことでどれだけの成果が――」
「さっきの部屋で研究資料をチラッと見たけど、魔物の因子と人間の身体の反応を予測した式にいくつか間違いがあったわよ」
「バカな! そんなはずはない! 私の研究に間違いなど――」
自分が間違うはずがないと、ミリルの言葉を否定するワドル。
だがそんな自信に満ちたワドルの顔が、ミリルがその後に口にしたよくわからない計算式やよくわからない科学用語らしき言葉を聞くうちに、見る見る強張り、青くなっていく。
「――あとは魔物の体組織の定着に使っていた魔導具の魔術陣、上部の魔術文字は『固定』ではなく『分解』と『再構築』にすれば拒絶反応は少なくなるでしょうね。使う薬品も、『エルオール』じゃなくて『ミューアの葉』から採れる薬液の方が効果が高いわ。魔導具使用時の魔力の運用も、最初のアプローチからして丸っきりダメ……とまぁ、他にも色々と言いたいことはあるけど、あたしが適当に見ただけでもこれだけの間違いや検討すべきアプローチがあるわけ。最も重要な実験前の理論でこれだけの粗が見つかるのに強引に実験を推し進めて、無駄な犠牲を出し続け、それでもまだ神だのなんだの言い張るわけ?」
「わ、わた、わたしは……わたし、は、神の……」
ミリルの告げた理論や方法に、それまでの自信を打ち砕かれたのか、生気を失ったような顔色でワドルが意味のない言葉を繰り返す。
そんなワドルに、ミリルが止めの言葉を放つ。
「あんたは神になんてなれない。不完全な理論で人の命を奪っただけの、ただの殺戮者よ」
「……ひ、くひひ……ひひひひひひひひっ――」
ミリルの言葉の刃に斬り裂かれたワルドは、壊れたオモチャのように狂った笑い声を上げたあと、魔力が切れた魔導具のようにブツリと意識を途切れさせた。魔科学者としての自信を粉々にされたワドルは、今後何があろうと研究者として再起することはないだろう
まぁそれ以前に、捕らえられたワドルに待っているのは拷問と処刑だ。これだけの人の命を弄んだ以上、奴には相応に相応しい罰が待っているだろう。
それで誰が救われるわけでもないが――
一応、これ以上おかしなことをしないよう、ミリルがワドルの両腕両足をへし折っていた。そこまでする必要は無いと思うが、今回の件はミリルも相当頭に来ているのだろう。おそらく半分以上は、ただの憂さ晴らしだ。
そうして全ての処理を終えたミリルが、ワドルに背を向けてこちらへ向かってくる。そんなミリルの背中を――
「……ドウすれば、イイのよ?」
――絶望に震える声が引き留めた。




