ゆいデリューション 其ノ拾②
「妄執?」
僕はただ魅子の言葉をオウム返しに言うことしか出来なかった。
媛野は妄執に取り憑かれていた。
さしもの僕も、その言葉の意味は分かる。
だが、『媛野』と『妄執』のイメージがあまりにもかけ離れていて、どうにも消化不良だった。
「そうじゃ。あやつは貴様とは違って、霊ではなく、自分で自分を苦しめとったということじゃ」
自縄自縛ということじゃの、と魅子は言い添えた。
「なんでお前にそんなことが分かんだよ。二回しか会ってないお前が」
「それは儂の専売特許じゃからの、企業秘密じゃ。それに、貴様が聞きたいのは儂のことではなかろ?」
妄執というのは、あくまでも人の心、内側の話だ。
霊というのは非科学的であり一般的には目に見えない存在ではあるが、一方では見えるあるいは感じるという人も一定数いるわけで、言わば見える人ぞ見えるというものだ。
幽霊なんてものは存在しない、と言う人もいるだろうが、僕は今ここで幽霊の存在有無について論争したいわけではないので、ここではそういうものだと思って欲しい。
魅子が霊を見ることが出来るということに関して、僕としては認めざるを得ないし、世間的にも検討の余地があるだろう。
だが、他人の心を覗くというのは、僕としても、世間的にも、認めることはできないだろう。
しかしそれを、魅子はやってのけたらしい。
にわかには信じ難いが、否定しきれないのは、謎多き魅子こそだ。
こいつは本当に、何者なんだろうか。
気にはなるが、まぁいい。
後からでも聞けるしな。
今は媛野の話が先だ。
「……そうだな。じゃあ、媛野は何に執着してたって言うんだよ」
「貴様が今まで見てきたあやつ、そのものじゃよ」
僕が今まで見てきた媛野――とはどういう意味だ?
意味が分からない。
「簡単なことじゃ。貴様はあやつに、どんなイメージを抱いておったんじゃ?」
「それは……、頭が良くて、顔が良くて、性格が良くて、スタイルが良くて、誰からも好かれる人間って感じかな」
「才学非凡、容姿端麗、品行方正、才色兼備どころか十全十美じゃ。貴様は言いながら思わんか? 完璧な女子じゃと」
「思うよ。思ってるよ。あいつは完璧だ。非の打ち所がまるでない、神みたいなやつだ」
「しかしな、貴様。生まれながらにして完璧な、貴様が言うところの神みたいなやつなんぞ、おると思うか?」
「思わないけど、思わなかったと言わざるを得ないよ。媛野がいるんだから」
はぁ、と魅子は再びこれ見よがしにため息をついた。
「短絡的に考えるでない、馬鹿者。生まれながらにして優秀な人間なぞおらん。絶対に。一人もじゃ。学力や体力の根底にあるのは育った環境であって、遺伝子や運命などではない。力の差はすなわち環境の差なんじゃ。そして環境には、本人の努力も含まれる。つまり、儂が言いたいのは――」
魅子は一瞬の間を置いてから、僕に言い含めるようにして言った。
「あやつは勉強せずに頭が良いのか? 顔や体のケアをせずに美貌を保っておるのか? 相手のことを思いやらずに性格が良いのか? 一つの努力もせずに全てを得ておるというのか? ということじゃ。ここまで言えば、貴様でも理解できよう?」
「……あぁ、よく分かったよ」
コツや閃き、量の違いはあるにしても、全く勉強せずに頭がいい人なんて、いない。
生まれ持った顔立ちや体つきはあるにしても、予防やケアを全くせずに美を保てる人なんて、いない。
本人の性質はあるにしても、相手のことを全く考えずに優しくできる人なんて、いない。
つまり媛野は、意識して、努力して、完璧な媛野になっているということだ。
媛野の努力を軽んじていたことは恥じるところだが、しかし、媛野にとって、それの何が妄執なのだろうか?
「けど、媛野が努力して完璧な人間になったことと、妄執は関係あるのか? 僕の中では全然繋がらないんだけど」
「完璧な人間というのが、『理想』じゃったら、『ありたい』じゃったら関係ない。じゃが、あやつは、そうではなかった。あやつは『あるべき』『あらねば』であり、『義務』じゃったんじゃ。そして裏を返せばそれは、『あらぬ』ことは『厳禁』ということじゃ。つまりあやつにとって完璧な人間であることは当然、当たり前で、そのための努力もまた然りなんじゃ。想像するだけで息が詰まるんじゃが、貴様ならどうじゃ。二十四時間、三百六十五日、完璧であることが当然で、完璧でないことが許されない環境じゃったら、どうじゃ?」
「それは……」
完璧な人間であることが当たり前。
努力して当たり前。
それはすなわち。
媛野にとって完璧な人間は、普通の人間ということになるのではないか。
完璧であることが普通。
媛野は普通の人間であるために、普通以下の人間にならないために、努力をしているということになるのではないか。
人が人であるために、というような。
人ではない何かに成り下がることのないように、というような。
そんな強迫的な感覚で。
自らを縛り、脅し、虐げる。
自虐。
比喩でも何でもない。
正真正銘の、自虐。
自らを虐待している。
それは、ただの――。
「地獄だ」
必要以上に、執拗なまでに、完璧な人間であろうとする。
あらねばならないと思い込む。
そのあまりにも過剰な完璧主義を、妄執と言わずして何と呼ぶのか。
魅子の言うことが正しいのなら、間違いなく媛野は、妄執に取り憑かれている。
「自ら完璧な人間であることを義務と課し、強制的に必然的に努力をこなす。もはや苦役じゃ。奴隷じゃ。あやつは自らの心によって、自らを奴隷にしとったんじゃ。さっき儂は『自縄自縛』と言うたが、そんな言葉では生易しすぎる。終わりの見えん、残酷な負の連鎖。貴様の言う通り、これは地獄じゃよ」




