ゆいデリューション 其ノ伍
「最近、猫の死体がよく見つかるんだって」
学校の昼休み、僕が昼食を終えて机に突っ伏していると、僕の席の隣にいた女子二人組からそんな声が聞こえてきた。
それまで彼女たちの声なんてただの雑音で、何を話しているのかなんて聞いてもいなかったのだけれど、なぜかその一言は鮮明に僕の耳から脳へと伝わった。
猫の死体がよく見つかる。
日本語として何ら不自然ではなく、ネイティブジャパニーズとしては考える必要もないほどに、その言葉の意味を解することが出来る。
しかし、どうだろう。よく考えてみたい。
日本語としては不自然ではなくとも、実生活において、実際に即して考えると、果たしてこの表現は自然だろうか。
僕がその現場を目撃し、現象を把握していたのだとしたら、きっと僕はこう言うのではないだろうか。
猫がよく死んでいる――と。
意図することは同じであり、言いたいことは同じである。
しかし、あえて『死体が見つかる』という表現を用いるのはやや不自然と言うか、意味ありげに聞こえてしまう。
猫だと分かりにくいかもしれないので、人で一つ例を挙げてみよう(ダジャレを言ったつもりはない)。
極端かもしれないけれど、高齢者が人口の八割を占めるような地域があったとする。
そこで不幸にも、立て続けに住人が家で亡くなってしまったとしよう。
それを同じ地域に住んでいるおしゃべり好きの婦人が知り、友達に世間話をする時、婦人はきっとこう言うだろう。
『最近、亡くなる方が多いらしいわよ』と。
最近猛暑が続いているけれど、ご老人はエアコン使わないって言うしね。
今時使わないなんて考えられないわ――なんて言いながら。
間違っても、
最近、死体がよく見つかるらしいのよ。
あらやだ、物騒ねぇ。戸締まりはきちんとしないとね。
とはならない。
猫と人の違いはあれど、どちらにしたって『死んでいる』ことを『死体が見つかる』と伝えるのは、日常的には有り得ないと言ってしまっていいだろうし、それでもなお『死体が見つかる』という表現を使うのだとすれば、それは発言者にとって『死体』もしくは『死体が見つかる』ことそれ自体に何らかの意味があると考えられる。
不覚にも長々と語ってしまったが、要するに僕は、女子高生のする雑談としては似つかわしくない話題で、なおかつその言葉のちょっとした違和感によって、突如として隣の女子の声が耳に入ってきたのかもしれなかった。
その後も僕はまるで陰キャのように(と言うかそもそも陰キャなのだが)、机に突っ伏したまま耳をそばだてて、彼女たちの会話を聞いていた。
彼女たちの会話の半分は『ヤバい』という単語で、『ヤバいね』に対して『ヤバいよね』で返して二人で共感し合うようにうんうん頷いていたりしていたが、正直その会話自体が僕的にはヤバい気がした。
『ヤバい』という単語を聞きすぎて、途中で『矢場井さん』とか『矢倍さん』って姓の人がいたら人生苦労するだろうなー、と至極どうでもいい感想を抱いたほどだ。
女子高生の語彙力、マジでヤバい。
で、残りの半分に身になるものがあったかと言えば、あった。
もっと言えば、彼女の『死体が見つかる』という表現に間違いはなく、それ相応の理由があったということが分かった。
どうやらその死体、ただの死体ではないらしい。
腹をスパッと直線的に切って開腹させられていて、中の臓物が漁られた形跡があるらしい。
想像するのもおぞましいが、直線的な切り口なのだとすれば、それは刃物によるものであり、人の仕業と言っていいだろう。
加虐的で嗜虐的で狂気的な人間による、衝撃的で猟奇的な犯行と言わざるを得ない。
常軌を逸している。
きっと犯人は愉悦に浸っていることだろう。
その歪みに歪んだ嗜好からして、猫には申し訳ないが、猫で済んでいるだけマシと言ってもいいかもしれない。
そのうち猫では満たされなくなって、もっと大きいもの――人とか――に手を出す可能性だって大いに考えられる。
彼女たちはそこまで考えている風はなく、話半分、冗談半分で話のネタにしていたようだが、少なくとも僕はそんな危機感を抱いた。
かと言って、僕が何をするわけでもないのだけれど。
するにしても、精々お墓参りでもして、無残な最期を遂げた猫たちを偲んでやるくらいが関の山だ。
まぁ、殺されたのはきっと野良猫だろうし、お墓なんて建ててもらえてないだろうけれど。




