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たとえ姿が変わっても

「……ドウすれば、イイのよ?」


 ミリルを呼び止めたのは、エリゼと言う名の女性の合成体だった。恋人らしき男性、デニスの胸に抱かれていた彼女は、自分達の未来に絶望しかないことを悟り、嘆きの声を上げる。


「人間ニハ戻れナイ……ソレドコロカ、あと数日デ心マデ魔物にナルッテ……ソンナ状態で、私達ハこの先ドウシタラいいのよぉ!」

「魔物にナンテなりたくネェヨ……」

「オ前が! お前ガいなケレバ、全部知ラズに済んダノニ! コンナ……こんナ怖イ思いシナクテ良かっタノ二!」


 その叫びは、その場にいる合成体全員の声を代弁したものだった。あちこちからすすり泣く声や、やりきれない怒りに何かを叩く音が響く。中にはワドルという仮初の希望を奪ったミリルを糾弾する者もいる。


 そんな彼らの声を一通り聞き終えたミリルは、スッと天井に銃を向けて引き金を引いた。


 乾いた銃声が轟き、周りで騒いでいた者達はその音に怯え、あるいは驚き、静まり返る。


「あんた達がどうなろうと知らない。あたし達にはどうすることもできないし、その男にも何もできない。もしそれであたし達を恨むなら、好きにすればいい。ただし、あたし達に危害を加えるつもりなら容赦はしない。あんた達の境遇は同情するし、可哀想だとは思うけど、だからといってあんた達を殺すことに躊躇いはないわ」


 静かに、だけど部屋全体に響き渡るような声で、ミリルが彼らに絶望を突き付ける。二丁の銃を手に、彼らを睥睨する顔には何の感情もなく、彼らからすればその姿はあまりに冷酷で、無情な姿に見えるかもしれない。


 だけど、ティアの目には、ミリルが泣いているように見えた。


「絶望して死を選ぶなら、止めはしないわ。もし自殺が怖いなら、あたしが殺してあげてもいい。どのみち完全に魔物化したなら、殺すしかないわけだし」

「……結局、私達ニハ、死ヌしか道は無いってコトなの?」


 恐怖と諦念の混じり合った声で問うエリゼ。


 そんなエリゼを振り返り、その目を見つめてミリルが答える。


「残念ながら、ね……ただ、それまでの時間をどう使うかはあんたの自由よ。だから――」




 ――最後まで、人間らしく生きなさい。




 魔物に変えられた人々にそう告げると、それ以上は何も言わずに、ミリルは真っ直ぐにティア達の元に戻ってきた。


「……ミリル」


 躊躇いながらも、ミリルの名を呼ぶティア。だが続く言葉が出てこない。


 そしてそれはジェイグもアルも同じようだ。たった一人で全てを終わらせて戻ってきた家族を前に、ティア達は何と声を掛ければいいかわからなかった。


 そんなティア達にミリルは小さく微笑みを浮かべると、無理に絞り出したような切ない声で――


「ただいま……全部、終わらせてきたわ」


 ――と言った。


「っ! ミリル!」


 短いミリルのその言葉に、ティアは居ても立ってもいられず飛び出すと、ミリルのその小さな体を力いっぱい抱きしめた。


「ゴメンなさい……ゴメン……なさい。私に、覚悟が足りないばっかりに、あなた一人に、辛い役目を……」


 全てわかっていた。


 本当は彼らを救うことなどできないことも。


 彼らを殺さなければ、ワドルを止めることができなかったことも。


 誰かが、彼らに絶望を突き付けなければならないことも……


 全てわかっていて、だけどそれを実行する覚悟を決めることが出来なくて……


 そんなティア達の苦悩を、ミリルは全て見抜いていた。だからたった一人で全てを終わらせた。最初の数人を殺したのも、中途半端なことをすれば彼らが止まらず、却って余計な犠牲を増やすからだ。あえてワドルの嘘を暴いたのも、彼らに最後の時を自分で選ばせるため。


 そうして彼らの絶望も嘆きも憎しみも、命さえも、全てを一人で背負い込んだ。


 背負わせて、しまった……


 本当なら、ここにいる家族全員で分かち合うべき重荷の全てを。


 ティアの胸元までしか届かない、その小さな体に……


「別に、こんなこと大したことじゃないわ……」

「ミリル……」


 自分達の不甲斐なさのせいで、大切な家族に辛い役目をさせてしまったことを詫びるティア。


 だがそんな慰めは要らないとばかりに、ミリルはティアの腕を優しく剥がし、ティア達に背を向けた。


「こんなの、全然……あいつ(・・・)が背負ったもんに比べたら、そう……全然、大したことじゃない……」

「ミリル……あなた……」


 自分に言い聞かせるように零れたミリルの言葉に、ティアも他の二人も言葉を失った。


 ミリルの言葉の意味は、黒の翼のメンバーであれば誰でもすぐに察することができる。


 あいつ(・・・)というのが、誰を指しているかも――


 きっと“あの夜”から、ミリルは覚悟を決めていたのだろう。


 ティアが“彼”の心を癒し支えるべく、寄り添い生きることを誓ったように。


 この先、“彼”が背負おうとする重荷を自分が引き受けると――


 自分とは違う誓いを胸に秘めていた妹に、ティアはかける言葉が見つからず、ただ黙ってその小さな背中を見ていることしかできなかった。


「そう言えばティア、さっき渡したアレは?」


 数十秒の沈黙のあと、ティアの葛藤を感じ取ったのか、場の空気に耐えられなくなったのか、ミリルはまるで今思い出したかのようにいきなりそう切り出すと、こちらへ振り返った。その表情はいつも通りのクールなミリルだ。無理しているのはわかるが、ミリルがティアの言葉を望んでいないのはわかった。


 そんな遠回しな拒絶に寂しさと悔しさが胸を締め付けるが、これ以上の追及は、却ってミリルの負担になりかねない。


 ゆえにティアも気持ちを切り替えるように一度瞑目したあと、しっかりとミリルの左右色違いの瞳を見つめた。


「……もちろん、まだ持ってるわ」

「なら、あとはお願い。あたしが殺した中には、多分いないと思うけど、あたしだと怯えられるだろうから」

「わかったわ……大丈夫、必ず見つかるから」

「……ん」


 淡々とお願いを口にするミリルの目に、確かな不安の色を見抜いたティアが励ますように微笑めば、ミリルも小さく笑みを返してきた。まだ弱々しさを感じるが、気遣いに笑みで応じるだけの気力は戻ったらしい。


 そんな妹の肩に「任せて」とでも言うように手を置いた後、ティアは未だ絶望に打ちひしがれたままの合成体達の方へと近づいていく。


「ディーターさん! この中にディーター・オルカさんはいますか!?」


 そうして返事が来ないことを祈りつつ、ミリル達がここに来た一番の目的であるディーノの父親の名前を叫ぶ。


 確信が無いとはいえ、ミリルがああ言った以上、殺した合成体の中にはきっとディーター氏はいないはず。ならば、もしもこの場に彼がいないのであれば、まだ魔物化されていない可能性が残されている。


「……君は……俺を知っているのか?」


 しかし祈りも虚しく、そんな声がティアの耳に届いてしまった。ティアはコートの胸元を固く握り締めながら、ゆっくりとその声の方へと顔を向ける。


「……ディーター・オルカさんで、間違いないですか?」

「あ、ああ、俺がディーター・オルカだが……」


 互いに顔を合わせたうえで改めて問い掛けると、戸惑いながらもはっきりと目の前の合成体の――左右から伸びた湾曲した二本の角を生やした虎の魔物の顔が頷いた。写真で見た優しそうな面影は何一つとして残っていない。


 どうやら他の人達とは違い、発音はほとんど人間と変わらない。原因が合成された魔物によるのか、合成されてからの期間によるのかは不明だが。


「ここに来る前に、あなたの息子さんとお会いしました」

「息子を、ディーノを知っているのか!?」


 ティアの言葉を聞いた虎の合成体が、大声を上げながら勢いよく詰め寄ってくる。ディーノの名前を知っている以上、やはりこの合成体がディーノの父親、ディーター・オルカ氏で間違いないようだ。


 目の前の覆しようのない現実に、ティアは締め付けられるような胸の痛みを感じていた。だが、それを表に出さないよう必死に押し込めながら、真っ直ぐにディーターの顔を見返した。


「私達は、ディーノ君にお願いされて、あなたを探していたんです」

「ディーノが?」

「はい。ディーノ君もアキノさんも、あなたのことをとても心配していました」

「そうか……あの子が……」


 最愛の我が子の姿を脳裏に描くように、俯き眼を閉じてティアの言葉を噛みしめるディーター。


 そうしてディーターが再び顔を上げるまで待っていたティアは、ミリルから預かっていた“ある物”をそっと差し出した。


「これ、仲間が拾ったんです。あなたの物、ですよね」

「それは……」


 ティアが差し出したのは、ディーターが用意した息子への誕生日プレゼント。行方不明になった当日に渡すはずだった、最愛の我が子への贈り物だ。


 小さく息を呑んだディーターが、プレゼントを受け取ろうとゆっくりと手を伸ばし――鋭い爪と黄金色の獣毛に覆われた自分の手を見て、動きを止めた。


「俺は……」


 震える声で小さくそう呟くと、伸ばした手を下ろそうとするディーター。


 だが完全に離れてしまう前に、ティアがその手を掴んだ。そして驚き戸惑うディーターへ、真剣な表情を向けて短い問いを放つ。


「会いたくないんですか? ディーノ君とアキノさんに」

「っ!?」


 虎の顔をしたディーターが、短く息を呑む。そしてティアの言葉によって火を付けられた感情が、ディーターの口から零れ出す。


「会いたいに……会いたいに決まっている! ここにいる間ずっと、二人のことを考えなかった時間は無かった! ディーノは元気だろうか、アキノは無理をしていないだろうか、もしも俺が帰れなかったら二人はどうなるだろうか……考えて考えて、ずっと眠れなかった。今だって、二人の顔が見たくて堪らない……できることなら、今すぐにでも二人の元へ帰りたい。帰って二人を抱きしめて、そして……」


 ――これからもずっと一緒に生きていたい。


 そんな願いを吐露して膝を折ったディーターは、自身の両手を――魔物に変えられた己の手を憎しみと絶望のこもった目で睨みつけた。


「こんな姿で会えるはずがないじゃないか! こんな恐ろしい魔物の姿で、誰が俺が俺だとわかる!? こんな悍ましい腕で、どうやって二人を抱きしめればいい! おまけにいずれ心まで魔物になる! もしかしたら俺が二人を傷付けるかもしれないのに……」


 ディーターの葛藤には、ティアももちろん気付いていた。魔物の姿になった自分を見れば、ディーノは間違いなくショックを受けるだろう。怯えて逃げられてしまうかもしれない。仕方ないとわかっていても、実の息子に拒絶されるかもしれないというのは、父親としては辛いだろう。


「それに、完全な魔物になってしまえば、どうせ二人とは一緒にいられなくなる……それならこのまま消えてしまった方が、あの二人を傷付けずに済む……」


 完全に自我を失った後の合成体達の身柄がどうなるかはわからない。魔物として殺されるか、研究のために拘束されるか……どちらにしろディーノと二度と会えなくなるのは間違いないだろう。


 別れが必然なのならば、このまま自分は消えてしまった方がディーノは傷付かないのではないか。


 ディーターがそう考えるのは、ある意味当然の話で……自分の言葉が、彼を苦しめることになるのはティアもわかっていた。


 それでも……それでも、言わずにはいられなかった。


 たとえどれだけ残酷な言葉であろうと……


 最後には悲しい結末しか待っていないのだとしても……


 父の帰りを待つディーノのためにも、夫の無事を祈るアキノのためにも……そして自分がこんな姿になってなお、残された家族のことを想うディーターのためにも、このまま三人が言葉を交わすことなく別れるなど見過ごすことはできなかった。


「あなたが行方不明になってから、ディーノ君は毎日ギルドに通って、必死にお父さんを探してくれる冒険者を探していました」


 だから教えてあげなければいけないと思った。


 二人がどれだけディーターの帰りを待ち望んでいたかを。


「家からギルドまで、あんな遠い道をずっと歩いて。荒くれ者が多い冒険者達にも怖気づくことなく向かって行ってました。それも全てはあなたを……大好きなお父さんを探すため。強くて優しい、とても勇気のある子です。そんなあの子に何も言わないまま、二度と会うこともなくいなくなるつもりですか?」


 ギルドで助けを求める叫びを、脇目も降らずにミリルに縋りつく姿を、頼みを引き受けた時の大粒の涙を覚えている。母親や友達の前では元気いっぱいに振る舞いながらも、心はずっと不安でいっぱいだったのだろう。きっと今もあの家で、父の帰りを待ち続けているはずだ。


「私達の前では気丈に振る舞ってましたけど、アキノさんもとても心配してました。それこそ、初対面の私達が気付くくらい、無理しているのがわかって……こっちが切なくなるくらいに、あなたのことを想っていました。あなたのさっきの言葉を聞いて、お二人が深く愛し合っていたんだなぁって確信しました。そんなアキノさんが、魔物の姿になったくらいでディーターさんのことがわからなくなると思いますか?」


 どんなに化粧と笑顔で隠しても、アキノが無理をしていることなんてティアにはすぐにわかった。家の中に残るいくつもの真新しい傷や汚れの跡が、まるでアキノの胸中を表しているようで、見ていて心が苦しくなった。


 実はディーノの家を出た後、アキノは一人でティア達を追いかけてきた。そして改めてディーター捜索を引き受けたお礼して、「旦那のこと、よろしくお願いします」と深々と頭を下げてきたのだ。真剣に愛する人の身を案じるその切なげな表情は、その想いの強さを知った。


 あの時のアキノの気持ちも、今ならあの時以上にわかる。たった一晩、リオンが戻ってこなかっただけで、あんなに心が苦しくなったのだ。その苦しみを、彼女はもう一週間近くも味わっている。


 だからこそ、たとえ短い再会になろうとも、ディーターにはアキノの元へと帰ってほしい。


 それは彼女と同じくかけがえのない想い人を持つ、ティアの願いでもあった。


「すぐにお別れするとわかってて会いに行くのは、お互いに辛いと思います。でも、大好きな人に、さよならさえ言えないのは、もっと辛いです……想いの全部を伝える時間は、もう残されていないかもしれないけど、何一つ想いを伝えられないまま、言葉も交わせないままお別れしたら、三人とも絶対後悔する……絶対に……」


 自分は伝えられなかったから……


 大好きだった両親は、いつものように仕事に行ったまま、二度と帰ってこなかった。父は死体すら残らなかったため、お別れの言葉一つ伝えることはできなかった。


 リリシア先生の時はまだマシだったかもしれない。思い出すと今も悲しくなるけど、それでも最後を看取ることはできたから。


 でも言葉を伝えることはできなかった。目の前の現実に打ちひしがれ、リオンの覚悟を前に、ただミリルを止めるだけで精一杯だった。「大好き」でも「ありがとう」でも「さよなら」でも良い。一言だけでも、リリシア先生に自分の言葉で、想いを伝えておけば良かったと今でも時折思う。


 だから……


 膝をつき、呆然とこちらを見上げてくるディーターと視線の高さを合わせると、その手にしっかりとディーノへのプレゼントを握らせる。


「あの二人に、ちゃんと愛してるって伝えてください。あの二人の愛を、逃げずにしっかり受け止めてください。最後の時間を、二人のためにもしっかり生きてください……そして、大切な家族が前に進めるように、ちゃんとお別れしてください。そのためにも、今は帰りましょう? 私達と、一緒に」


 話ながらも、思わず滲みそうになる涙を堪えながら、優しく、力強く想いを伝える。


 ティアのその言葉を黙って聞いていたディーターは、その視線を自身の手元へ――最愛の我が子へ向けたプレゼントへと落とす。


 そして――


「……ぁ……ぁあ…………」


 声にならない声と共に、ポタリポタリと、プレゼントの箱に涙の雫が零れた。虎の瞳から降り出した涙の雨に、大切な物がこれ以上濡れないように、ディーターはそれを胸元に抱きしめるように握りしめる。


「あ……ああ…………ぁああああああああああああああああ――」


 家族を想う父親の悲痛な慟哭が、施設の中を響き渡った。


 ティアもミリルも、ジェイグもアルも、身を斬り裂かれるようなその声が鳴りやむのを、ただ静かに待ち続けたのだった。



















「所長、アーティファクトと実験資料の収集および破棄は完了致しました」


 ミラセスカ地下の実験施設最奥。


 施設内に取り付けられた監視魔導具の映像の灯りと、この部屋の仕掛けを動かす魔導具の光だけが照らし出す室内に、そんな声がかけられた。


 壁に映し出される映像を眺めていた所長と呼ばれた人物がゆっくりと振り返ると、ちょうど自身の部下である施設職員らが部屋に入ってくるところだった。


 職員らは皆、荷車を押しており、荷台には大きな箱がいくつも載っている。あの中に、部下が集めたアーティファクトと実験資料が入っているのだろう。かなりの数があるが、この部屋の広さなら問題ない。十人以上の職員が入っても、まだまだスペースが余っているくらいだ。


「ご苦労。ではこのままこの施設を破棄します。職員全員、速やかに施設外へと逃げなさい」


 手短に労をねぎらったあと、職員全員へ脱出を通達する。ワドルに連れられて行った者以外、この場には全員が揃っているので、これで脱出の準備は完了だ。


 だがそんな所長の言葉に、報告を口にした職員が表情を歪める。


「では、やはりワドル博士は……」

「ええ、彼は侵入者に……じきに彼らはここまで辿り着きます。研究を続けるためには、何としても彼らが来る前にアーティファクトや研究資料を持ち出さなければなりません。そして君達にも生き延びてもらわなければ……」


 研究資料と実験のためのアーティファクト、そしてそれを活かす人材さえいれば、自身の悲願である研究が途絶えることは無い。人間としての道を踏み外し、悪魔に魂を売ってでも続けてきた研究だ。もはや後戻りなどできないし、自分と共にここまで来てくれた部下達のためにも、最後まで諦めるわけにはいかない。


「所長……いえ、会長はどうされるのですか?」


 わざわざ本来の役職名で呼び直した部下は、この中で最も古株の男だ。この研究所内では、自分の表の顔を知らない外部の研究者もいた。そのため所内では、自身の呼称は所長で統一していたのだが、この男からすれば長年呼び続けた“会長”の方が馴染み深いのだろう。


「私は別のルートからミラセスカへと戻ります。家族を残したまま、この町を離れるわけにはいきませんから」


 彼らとここで別れると告げる所長に、部下達が一様に心配そうな顔を見せる。


 こんな非道な研究に力を貸し、ここまで自分に付いて来てくれた部下達の姿に、自然と笑みが零れる。


「大丈夫です。一度町には戻りますが、家族を連れてすぐに私も後を追いますから」


 ワドルは捕まった以上、実験への関与はいずれ明るみに出るだろう。そうなれば犯罪者として追われる身となる。家族にも迷惑をかけることになるが、このまま座して捕まるのを待つわけにはいかない。


「さぁ、それでは脱出を。念のため、脱出ルートは分散しましょう。各自、脱出口の隠蔽や、攪乱工作を忘れないように」


 なかなか動き出しそうになかった部下達を急かすようにそう告げ、自身も脱出のために歩き出し――




「いや、その必要はない」




 ――聞こえたその澄んだ氷のような声に、踏み出した足を止めた。


 その声を発したのは、入口近くに立つ部下の一人だった。近しい部下の中では若手の方だが、この研究所が出来上がる前から一緒にいる男だ。年は確か三十三になる。


 だが今聞こえた声は、明らかにもっと若い男の声だった。


 何かの聞き間違えかと、見慣れたはずの部下の顔をまじまじと見詰める。それは他の職員達も同様だ。ある者は不審そうに、ある者は驚きに目を丸くして、その男を見ている。見ていないのは、その男の隣にいる別の部下だけだ。


 そうして一人を除いたその場の全員の視線を浴びる部下の男は、見慣れた顔に見慣れぬ不敵な笑みを浮かべて、再度口を開いた。


「すでにお前達に逃げ場など無い」


 直後、地下空間ではあり得ない雷鳴が轟き、目も眩むような閃光が弾けた。反射的に両腕で目を覆い、視界を遮る。


 雷鳴も閃光も、ほんの一瞬の出来事だった。だが眩い閃光によるダメージが抜けてからも、十秒以上は硬直したまま動くことができなかった。


 そんな所長の耳に――


「なぁ……変身解くだけなのに、何で雷を?」

「せっかくの登場ニャんで、カッコ良く演出してみましたニャ!」

「さすがに少し大げさ過ぎないか?」

「むしろ足りニャいくらいニャ~。リオンも水魔法でスモーク出すくらいはして欲しかったニャ!」

「……次があれば、一応検討しておくよ」


 先程聞こえた男の呆れを含んだ声と、猫のような言葉遣いで話す快活とした少女の声が届いた。


 その声に、恐る恐る顔を上げると――


「なっ!?」


 さっきまで部下の二人が立っていた場所に、黒髪赤眼に黒コートを着た男と水色の髪の片側をピョコンとまとめた猫獣人の少女がいた。どちらもまだ年若く、おそらく二十にすら達していないだろう。だが二人が纏う空気は、これまでに会ったベテラン冒険者達にも劣らず濃密。そしてそれは今、この研究所に侵入し、自分達を追い詰めている彼女らのものと似ている気がした。


「き、君達は……」


 半ば確信に近い問いかけをどうにか口にすると、視線をこちらに向けた男が、先程同じ場所にいた部下が浮かべたのと同じ不敵な笑みを浮かべて告げる。


「冒険者パーティー、黒の翼所属の二級冒険者、リオン」

「同じくファリン。キュートな四級冒険者ニャ♪」


 キラッと音がしそうなポーズで男に続いて名乗りを上げる少女。


 その反応はともかく、予想通りの答えが返ってきたことに、所長は諦念とどこか安堵が滲む声で「ああ……」と溢すと、ゆっくりと顔を上に向けた。


「やはり、これが天罰か……」


 自分を罰するために現れた断罪者を前に、所長は疲れた声でそう呟くのだった。

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