第三章 11秒82
翌日。
サッカー部の練習後。
「今日も残るん?」
海斗が聞く。
「うん。」
「陸上?」
「ちょっとだけ。」
海斗がニヤッとする。
「ハマっとるやん。」
「まだ分からんって。」
そう言いながら。
足はもう陸上部へ向いていた。
高瀬が気づく。
「ほんまに来たんや。」
「来ました。」
「今日は敬語やな。」
「昨日言われたんで。」
「覚えとるならよろしい。」
ジョギング。
動きづくり。
もも上げ。
スキップ。
腕振り。
隼は真似する。
思うように動かない。
「違う違う。」
高瀬が止める。
「足だけ上げても意味ない。」
「難しいですね。」
「走るだけやと思っとったやろ。」
「ちょっと。」
「みんな最初そう思う。」
失敗する。
直される。
また走る。
「もう一本。」
また一本。
顧問が止める。
「今日はここまで。」
「まだ走れます。」
「走れるかどうかやない。」
「休むのも練習や。」
「……はい。」
高瀬が笑う。
「顔に出すぎ。」
「何がですか。」
「まだ走りたいって顔。」
「だって、まだ全然できてないんで。」
高瀬は少しだけ黙った。
「陸神。」
「はい。」
「お前、サッカー好きなん?」
「好きですよ。」
即答だった。
「そっか。」
少し間を置く。
「じゃあ大変やな。」
「何がですか?」
「そのうち分かる。」
隼は首を傾げた。
高瀬は、それ以上言わなかった。
それから数日。
サッカー部が終われば陸上部。
三十分だけの日。
スタートだけの日。
それでも毎日行った。
サッカーの練習中。
海斗のパスを受ける。
一人かわす。
スペースへ走る。
「ナイス!」
以前より速い。
サッカー部顧問が呼ぶ。
「陸神。」
「はい。」
「最近、また速くなったな。」
「分かります?」
「分かるわ。」
顧問が笑う。
「何かしよるんか?」
「練習終わったあと、陸上部で走ってます。」
「陸上部?」
「はい。」
「毎日?」
「最近は。」
「そうか。」
それだけ。
でも。
練習再開後。
顧問は何度か隼の走りを見ていた。
終わって。
海斗が肩を叩く。
「今日も行くん?」
「うん。」
「もう陸上部員みたいやな。」
「ちゃうって。」
「毎日行っとるやん。」
隼は笑う。
「走り方覚えたら、サッカーでも速くなるやろ。」
「ほんまにそれだけ?」
隼の足が止まる。
「……何が?」
「最近、陸上行く時の方が楽しそうやん。」
すぐには答えられない。
「そんなことないって。」
「そう?」
「サッカー好きやし。」
「知っとる。」
海斗は笑う。
「小一からずっとやもんな。」
「うん。」
「じゃあええけど。」
歩き出す海斗。
隼も追う。
ただ。
――陸上行く時の方が楽しそう。
その言葉だけが残った。
その日の陸上部。
「今日はタイム測るぞ。」
高瀬の一言で。
隼の顔が変わる。
「百メートルですか?」
「そう。」
「マジですか。」
「その顔や。」
「え?」
「いや、なんでもない。」
隼はもう。
タイムのことしか考えていなかった。
数日間覚えたこと。
スタート。
最初の数歩。
腕。
後半。
全部思い出して走る。
ゴール。
顧問が時計を見る。
「……は?」
高瀬が反応する。
「先生?」
顧問はもう一度確認した。
「陸神。」
「はい。」
「11秒82。」
「……え?」
「11秒82。」
隼の目が大きくなる。
「11秒台……。」
高瀬も時計を見る。
顧問が聞く。
「最初12秒0やったよな。」
「はい。」
「何日前や。」
「四日くらいです。」
顧問が息を吐く。
「四日で0.18か……。」
隼は嬉しそうに数字を見ていた。
11秒82。
少しして。
「高瀬先輩。」
「ん?」
「中学生で一番速い人って、何秒くらいなんですか?」
高瀬は少し考えた。
「今の全国トップなら、10秒7台くらいやな。」
隼の表情が止まる。
「……10秒7。」
11秒82。
少し考える。
「じゃあ、あと1秒ちょいか。」
高瀬が眉を上げる。
「そこ目指すん?」
「一番速いんですよね?」
「まあ……そうやけど。」
「なら、そこです。」
高瀬が笑った。
「お前、ほんま簡単に言うな。」
隼も笑う。
「まだ何も知らんから言えるだけかもしれません。」
高瀬が少し目を丸くした。
「自覚あるんや。」
「ちょっとは。」
二人が笑う。
顧問はその横で。
11秒82という数字を、もう一度見ていた。
練習後。
顧問に呼ばれる。
「陸神。」
「はい。」
「これからも陸上やりたいんか?」
「走るのは、やりたいです。」
「サッカーは?」
「好きです。」
答えは速い。
「やろうな。」
顧問は頷いた。
「ただ、本気で一番を目指すなら。」
「サッカーの練習終わりにちょっと走るだけじゃ厳しい。」
隼は黙る。
「今すぐ決めろとは言わん。」
「でも。」
「そのうち、選ばんといかん時は来る。」
隼の中に。
初めて。
サッカーか。
陸上か。
その二つが並んだ。
翌日。
サッカーの試合形式の練習。
海斗からパス。
切り返す。
走る。
味方へパス。
ゴール。
「ナイス!」
声が飛ぶ。
でも。
隼の頭には。
今の一歩目。
切り返し。
身体の角度。
そんなことが浮かんでいる。
「隼?」
海斗が見る。
「ん?」
「どうしたん。」
「いや、なんでもない。」
それでも。
また走れば。
また気になる。
練習後。
サッカー部顧問に呼ばれた。
「最近、陸上部に毎日行っとるらしいな。」
「はい。」
「楽しいか?」
少し考える。
「楽しいです。」
「サッカーは?」
「好きです。」
顧問が頷いた。
「最近のお前。」
「サッカーしながら、サッカー以外のこと考えとる時あるやろ。」
隼の顔が止まる。
「……分かります?」
「分かる。」
顧問は責めなかった。
「悪いことやとは言わん。」
「でも。」
「中途半端だけは、やめとけ。」
その言葉は。
隼に残った。




