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家族のはなし(4)

もう、細かなことは覚えていない。


母親にひどく怒られたことだけは鮮明。

でもそれに至るまでの経緯はすっかり頭にない。

綺麗に忘れてしまっているのだから、きっと些細な事だった。


怒られたのだって、今になって思えば、そんなに大した怒られ方でもない。

ただ叱られて、反省しなさいと外に放り出されただけ。なにも村から追い出されたわけではない。慣れ親しんだ村の中、いざとなれば大人たちの目が届く範囲に、ぽんと投げられただけ。


けれど薄暗闇が迫るなか、幼い子供には一大事だった。


どんどんあたりが暗くなる。

お腹も空いた。

扉を叩いても母はうんともすんとも言わない。


星が瞬きはじめてすごくさみしい。


ほーうほーうと、なにかの鳥の鳴く声がひどく不気味。

そんなところでひとりぼっち。


小さなリリーはぐずぐずと泣きだした。


家の前にいるのもなんだか居た堪れなくて、少し遠く、けれど家の明かりが見える所、そんな場所を探してワンピースに両手でしわを作りながらぼてぼてと俯いて歩いた。


前を見ても、後ろを振り返っても、何かがいそうでとても不安。

俯いた顔からぼろぼろと涙が落ちた。


しばらくふらふらして、立っているのも辛くなって膝を抱えて座り込む。

やっぱり顔は上げられない。

ごめんなさいって、おかあさんに言おうと思っているのに、家の明かりを視界に入れると上手に言葉が出なくなって、結局家にも近づけない。


ぐずぐずと自分の鼻をすする音と、ほうほう不気味な鳥の声。

なんだか冷たい気がする風の音が、ついでにあたりの木々を揺らして、その度リリーはびくりと身を竦めてやり過ごした。


それを何度か繰り返した時だ。


がさがさと、身近な草むらが唐突に大きく揺れて、リリーは飛び上がった。


もうやだ。もういやだ!


恐怖も限界だ。パニックぎみにそう叫びそうになった時、



「リリー」



囁くような小さな声。


それを聞いたような気がしたリリーははたとして、開きかけた口をすとんと閉じる。



いま、リリーって言った?



リリーはまじまじと星明りの下、目を凝らした。

そこにぼんやりと浮かび上がる影。

リリーは思わず叫んだ。


「ニコラ!」


「しっ」


頭に草を絡ませて、口元に人差し指を立てるニコラの姿がそこにはあった。








「はい、半分こ」


リリーの横に同じように腰かけて、持ってきたらしい蒸しパンをニコラは半分に割って差し出した。

戸惑いながらリリーも受け取る。


「ニコラ?抜け出してきたの?」


子供はもう家にいる時間だ。

特にニコラの母親は、そういうのに少し厳しい所がある。

ニコラがこの時間ここにいるということは、つまり、そういうこと。


案の定、ニコラは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。


「だって、外で星空を見るなんて楽しいことリリーだけがしてるの、ずるいじゃない?」


嘘だ。


リリーにはすぐにわかった。

こういうとき、いつもとぼけるんだから。

きっと自分を心配してわざわざ来てくれた。


だって、ニコラは暗い所が私よりも苦手だもの。

おかあさんに怒られるのだって、いつも泣きそうな顔してる。

家族に心配かけないだろうか、とか、あとから怒られるな、とか。

家を抜け出すときは、きっと葛藤しただろうし、ものすごくドキドキしたはず。

ここまで来てくれたのもそう。

私が怖い思いをしたように、夜道を歩いてきながら、ニコラもすごく不安だった。

きっとそう。



リリーはさっきあんまりびっくりしすぎたおかげでせっかく止まっていた涙が再び戻ってくるのがわかった。

顔を伏せたリリーにニコラが笑う。


「リリーは泣き虫なんだから」


そうなのだ。リリーはいつも泣いてばかりだった。


それに対してニコラは活発な女の子。いつもその元気で自分を引っ張ってくれる。


同い年のニコラ。生まれた時からずっと一緒。

彼女はとびっきり可愛いのに、勝気で男の子にも負けない。


リリーが男の子たちにからかわれた時は真っ先に庇ってくれて、その子たちと喧嘩だってする。

転んで血を流せば、まるで自分が怪我をしたかのように泣きそうな顔で心配してくれる。

痛くて泣きかけたリリーも、そんなニコラの顔を見るとびっくりしていつも涙はどこかに飛んでいった。


泣きたくないのに勝手に出て来てしまうリリーの涙さえどこかへ持って行ってくれる大好きなニコラ。

魔法みたいな女の子。


ニコラの手がそっと伸びて、地面に落ちていたリリーの手に乗せられる。


「こわいのも、半分こね」


ニコラのその言葉に、リリーは俯いたまま頷いた。



ふたりでいれば、だいじょうぶ。

怒られるのも、真っ暗闇も、きっと、あんまりこわくない。



さっきまで、あんなに寂しかった星空は、途端にきらきら輝いた。



いっしょにいれば、夜空は綺麗。



二人はそれから黙って、手を繋いだまま星空を見上げた。

真っ暗な夜の中、じんわりとした互いの手の温度がとびっきり温かかった。








チュンチュンという鳥の囀りで目が覚めて、リリーはぱちりと目を開けた。


カーテンから光が漏れている。今日も晴れ。

外に出れば、きっと爽やかな風が頬を撫でてくれるだろう。

それなのに、リリーの心は全然晴れやかじゃない。

音もなく窓を打つ雨のようだ。

お昼さえも薄暗くする、静かな雨の日みたい。


ベッドに横たわったまま左手の甲を目蓋の上に乗せる。


とても懐かしい夢を見た。

だいじな夢。



『リリーは泣き虫なんだから』



手の下で暗くなった視界のなかを、どこかから届いたそんな声が響いていく。

重なるようにチュンチュンと、再び外の鳥が鳴く。



とても、懐かしい夢を見た。











シュルヴェステルとニコラって、仲がいいの?



昼頃、ひとつ年下の女の子にそう問いかけられてリリーはつい苦笑した。

すごいタイミング。


「仲ね、悪くはないと思うよ?」


「付き合ってるの?」


すぐさまそう切り返される。

その食いつきようとセリフの意味にリリーは閉口した。


この子も、あの場面を見たのだろうか。


それとも、全然私の知らない所で、あのふたりはそう見えるようなことがあったのかな。


ぎしりという胸の音。


「・・・それは、聞いたことない、な」


耳に届いた自分の声が、ひどく情けないと思った。









リリーは思わず足を止めた。


柔らかな風が彼女の髪をさらっていく。

その彼女の目線の先で、別の少女の髪もまたリリーと同じようにゆったりとなびいていた。



(・・・ニコラ)



親友の後ろ姿が少し離れたところにある。

見間違えるはずがない。物心ついた時には既に傍にいた背中だった。


後ろにいるリリーに気付く気配はない。

ニコラは軽やかな足取りで前を向いて歩いていた。

風に吹かれる彼女の一房の髪が、チカリと日の光に反射して、リリーは綺麗だと思った。


昔からそうだった。

自分の手を引っ張って前を行く彼女を、リリーは一歩遅れて追いかけながらずっと見ていた。


そうするのが好きだった。


同じ背丈の彼女の後ろ姿は、けれど眩しいもののように思えた。

彼女が自分に見せてくれる世界は、いつだって、きらきら瞬く。


(ニコラ・・・)


その背はどんどん遠のいていく。

それをリリーは立ち尽くして見送る。足が動かなかった。


動くたびにひらひらとニコラによく似合うワンピースの裾が揺れる。



風がふたりの間を抜けていく。


視界の中になびく幾筋かの細い自分の髪。

その向こう側に、見慣れたはずのニコラの背。



すぐにそのニコラの姿は小さくなって、角を曲がったのか見えなくなった。




「・・・・・っ」




ニコラ




リリーは顔を俯けた。


動かないでずっと小さくなる彼女の細い背中を見つめていた。

声をかけられる距離だったのに、声をかけられなかった。

口にするのも馴染んだ名前なのに

胸がつかえて、息が詰まって、どうしても、呼べなかった。

どうしても、



こんなこと、なかったのに



ニコラの姿を見て、駆け寄るのを躊躇ったことなんて今まで一度だって、




両の手で顔を覆う。

夕暮れ迫る寂しげな道の上、一人がぽつんと立ち尽くしている。

人は通らない。

ただ、何度も風が撫でていった。





言おう。




そう思った。


決めた。

ちゃんと、ニコラに伝えよう。


私も、彼が好きなの。そう気付いたの。

だから、・・・だから、あなたの力にはなれそうにないって。ごめんねって。


ちゃんと、心を込めて、伝えよう。


あのとき、リリーは一瞬ニコラを憎いと思った。

妬ましいと思った。


信じられなかった。

ニコラに対してこんなに汚い感情を覚えたのは初めてだ。


いやになった。

自分が嫌になった。


ひどく自分が惨めに思える。どうしようもない人間みたい。

なにより、ニコラ。彼女にそんな想いを抱いたことが、許せなかった。

だってニコラのことがリリーは大好きなのだ。

シュルヴェステルとは違う方向で、でも、同じくらいニコラのことが偽らざる心で、好き。


ずっとずっと一緒だった。


一緒に笑って泣いて怒られて、喧嘩して大喧嘩して、謝って謝られて、大きくなって。


父が死んだときも、母が死んだときも、一番一緒にいてくれた。泣いてくれた。


ニコラ、あなたには、しあわせになってほしい

ほんとうに、そう。

心の底から。

それを考えると、シュルヴェステルは一番信頼できる。

だけど、だけどね



こんな心を、彼女にまで伏せるわけにはいかない。


大好きなのだ。大事なのだ。


だからこそ、彼女に対して不誠実でありたくない。


彼女に嘘をつき続けて、嫉妬ばかりして、応援してやれないなんて、そんなことはしたくない。



せめて、正々堂々としていよう。



小さいころ、ニコラとした約束を思い出す。

ニコラの声がした。



『わたしたち、おおきなうそはなしよ。ちいさなうそがあっても、おおきなひみつがあっても、おおきなうそはぜったいに、なし』


ぜったいよ、やくそくだからね、リリー




鼻の奥がつんとした。

どうしよう。昨日から、私、すごく泣き虫だ。


ううん。違う。そういえば、ずっと前から泣き虫だった。そんな自分が情けなくて恥ずかしくて嫌い。

でも、どんなに我慢しても涙は勝手に出てくる。


それを魔法のように笑顔に変えてくれたのはニコラで、

泣いていいのだと許してくれたのは、シュルヴェステルだった。




もし二人が一緒になったとき、ちゃんと祝福してあげられないのはいや。


それだけは、いちばんいや。




だから、言おう。

傷つくのも、傷つけるのも覚悟でニコラに打ち明けよう。



怖いけど、でも、もう決めた。



そう決心して、リリーはやっぱり泣きたくなった。




(・・・困ったな。)


私、こんなに大好きな人がたくさんいる。




なんて贅沢な幸せ者なんだろう。

覆っていた手を下げた時、彼女の顔に浮かんでいたのは涙とどこかぎこちない、けれどちゃんとした微笑みだった。


閲覧ありがとうございます。はしおです。

誤字脱字、ご指摘いただけると大変助かります。


感想をくださった方、感想ページに返信を書かせていただきましたので、よろしかったら御一読ください。

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