このはフロッグ 其ノ伍①
「なるほどなるほど」
僕がこの怪奇現象を説明する間、媛野は取り乱すどころか、驚く素振りも見せることなく、ひたすら聞き役に徹していた。
そして聞き終えた後の彼女の言が、先の言葉である。
いや冷静すぎるだろ。
こんな訳の分からない現象に巻き込まれてるんだぞ、親友が。
少しは驚くだろ。
ってか驚け。
反応がないと巻き込まれ損な気分になるわ。
巻き込まれ損ってなんだよって感じだけどな。
そもそも、巻き込まれてる時点で大損だよ。
「いや、驚いてはいるんだよ」
驚いてはいるらしい。
僕からすれば、
どこが驚いてた?
って感じなんだけど、そこはやはり優等生なのか、表には出さないのかもしれない。
「でもあれでしょ? 古門くんが今まさにそういう現象に合ってるように言ってるけど、実際はミステリー小説を読み上げただけなんでしょ?」
どうやら僕の話を信じていないらしい。
親友の話を――信じていないらしい。
がっかりだよ。
なんて日だ!
「んなわけあるか! そんなしょうもないことをするために、わざわざ休日に電話を掛けたりなんかしねーよ」
「そうなの? 私はてっきりタネが分からなくて悔しかったから私に試させて、私が解けないとみるや『媛野も分からないなら仕方ないよな』って自分を納得させるために電話してきたんだと思ってた」
「僕は自分の愚かさを認められないほど、小さい男じゃない」
「男子の平均よりは小さいと思うけど」
「おい、僕の身長の話をするな。二度とするな」
「そういうところが小さい」
「僕の聖剣エクスカリバーは大きいぞ」
「そのまま一生本屋に残りたいの?」
「申し訳ございませんでした」
僕は土下座した。
おでこが三階の床にめり込むほどに。
目の前には、媛野はおろか人っ子一人もいないのに。
さすがに立場を弁えなさすぎた。
調子に乗りすぎた。
僕は今、崖っぷちも崖っぷち、船越英一郎が現れそうなほどの断崖絶壁に立たされていることを、すっかりと忘れてしまっていた。
あせあせ。
反省反省。
「……で、どうだ媛野。僕は帰れるのか?」
「うん、多分ね」
「マジかよ!」
マジか、やっぱすげーなこいつ。
「一応、念のため確認するけど、最初――一階から二階へ上がった時と、四階から三階へ下りた時は、何も起こらなかったんだよね?」
「あぁ、そうだ。間違いない」
「問題なのは、二階と三階ってことだね」
「まぁ、そうだな。……って言っても、今は二階に行けなくなっちまってるけどな」
「多分大丈夫だよ。それじゃあ、解決編といきましょう」
「ちょっと軽くないか? 実は内心、楽しんでたりするんじゃないのか?」
「ん? 結構楽しいよ? 探偵っぽくて面白い。さながら安楽椅子探偵みたいだし」
おい。
こちとら命が懸かってんだよ。
「推理が外れても、私は自由の身のままだしね」
「おい! 急に突き放すようなこと言うなよ!」
「ごめんごめん、冗談がすぎたね。さて、そろそろ始めようか」
ゴホン――と、媛野は探偵よろしく咳払いをして仕切り直した。
「古門くんは、今、何階にいるんだっけ?」
「三階だ」
「じゃあ、四階に向かって階段を上がって」
「上がる?」
「いいからいいから。とりあえず、言った通りにしてみてよ」
釈然としないが、媛野に言われた通り階段を上がることにした。
「媛野、既に階段を上がりながら聞くことじゃないんだけど、どっちの足から上がるとか、そういう指定はないのか?」
「うん、ないよ。そういう法則とか縛りじゃないと思う」
そうか。
どうやら僕が試していたことは、とんだ的外れだったようだ。
媛野に電話して良かった。
三階から四階に上がるという発想も、僕には無かったし。
「最後の一段だ。これを上がれば、四階に着いたことになる」
「うん、どうぞ」
「足、下ろすぞ」
僕はそう言って、右足を四階の床に着地させた。
すると。
パッ――と。
僕の目の前の景色は、四階ではなくなっていた。
「……二階だ」
「良かった」
ふふっ、と安心したのか媛野は笑った。
「私の推理は正しかったみたい。これで帰れるね」
「いや待て待て。二階に下りれたのは確かに凄いけど、まだ二階だ。一階に下りないと帰れないだろ」
「ん? 今ので分かったでしょ? 同じように三階に向かって上がれば、一階に下りられるよ」
「いやまぁ、うっすらそうかなとは思ってたけど、理屈が分かってないから確信が持てないんだよ」
「後でいくらでもタネ明かしはしてあげるから、とりあえず下りたら? あ、この場合は上がったら、が正しいのかな?」
確かに紛らわしい。
階段を上がって、一階に下りるってことなんだけど、違和感あるよな。
でも発想を転換させると、地下のフロアに下りて行く時と似てたりする。
下へ下へと下りていくごとに、フロアの数字は上がっていく。
まぁ地下の場合は『B』が付いてるし、ちょっと違うか。
ってか、未だにこの『B』が何の略なのか分からないんだよなー。
いや、今はどうでもいいか。
うん、どうでもいいな。
「じゃあ三階に向かって上がるぜ」
僕はあえて、紛らわしくならないように、丁寧に言った。
ん、と受話口から返事ともつかない声が聞こえる。
きっと彼女の中では答えが出ているからだろうということは察せられた。
なので僕も、淡々と階段を上がって、宣言することもなく三階の床に足を付けた。
パッ――と。
僕の目の前の景色が、待ち望んでいたものへと切り替わった。
「……一階に、着いた」
「ほらね」
ようやく、着いた。
これで僕は、家に帰れる。
しかしあれほど切望していた一階に辿り着いたというのに、媛野があまりにもあっさりと、鮮やかに解決してしまったせいか、雄叫びを上げるほどの、ガッツポーズするほどの、嬉し泣きするほどの、喜びは感じなかった。
どちらかと言えば、『やっと着いたぁ……』という気の抜けた安堵という感じだった。




