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『0.01秒の先へ ―中学生スプリンターの挑戦―』  作者: 最強の素人


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第九章 止まる数字

七月。


夏休み。


暑いグラウンド。


隼と井上。


差は。


0.05秒。


一本。


100メートル。


井上が前。


隼が追う。


六十。


並ぶ。


七十。


井上が少し前。


八十。


隼がもう一段。


九十。


並ぶ。


ゴール。


高瀬が時計を見る。


「隼。」


井上の顔が止まる。


隼も一瞬動かない。


「……勝った?」


「ほんのちょっとな。」


隼。


11秒34。


井上。


11秒37。


隼の顔が変わる。


「11秒34。」


自己ベスト。


初めて井上に勝った。


「よし。」


井上が悔しそうに笑う。


「抜かれたか。」


「次も勝ちます。」


「調子乗んな。」


高瀬が笑う。


「今のうち喜ばせとけ。」


隼が高瀬を見る。


「次は高瀬先輩です。」


高瀬の笑顔が少し変わる。


「来いよ。」


けれど。


そこから。


止まった。


11秒42。


11秒47。


11秒51。


自己ベスト。


11秒34。


戻らない。


隼は時計を見る。


「何で。」


「もう一本。」


高瀬が止める。


「今日はやめとけ。」


「でも。」


「一本増やしたら縮むわけちゃう。」


隼は納得しない。


別の日。


また遅い。


「もう一本。」


顧問が言う。


「今日は終わり。」


「まだできます。」


「終わり。」


「何でですか。」


顧問は言った。


「今のお前。」


「速くなるために走ってない。」


隼の顔が変わる。


「タイム出したくて走っとるだけや。」


返せない。


その時。


「分かるけどな。」


声。


山下大河。


同じ一年。


小学生の頃から陸上を続けている。


飛び抜けて速いわけじゃない。


でも。


競技経験は長い。


「タイム落ちたら。」


大河が言う。


「もう一本走ったら戻る気するやろ。」


隼が少し驚く。


「……うん。」


「俺、それ何回もやった。」


「戻った?」


「戻らん。」


即答。


「むしろ余計落ちる。」


「何で。」


「焦るから。」


大河は笑う。


「俺なんか一か月縮まらん時もあった。」


「その時どうしたん。」


「普通に練習した。」


「それだけ?」


「それだけ。」


隼は納得できない顔。


大河が言う。


「陸上って。」


「毎日速くなるわけちゃうぞ。」


隼は黙った。


今まで。


頑張れば。


すぐ数字が返ってきた。


初めて。


返ってこない。


少し前まで好きだった数字が。


今は。


少し怖かった。


練習後。


隼が顧問に聞く。


「全国って、いつですか。」


「全国?」


「県大会勝ったんで。」


高瀬と井上が顔を上げる。


顧問が聞く。


「お前、全国行くつもりやったんか。」


「はい。」


高瀬が笑う。


「隼、お前知らんかったん。」


「何をですか。」


「お前が勝ったのは一年100。」


顧問が言う。


「全中の100は共通や。」


「一年も二年も三年も一緒。」


隼が見る。


「じゃあ。」


「俺、全国出れんの?」


「今年はな。」


隼が黙る。


「次いつあるんですか。」


「来年。」


「来年?」


「年一回や。」


隼の目が大きくなる。


「一回しかないんですか。」


高瀬が笑う。


「ない。」


隼が思わず。


「……厳し。」


顧問が言う。


「せやから全国は重いんや。」


隼は少し考える。


「今年の全国。」


「見たいです。」


「見とけ。」


顧問が答える。


高瀬が横から。


「決勝まで残れたらテレビ映るかもな。」


隼が見る。


「高瀬先輩、決勝行けそうなんですか。」


「分からん。」


「全国やぞ。」


顧問が言う。


「でも可能性はある。」


隼の表情が変わる。


「なら絶対見ます。」


高瀬が笑う。


「その前に俺が残らんとな。」


「残ってください。」


「簡単に言うな。」


「でも見たいんで。」


高瀬も笑った。


それから数日。


11秒48。


11秒53。


11秒47。


隼はだんだん何も言わなくなった。


大河が横から見る。


「またタイム見よる。」


「見るやろ。」


「毎回?」


「当たり前やん。」


「疲れるぞ。」


「タイム気にならんの?」


「なるよ。」


大河が笑う。


「でも悪い日があるって知っとる。」


隼は黙る。


「今までが、うまく行きすぎたんやと思う。」


隼の顔が少し変わる。


「走るたび縮んどったやろ。」


「まあ。」


「そんなんずっと続くわけないやん。」


隼が少しムッとする。


「でも練習しよる。」


「知っとる。」


「前より考えとる。」


「それも知っとる。」


大河は言う。


「でも。」


「頑張った分だけ、毎回すぐタイムに出るわけちゃう。」


隼は返事をしない。


大河が立ち上がる。


「明日も走るやろ。」


「走る。」


「なら今日は帰ろ。」


「簡単に言うな。」


「簡単やん。」


大河が笑う。


「明日また来ればいいだけや。」


隼は少しだけ。


肩の力を抜いた。


全国大会前日。


高瀬と顧問が出発する。


「高瀬先輩、頑張ってください!」


「自己ベスト出してください!」


部員たちの声。


高瀬が笑う。


「簡単に言うなあ。」


隼も。


「明日テレビ見ます。」


「決勝まで残れたらな。」


「残ってください。」


「だから簡単に言うなって。」


顧問が言う。


「高瀬、行くぞ。」


「はい。」


高瀬が部員たちに手を上げる。


「じゃあ。行ってくるわ。」


隼はその背中を見る。


今年。


自分が行けなかった全国。


高瀬は。


そこへ向かっていく。


少しして。


隼も練習。


井上が時計を持つ。


一本。


100メートル。


最近。


11秒34に戻れない日が続いた。


スタート。


走る。


ゴール。


「11秒37。」


隼が少しだけ目を見開く。


自己ベストまで。


0.03秒。


大河が笑う。


「戻ってきたやん。」


隼は時計を見る。


少し前なら。


あと0.03。


それしか考えなかった。


でも今日は。


「……悪くない。」


大河がすぐ反応する。


「お。」


井上も笑う。


「やっと言ったな。」


「何が。」


「前なら11秒37でも不満そうやったやろ。」


隼は時計を見る。


「明日もあるし。」


大河が笑う。


「それでええやん。」


隼も少し笑った。

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