家族のはなし(3)
ぽんぽん、と今度はその手が頭を撫でて、リリーは驚いて顔を上げた。
まじまじと隣のシュルヴェステルを見ると、彼が困ったようにはにかむ。
子供みたいな笑顔だ
意外な気がした。シュルヴェステルはリリーの年上だ。
大人の男の人も、こんなふうに笑うんだな
「悪い。弟にはこうしていたから、つい」
「・・・弟さんがいるの?」
「ああ。男ばかりだ。」
何を思い出したのか、シュルヴェステルが微苦笑を浮かべる。
弟のことを思いだしたのだろうか
「妹も欲しかった?」
純粋に聞いてみたくなって尋ねると彼は笑った。
「そうだな。生意気な弟ばかり見ていたら、友人の妹が可愛く思えて、羨ましかった」
つられてリリーも笑う。
小さなシュルヴェステルを思い描く。
少年が、やんちゃな弟に手を焼いている姿がありありと目に浮かんだ。
おかしくて、目が腫れぼったいが、今度はきちんと心から笑えたと思う。
それを見てシュルヴェステルの目元がやわらいだ。
突然泣き出して心配させたのだろうか。
優しい人なのだと、リリーはもうちゃんと知っている。
「でも、きっとシュルヴェステルさんは弟さんも可愛がったでしょう?そんな気がする」
「どうかな。・・・まあ、家族だから、大切に思っていたけど」
どこか遠くを見る様なシュルヴェステルの横顔に、リリーは口を閉じた。
この人は、身寄りはないと言っていた。
でも、生まれた時から孤児というわけではないらしい。
少なくとも弟がいて、友人もいた。
どんな子供だったのだろう。
血塗れになって倒れていた姿が脳裏にちらつく。
このひとに、いったいなにがあったんだろう
「妹がいないから、というわけでもないんだろうが、」
不意に落ちた沈黙を破ったのはシュルヴェステルだった。
「こういうとき女の子になんて声をかけたらいいのかわからない」
くしゃっ、とそう情けなく笑うシュルヴェステルにリリーは思わず噴き出した。
そっか。この人、こういう顔もするんだな。
「充分よ。おにいちゃん」
茶化すように言ったリリーに、シュルヴェステルの片眉がひょいと持ち上がる。
おにいちゃん
そう呼んだのは、このときがはじめてだった。
「この年になって妹ができるとはな」
彼の口元が弧を描くのを見て、リリーは前触れもなくわかった。
ひらめくように、あるいは急に何かがすとんと落ちるように。
感知した、とでも言うべきかもしれない。
心がわかった。
理屈ではなくて、なんとなく。
きっと、彼と私は同じだ。
同じ人間。
妹とか弟とかおにいちゃんとか
おかあさんとか、おとうさんとか
家族、とか
「ひとりは、さみしいのね」
彼と私は多分今、似たような寂しさを持っている。
その似たような寂しさはこうやって引き寄せあうのだ。
寂しい人間は引き寄せあう。
「さみしいわ」
止まったはずの涙が言葉と一緒に一粒落ちた。
ぽつりと脈絡なく呟いたリリーを、不思議に思うでもなくシュルヴェステルは頷いた。
彼もまた、同じことを考えていたらしい。
「ああ」
その同意は、どんな言葉より心に染みた。
その夜からだったと思う。
ふたりは寄り添うように家族になろうとした。
兄として、妹として
それからの日々は、温かな月日だった。
「リリー」
背後から呼び止められて、リリーは思い出の世界から引き戻された。
何度目だろう。彼の声に名を呼ばれるのは。
この声は、あの頃となんにも変わらない。
足を止めて、目を閉じる。
深呼吸をして振り返ると、少し離れたところにシュルヴェステルの姿があった。
彼が片手を上げて笑う。
夕焼けが眩しい。
角度のせいで彼の顔が少し陰って見える。
シュルヴェステルはすぐにリリーの横に並んだ。
「今帰りか?」
「うん。ドリーさんのお使いが終わった所」
「そうか。・・・お疲れ様」
「シュルヴェステルさんも、お疲れ様」
「ああ」
思い出の中のように彼の口元が弧を描いて、胸が締め付けられる。
ぎこちなく微笑み返すと、それからシュルヴェステルは思い出したように表情を険しくした。
「リリー、具合は?」
言われてから、そういえば今朝そんな嘘をついたと思い出す。
そうだった。私、そんな嘘をこの人に言ったんだ。
リリーは曖昧に笑った。
今日は、こんなふうに笑ってばかりだ。
「だいじょうぶ」
信じていないのかシュルヴェステルの手が今朝のように額に伸びかける。
リリーは咄嗟に身を引いた。
彼の手がぴくりと止まる。
「だいじょうぶって言っているのに。心配性なんだから」
誤魔化すように浮かべた笑みは、我ながら上手に笑えたと思う。
シュルヴェステルは溜息をついた。
「心配性くらいでちょうどいい」
「どういうこと?」
「おまえのことだ。心配しないでいられるか」
息が詰まるような気がした。
リリーは俯く。
お願いだから、そういうことを言わないでほしい。
下を向いたリリーを見て、何かに気付いたようにシュルヴェステルが下げかけた手を再び持ち上げる。
その手が自分にもう一度伸ばされるのを目の端で認めたリリーは、けれど今度は避けられなかった。
何故かはわからない。
リリーはただ目を伏せたままじっとしていた。
心臓が耳のすぐ傍で鳴っているような気がする。
今日は夕日が綺麗でよかった。
頬が熱くても焦らなくていい。
ほんの一瞬のことのはずなのに、とても長く感じる。
シュルヴェステルの指が、リリーの髪を梳いた。
その手に一枚の草があるのを目にしてリリーも自分の髪に手を寄せる。
いつのまについたのだろう
シュルヴェステルがそっと草を手放す。
ひらりとその指から細い緑が舞った。
あの指が自分の頭に触れたのだ。
眩暈がしそうだと思った。
「今日は風が強いな」
そう言ってシュルヴェステルがふっと笑う。
リリーは口をきゅっと引き結んだ。
(それは・・・・)
ニコラのこと?
いま、彼女のことを思い出して笑ったの?
頭の隅からあの景色が離れない。
そうだ、あのとき、あの手はニコラにも触れたのだ
(・・・大したことじゃ、ないはずなのに)
やたらと今日は自分がどうしようもない人間のように感じてしまう。
こういう気持ちをなんていうんだろう。
彼の顔が見られない。
今までの日々が嘘のように。
今までの日々。
今までの、だいじなだいじな家族の日々。
お互いが年月をかけて築き上げてきたたくさんのものが全て崩れていってしまう気がする。
「リリー?」
自分の名を呼ぶ耳に馴染んだ彼の声に、その声で呼ばれたくないとリリーは初めてそう思った。




