このはフロッグ 其ノ玖①
十九時過ぎ。
夜とは言ってもまだまだ宵の口である。
普段魅子と会っている時間を考えれば早すぎると言えるのだけれど、僕は神社跡に到着した。
しかし、魅子はいた。
いつものように、本殿に凭れかかるようにして立っていた。
期待もしていなければ、いるとすら思っていなかった僕としては幸い、と言うより僥倖と言うべきかもしれない。
「魅子!」
「おぉ、貴様か。今日はやけに早いの」
「ちょっと厄介と言うか、のっぴきならない状況になってるんだ」
「ほぉ、それは面白そうじゃの。しかし、貴様は次から次へと厄介事に巻き込まれるの。これでは厄介事が厄介なんか、貴様が厄介事にしとるのか分からんの」
「僕をトラブルメーカーにするな」
確かに最近ちょっと続いてるのは気になるけども。
ってか、僕の窮地を面白がるな。
「こらこらいかんぞ、経歴詐称は」
「ん?」
「貴様は『ToLOVEる』の作者ではないじゃろ」
「トラブル違いだ。僕にそんな名作は書けない」
とんでもない勘違いだ。
っていうか、今は悠長に軽口に付き合っていられない。
もしかしたら、この魅子を以てしても、今回の怪奇現象は解決出来ないという可能性だってあるのだから。
そうなれば僕は、一刻も早く今後どう生きていくかを考えなければならないのだから。
魅子が口を開いて漫談へ持ち込まないように、僕は機先を制した。
「家に帰れなくなったんだよ」
「迷子か」
「んなわけあるか。この歳で迷子になるやつなんていねーよ。スマホもあるんだし」
「じゃあ呆けか」
「それも違う。僕は若年性認知症にはなってない」
「確かに、高校弱年生の貴様には早すぎるの」
弱年生って何だよ。
僕を馬鹿にしたかっただけなんだろうけど、逆に分かりにくいわ。
『弱』という表現には下というイメージがあるし、弱年生というのは一年生にこそ相応しい呼称だと思うんだよな。
日本では大抵、力加減を三種類に分ける時は『弱・中・強』と表現するし、それが高校における三学年制というのにも符号する。
そうすると、僕は中年生と言うことになるんだけど。
中年生。
何かこう、中年という言葉に引っ張られていいイメージはしないな。
むしろ悪い。
って、そんなことはどうでもいい。
「……とりあえず、僕の話を聞いてくれ」
僕はそう言って、すぐに脱線する魅子を正して今日の怪奇現象について話した。
家だけではなく、全ての建物に入れないのだと――説明した。
「なるほどの。状況は分かったが、この現象に遭うのは今回が初めてか? どうも貴様の言いぶりじゃと、この状況に慣れておるというか、前にもそういう経験があったというような落ち着きを感じるんじゃが」
「あ」
そうだった。
昨日の話――本屋の階段で起きた怪奇現象、いわゆる階段での怪談を、まだ魅子に話していないんだった。
「隠してたわけではないし、何なら昨日ここに来て話すつもりだったんだけど、昨日も似たようなことがあったんだ。まぁ昨日の場合は、『建物に入れない』ではなかったけど」
「そうか、ではその話も聞かせてもらおうかの」
と魅子に言われたので、僕は昨日起きた怪奇現象についても話した。
関係はないかもしれないけれど、媛野のおかげで窮地を脱せたことも包み隠さず伝えた。
「蛙じゃ」
僕の話を聞いた後、開口一番に魅子は言った。
「蛙? 蛙って、あの蛙か? ぴょんぴょん跳ねる蛙か?」
「そうじゃ、あの蛙じゃ。けろけろけろっぴの、ケロロ軍曹の、ピョン吉であるところの蛙じゃ」
「で、その蛙がどうしたんだよ。まさに藪から棒なんだけど」
「出てきたのは棒ではなくて蛙じゃがの」
はは、と軽々しく笑う魅子。
上手いこと言ったつもりなのかもしれないが、僕には脈絡が無さすぎてちっとも笑えない。
「まぁそうむくれるでない。今から話してやるわい」
別に怒っていたわけではないのだが。
何が何だか分からなくて仏頂面になっていた僕を、不機嫌になっていると勘違いしたのかもしれない。
「河津このは」
と、これまた唐突に、魅子は言った。
僕は思わず息を吞む。
その六文字は恐らく人の名前であろう。
特に最後の三文字は、僕にとって今、最も身近で親交のある少女の名前だ。
「貴様は最近、この少女に会ったのではないか?」
魅子が少女と断言するあたり、どうやら魅子もこのはちゃんのことを知っているらしい。
「あぁ、その少女――このはちゃんに会ったよ。このはちゃんの姓が河津だってことは知らなかったけどな。でも――」
魅子が言った言葉は二つ。
蛙。
河津このは。
話が全く繋がらない。
やや強引ではあるが、偶然にもこのはちゃんがリアルな蛙のパーカーを着ていることは、唯一の関連と言える。
共通点で言えば、小さくてかわいいことくらいだろうか。
もっとも、蛙をかわいいと思うのは意見が分かれるところだろうけれど。
「それがどうしたって言うんだよ。まさか、このはちゃんが犯人だとでも言うつもりか?」
「そうじゃ。そのまさかじゃ。そやつが犯人じゃ」
「んなわけあるか! このはちゃんはただの少女だぞ? 人間だぞ? どうやって怪奇現象を起こすって言うんだよ」
「やつは、少女じゃが少女ではない」
「は?」
「人間でもない」
「は? お前はさっきから何を言って――」
「少女の姿はしておるが、少女ではない。人間でもない。やつは霊じゃ」
追い打ちをかけるように、魅子は言った。
「少女の姿をした霊なんじゃ」




