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『0.01秒の先へ ―中学生スプリンターの挑戦―』  作者: 最強の素人


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第十二章 体育祭

翌日。


放課後。


隼はいつもより早くグラウンドに来ていた。


誰もいない直線。


スターティングブロックを置く。


足を合わせる。


昨日と同じ位置。


後ろをひとつ前。


「……ここ。」


隼が小さく呟く。


構える。


一歩目。


二歩目。


三歩目。


昨日の感覚を思い出す。


力を入れすぎない。


身体を前へ。


隼が立ち上がる。


もう一度。


構える。


走る。


十メートルほどで止まった。


「……違う。」


戻る。


また構える。


走る。


「違う。」


もう一度。


「違う。」


何度やっても。


昨日の感覚にならない。


「何しよん。」


後ろから声がした。


隼が振り返る。


高瀬だった。


「昨日のやつです。」


「10秒98?」


「はい。」


高瀬が笑う。


「まだ気にしとんの。」


「気になりますよ。」


隼はブロックを見る。


「もう一回できそうな気がするんです。」


「できた?」


「……できません。」


「やろな。」


隼が高瀬を見る。


「なんでですか。」


「知らん。」


「知らんのですか。」


「俺がお前の身体の中に入れるわけないやろ。」


隼が黙る。


高瀬が少し笑った。


「ただ。」


「はい。」


「昨日より今日の方が、力入っとる。」


隼の表情が変わる。


「力?」


「昨日は何も考えず走ったやろ。」


「……はい。」


「今日は10秒98出そうとして走っとる。」


隼は何も言わない。


高瀬が続ける。


「速く走ろうとしすぎたら、逆に遅くなることもある。」


「でも、速く走ろうとせんと速くならんやないですか。」


「そらそうや。」


高瀬が笑う。


「やから難しいんやろ。」


隼はブロックを見る。


速く走ろうとする。


でも。


力みすぎたら遅くなる。


意味が分からない。


「陸神。」


「はい。」


「昨日の一本を追いかけるより。」


高瀬が直線を見る。


「今できる走りをちゃんとやった方がええ。」


隼も直線を見る。


「そのうち、昨日の感覚が普通になるかもしれん。」


その言葉に。


隼が高瀬を見る。


「普通に?」


「知らんけどな。」


「またそれですか。」


「知らんもんは知らん。」


高瀬が笑う。


隼も少し笑った。


その日の練習。


隼は10秒98を出そうとするのをやめた。


スタート。


加速。


姿勢。


一本ずつ。


今できることだけに集中する。


タイムは。


11秒31。


11秒29。


11秒33。


昨日の数字には。


遠く及ばない。


それでも。


練習が終わる頃。


隼は少しだけ納得していた。


10秒98。


あれが本当だったのか。


計測ミスだったのか。


まだ分からない。


でも。


一つだけ。


昨日までとは違う。


隼はもう。


十一秒台を出して喜ぶだけの選手ではなくなっていた。


もっと速く。


その先へ。


そう思い始めていた。


九月。


二学期。


教室。


黒板には大きく。


『体育祭 出場種目決め』


と書かれていた。


担任が名簿を片手に教室を見回す。


「じゃあ、まずクラス対抗リレーから決めるぞ。」


その瞬間。


何人かが一斉に隼を見る。


「陸神やろ。」


「そら陸神や。」


「もう一人決まったようなもんやん。」


隼が眉をひそめる。


「なんで勝手に決めるん。」


海斗が隣で笑う。


「お前以外に誰がおるん。」


「知らん。」


「県で一番速いやつが同じクラスにおるのに、使わん方がおかしいやろ。」


周りから笑いが起きる。


担任も苦笑する。


「陸神、出られるか?」


「別にいいですよ。」


「じゃあ一人目、陸神。」


黒板に名前が書かれる。


海斗が手を挙げた。


「俺も出ます。」


「お前も?」


隼が見る。


「なんやその顔。」


「いや。」


「サッカー部なめんなよ。」


「なめてない。」


「絶対なめとるやろ。」


また笑いが起きる。


担任が黒板に佐々木と書く。


「あと二人。」


教室が少し静かになる。


女子の方では別の種目を決めていた。


綱引き。


玉入れ。


障害物競走。


凛は友達と話しながら、希望する種目を書いている。


隼は何となくそちらを見る。


その瞬間。


凛が顔を上げた。


目が合う。


隼はすぐ前を向いた。


「……。」


海斗が横から隼を見る。


「何。」


「何も言ってないけど。」


「顔がうるさい。」


「意味分からん。」


海斗が笑う。


やがて。


リレーの四人が決まった。


隼。


海斗。


野球部の田中。


バスケ部の藤本。


担任が黒板を見る。


「これで決まりやな。」


すると後ろの席から声が飛ぶ。


「陸神、アンカーやろ?」


「絶対そうやろ。」


担任が隼を見る。


「どうする?」


隼は少し考えた。


「どこでもいいです。」


「じゃあアンカーで。」


海斗が笑う。


「逃げんなよ。」


「誰から。」


「知らんけど。」


「意味分からん。」


その日の放課後。


廊下。


隼が教室を出ようとすると。


「陸神くん」


後ろから呼ばれた。


振り返る。


凛だった。


「体育祭、リレー出るんやね。」


「ああ。」


「アンカー?」


「らしい。」


凛が少し笑う。


「らしいって。」


「勝手に決まった。」


「でも速いやん。」


隼は少しだけ黙る。


陸上部では。


もっと速いやつを知った。


高瀬。


全国。


東京の一年。


10秒98。


11秒00。


速いと言われても。


最近は素直にそう思えなくなっていた。


「……まだまだ。」


凛が少し首を傾げる。


「県で一番やったのに?」


「全国にはもっと速いやつおる。」


「ふーん。」


凛は少し考えてから笑った。


「じゃあ体育祭くらい、余裕やね。」


「プレッシャーかけんなよ。」


「別に。」


「かけとるやん。」


凛が笑う。


「頑張って。」


それだけ言って。


友達のところへ戻っていった。


隼はその場に少しだけ立っていた。


「……頑張って、か。」


陸上の大会とは違う。


記録もない。


全国にもつながらない。


ただの学校行事。


それなのに。


少しだけ。


負けたくないと思った。


体育祭当日。


グラウンドにはテントが並び、朝から歓声が飛び交っていた。


午前中の種目が終わり。


昼過ぎ。


クラス対抗リレー。


六クラスの代表が入場する。


隼はアンカーの列にいた。


少し離れたところで、海斗が手を振る。


「隼ー!」


「うるさい。」


「絶対勝てよー!」


「お前らがちゃんと持ってこい。」


周りから笑いが起きる。


スタート地点。


第一走者が構える。


――パンッ。


六人が一斉に飛び出した。


歓声が大きくなる。


一年三組。


第一走者、田中。


好スタート。


二位。


そのまま大きく離されず、第二走者の藤本へバトンをつなぐ。


「いけー!」


藤本が前を追う。


コーナーを回り。


直線。


先頭との差が縮まる。


並ぶ。


抜く。


「一位!」


三組のテントが沸く。


藤本から海斗へ。


「頼む!」


「任せろ!」


バトンが渡る。


海斗が飛び出す。


先頭。


後ろとは数メートル。


「海斗ー!」


声援の中。


海斗がコーナーへ入る。


その時だった。


「うわっ!」


足がもつれた。


身体が前へ倒れる。


「海斗!」


その横を。


一人。


二人。


三人。


次々と抜けていく。


海斗はすぐに立ち上がる。


バトンを握っている。


「くそっ……!」


走る。


四位。


先頭との差は十メートル近い。


アンカーゾーン。


隼が前を見る。


一位。


二位。


三位。


その後ろ。


海斗。


必死に腕を振っている。


「隼!」


隼が走り出す。


海斗がバトンを伸ばす。


「悪い!」


「おう!」


バトンが渡る。


隼が前を見る。


三人。


先頭まで。


約十メートル。


一気に加速する。


一歩。


二歩。


三歩。


差が縮まり始める。


観客席がざわつく。


「速っ。」


「陸神や。」


「県で優勝したやつやろ?」


残り七十メートル。


三位に並ぶ。


抜く。


そのまま二位を追う。


五メートル。


四メートル。


三メートル。


残り五十メートル。


二位の選手が振り返る。


隼はもう。


すぐ後ろにいる。


並ぶ。


抜く。


二位。


先頭まで、まだ四メートル。


「隼ー!」


海斗の声。


三組の歓声。


残り三十メートル。


三メートル。


二メートル。


一メートル。


残り十メートル。


並ぶ。


そして。


前へ出た。


ゴール。


一着。


一年三組のテントから歓声が爆発した。


「うおおおお!」


「勝った!」


「陸神やばっ!」


隼は数歩走って止まる。


息を整える。


後ろから海斗が走ってきた。


「隼!」


隼が顔を上げる。


海斗が苦笑いする。


「やっちまったぜ……。」


隼が笑う。


「サッカー部舐めるな言うたの誰や。」


「うるせえ!」


田中と藤本も笑う。


少しして。


海斗が息を吐いた。


「絶対負けたと思った……。」


「勝ったやん。」


「お前が三人抜いたからやろ。」


隼は少し笑った。


その時。


「陸神くん。」


後ろから声がした。


振り返る。


凛が立っていた。


「さっきの、すごかった。」


「見よったん。」


「そりゃ見るやろ。」


凛が笑う。


「三人抜きとか、ちょっと反則やん。」


「反則じゃないし。」


「でも。」


凛が少しだけ間を置く。


「かっこよかった。」


隼が止まる。


「……そっか。」


「何その反応。」


「いや、別に。」


凛が笑う。


「じゃあ、またあとで。」


「おう。」


凛が友達のところへ戻っていく。


隼はその後ろ姿を少しだけ見ていた。


体育祭。


記録は残らない。


公式戦でもない。


それでも。


三人抜いたことより。


一着でゴールしたことより。


なぜか。


「かっこよかった。」


その一言の方が。


あとまで残った。

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