第十一章 全国のあと
翌日。
放課後。
陸上部のグラウンド。
隼が来ると、部員たちが一か所に集まっていた。
その真ん中に高瀬がいる。
「高瀬先輩、お疲れさまでした!」
「11秒04だったんですよね。惜しかったですね。」
高瀬は苦笑いした。
「惜しいって言っても、準決勝四着やけどな。」
「いや、全国の準決勝まで行ってる時点ですごいですって。」
隼も少し離れたところから、その話を聞いていた。
高瀬が隼に気づく。
「陸神。」
「はい。」
「見た?」
「見ました。」
「準決勝も?」
「はい。11秒04。」
高瀬が笑う。
「よう覚えとるな。」
隼は少し間を置いた。
「決勝も見ました。」
その言葉に、大河が割って入る。
「俺も見た! あの一年やろ?」
井上も頷く。
「11秒00。」
高瀬の表情が少し変わった。
「ああ。」
隼が聞く。
「先輩、あいつ知っとったんですか?」
「名前はな。大会前から速い一年がおるとは聞いとった。」
「……11秒00ですよ。」
「やな。」
高瀬はそれだけ答えた。
隼は少し納得できない顔をする。
「普通なんですか?」
「んなわけないやろ。」
即答だった。
「一年で11秒00は速い。」
隼は黙る。
高瀬が続ける。
「でも全国行ったら、ああいうのがおる。」
隼の頭に、昨日の決勝が浮かぶ。
三年生に混じって走る姿。
四着。
11秒00。
高瀬がグラウンドを見る。
「ほら。話は終わり。」
「アップするぞ。」
部員たちが散っていく。
隼も歩き出す。
けれど。
頭の中にはまだ。
11秒00。
その数字が残っていた。
アップが始まる。
軽いジョグ。
動きづくり。
流し。
いつものメニュー。
高瀬も列に加わっている。
隼はその後ろを走りながら、何度か高瀬の背中を見る。
全国の準決勝。
11秒04。
昨日まで、テレビの中にいた人間が。
今日はいつものグラウンドにいる。
「陸神。」
突然、高瀬が振り返った。
「はい。」
「ぼーっとすんな。」
「してないです。」
「しとる。」
高瀬が笑う。
隼も少し笑った。
流しが終わる。
次はスタート練習。
隼がスターティングブロックを合わせる。
足を乗せる。
一度立ち上がる。
また合わせる。
高瀬が横を通る。
「そこ、ちょい詰めた方がええかもな。」
隼が高瀬を見る。
「ここですか?」
「うん。」
高瀬がブロックを指す。
「後ろ、ひとつ前。」
隼が位置を変える。
もう一度、構える。
「その方が力入るやろ。」
隼が足に力を入れる。
「……確かに。」
「やろ。」
高瀬はそのまま自分のレーンへ向かった。
隼はブロックに足をかけたまま、高瀬を見る。
全国まで行った選手。
その人間が。
今、自分のすぐ横にいる。
顧問の声が飛ぶ。
「陸神、いくぞ!」
「はい!」
隼が前を向く。
「位置について。」
腰を上げる。
「よーい。」
――パンッ。
隼が飛び出した。
一歩目。
二歩目。
三歩目。
いつもより、身体が前にある。
無理に蹴っている感じはない。
それなのに。
進む。
「……っ。」
隼の目が少し見開く。
速い。
自分でも分かる。
いつもの流しとも。
試合とも違う。
身体が勝手に前へ出る。
力んでいない。
なのに。
速い。
そのままゴールを駆け抜けた。
数歩進んでから、隼が振り返る。
顧問がストップウォッチを見ていた。
無言。
「……先生?」
顧問はもう一度、時計を見る。
「いや……。」
高瀬も近づく。
「何秒ですか?」
顧問が少し間を置いた。
「10秒98。」
一瞬。
誰も反応しなかった。
「……は?」
大河が最初に声を出す。
井上も顧問の手元を見る。
「10秒……?」
高瀬が時計を覗き込む。
「さすがに速すぎません?」
「ああ。」
顧問も頷く。
「押すタイミング、ずれたかもしれん。」
隼は何も言わなかった。
10秒98。
普通なら。
その数字に驚くはずだった。
けれど。
隼が気になっていたのは。
数字じゃない。
さっきの走り。
あの感覚。
「陸神。」
高瀬が見る。
「どうした?」
隼は少し考えた。
「……なんか。」
「ん?」
「今の、変でした。」
「変?」
「いつもより力入れてないのに。」
隼が自分の足を見る。
「勝手に進む感じがして。」
高瀬の表情が変わる。
少しだけ。
真剣になる。
「もう一本やってみる?」
隼はすぐに頷いた。
「はい。」
再び。
スターティングブロックへ。
さっきと同じ位置。
足を乗せる。
構える。
隼は目を閉じた。
思い出す。
一歩目。
二歩目。
三歩目。
身体が前へ出た感覚。
力を入れすぎない。
押そうとしない。
「位置について。」
隼が構える。
「よーい。」
腰を上げる。
――パンッ。
飛び出す。
さっきと同じ。
そう思った。
けれど。
違う。
少し力んだ。
途中から、それが分かった。
ゴール。
顧問が時計を見る。
「11秒34。」
大河が笑う。
「全然ちゃうやん。」
井上も笑う。
「やっぱさっき計測ミスやろ。」
高瀬は笑わなかった。
隼を見る。
「どうやった?」
隼は首を振る。
「違いました。」
「何が?」
「さっきと。」
高瀬が少し黙る。
隼はもう一度。
スタートラインを見る。
10秒98。
数字は間違っていたかもしれない。
でも。
あの感覚は。
間違っていない。
隼はそう思った。
何かを掴んだ。
まだ。
何かは分からない。
でも確かに。
今までとは違う何かが。
そこにあった。




