このはフロッグ 其ノ貮②
僕はその子供のすぐそばで声を掛けた。
「こんにちは」
「んなっ!」
僕の声に覿面に驚いたその子は、肩をビクッと跳ね上げ、そのままの勢いで全身を跳ね上げた。
それはもう綺麗な、器械体操のような、見事なうさぎ跳びだった。
しかも半回転の捻りを加えて、着地と同時にその子と僕は向かい合う形になった。
「なっ! なんなんなっ!」
その子――少女は、両の手のひらをピンと立てたファイティングポーズ、まさにウルトラマンが敵と対峙しているかのような態勢で、僕を睨む。
ポーズとしての格好は、まぁ悪くないとして、少女の服装としての格好には唖然とさせられた。
少女は、緑色のジャージとパーカーを着て全身緑色なうえに、パーカーのフードには蛙の顔がデザインされている。
それも、結構リアルなやつ。
つまり少女は、蛙の着ぐるみを着ていると言っても過言ではない格好だった。
さっき『うさぎ跳び』と表現したが、どうやら『蛙跳び』が正しかったようだ。
「……えっと」
「あ、マ、マフィア……」
少女は怯えながら言った。
「違うよ」
何でこんな小さい子が『マフィア』なんて言葉を知ってるんだよ。
覚えるにしても『マフィン』の方が早いと思うんだけど。
「な、じゃぁ、山口組なん?」
「僕は暴力団の組員じゃないよ」
いや、だから何で暴力団を知ってるんだよ。
それに具体的な組織名まで。
もしかして君のお父さん、そういう関係の人?
だとしたら僕、間違いなく殺されちゃうね。
「あ、このは今、お金持ってないん」
どうやら少女の名前は『このは』というらしい。
かわいらしくていい名前だ。
しかし、なぜ今ここで無一文であることを自白する必要がある?
少女なのだから、お金を持ち歩いていないことは普通というか、何ら違和感はないのだが。
「それがどうかしたのかい?」
「な? お金目当てじゃないん? 幼気な少女なら簡単に巻き上げられると思って近づいたんじゃないん?」
「僕はチンピラでもないし不良でもないから、カツアゲなんてしないよ」
「そうなん? じゃあ、ケツの穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わさんのん?」
「そんなことせぇへんよ」
ついつられて関西弁になってしまった。
「じゃあお兄ちゃんは何なん? サングラス掛けてイキってる痛い高校生なん?」
急に辛辣になったな。
どうしたんだよ。
まぁ舌っ足らずでかわいい声だから、全然怒りは感じないからいいけどさ。
しかし小学生(推定)なのに、何でこんなに難しい言葉とか俗っぽい言葉をよく知ってるんだろう。
親の教育もこの子の将来も不安しかないんだが。
ってか、僕が高校生だって何でバレてんだよ。
今日は制服じゃないんだぜ?
「イキってはないよ。サングラスを掛けただけの、ただの高校生だよ」
「そうなん。このはてっきり、サングラスを掛ければちょっとはカッコよく見えると思ってる、ただの勘違い野郎だと思ってたん」
「……っ」
カッコよくなるとは思ってない。
思ってないんだ。
でも……、否定しづらい。
こんな僕でも、少しはマシに見えるんじゃないか、見えるだろうという淡い期待というか、哀れな期待というか、そういう邪な思いが、なかったとは――言えない。
「あ、もしかして、痛い高校生の痛いところを突いちゃったん? お兄ちゃんごめんなさいなん。このはよく言われるん。人と話すときは、もっとポリエチレンテレフタラートに包みなさいって」
「このはちゃんはまだ小さいんだし、言い方が直截的になることは仕方ないし、この際僕が痛い高校生だってことは甘んじて受け入れるとしても、ポリエチレンテレフタラートは間違ってると言わざるを得ないな。それに包まれたお菓子をそのまま食べちゃったら、命に関わるかもしれないよ?」
「な? そうなん? じゃあ正解はなんなん?」
「それは――」
僕は答えを言うすんでのところ、いやもしかしたら小さい『お』の音は出てしまっていたかもしれないが、とにかく堪えた。
答えなかったのは、もちろん意地悪ではない。
むしろこのはちゃんのためである。
教育において、すぐに答えを教えるのも悪くはないが、最も本人のためになるのは、本人自身で考え、答えを導き出すことだ。
それに従い、僕は彼女に考えてもらうことにした。
というのは、嘘だ。
詭弁だ。
単に、彼女ならもっと面白い回答が出てくるのではないかと思ったのだ。
僕は相当な意地悪だった。




