賽は投げられた
「とても良いと思う。秋元君、ありがとう。ぜひこの案を採用しよう。ただ、一つ気になることがあるんだ」
「気になること、ですか? なんでしょう?」
「それは、虎舎の扉の南京錠は開錠されているのに対して、檻の南京錠は破壊されていることだよ。内部犯だとすれば、鍵は容易に拝借できるわけだから、わざわざ破壊する必要はない。外部犯だとしても、南京錠を破壊せずに開錠するテクニックを獣舎の扉で披露しておきながら、檻の方は破壊するというのは不自然だ」
「それは確かに」
「僕でも気づくぐらいだから、警察もきっと指摘してくると思う。だから、この矛盾は解消しておこう」
とは言ったものの、これまた妙案は思い浮かばない。
最悪、扉の鍵を掛け忘れていたということにするしかないが、この悪手はなるべく使いたくない。
この手を使った場合、ストーリーの不自然さは解消されるが、施錠忘れに対する責任を追及されることになり、動物園側を叩く材料を増やしてしまう。
「んー、なら扉の方も壊します?」
「いや、それはさすがに……」
千尋は否定しようとしたが、喋っている途中で考え直した。
――いや、待てよ。安直すぎると思ったが、実はこれが最良なのではないか? 証拠を捏造するなんてまさに犯罪者のすることだが、背に腹は代えられまい。それにしても、今日の秋元君は妙に冴えている。
「と思ったけど、それが一番シンプルで矛盾を解消できる策な気がする。秋元君、ありがとう。今回も秋元君の案を採用することにしよう。ただ、さすがに僕たちだけでは決めかねるから、園長が戻ってきたら相談し――」
「誰か! テレビ! テレビを点けてくれ! NHK! NHKでいい!」
園長が大声を上げながら事務室に戻ってきた。
どうやら警察への連絡が終わったらしい。
事務室にいた全員がテレビの方に顔を向ける。
テレビの近くにいた飼育員が、慌ててリモコンを手にして、テレビを点ける。
画面はすぐに明るくなり、同時に音声が出力される。
『――さい。繰り返します。緊急速報です。愛媛県松山市のいよ動物園で、先ほど四頭の虎が園外に脱走したとのことです。近隣にお住まいの方は、絶対に屋外に出ないようにしてください。もし現在外出中の方は、建物の中など安全な場所にすぐに避難してください。現在、警察と自衛隊が協力して――』
こうなることは想定していた。ある程度心積もりはしていた。
それでも、いざこうして報道されているのを目の当たりにすると、事の重大さを痛感せずにはいられなかった。
事が起きた前後の光景が無意識に頭を駆け巡っていく。
振り返ってみても、自分に過失は見当たらない。防ぎようもなかったと思う。
それでも、脱走させてしまった後悔と責任感が、千尋を掴んで離さない。
「見ての通り、生命を脅かす危険な事件として各報道局から順次報道される。皆の元に家族や友人から連絡が来ると思うが、事件の内容などは一切話さず、安全を確保すること、これだけを伝えてほしい。それと、これから警察と自衛隊がこちらにやって来て、事情聴取やら記者会見なんかをすることになるが、皆にやってもらうことはない。なので、皆には今すぐ帰宅してもらい、明日に備えておいてほしい。私からは以上だ。では、皆さん今日もお疲れ様でした。解散!」
園長の指示を受け、皆が一斉に帰宅の準備に取り掛かった。
一方、千尋は想定以上の自責の念に、放心して動くことができなかった。
「菊池君」
いつの間にか、園長が目の前までやって来ていた。
千尋は鉛のように重たくなった頭をなんとか上げた。
「すまないが、さっき言った通り、これから事情聴取とか記者会見があるから、現場に居た者として、同席をお願いしたい」
「……分かりました」
千尋の落ち込みようを見かねてか、園長は千尋の肩をポンと叩いた。
「菊池君は真面目だから、きっと責任を感じているんだろうと思うけど、そんなものは一切感じる必要ないからね。だってそうだろう? 菊池君から当時の状況を聞く限りじゃ、どうしようもないじゃないか。気づきようも防ぎようもないよ。それに、責任を取るのは園長である私だ。園長の唯一の仕事だと言ってもいい。その唯一の私の仕事を奪わないでくれ」
園長はにこやかに笑う。純度百パーセントのとても優しい笑顔だ。
千尋は思わず泣きそうになるのをなんとか堪えた。
「だから、菊池君は何も気にせず、堂々としていればいいからね。この後の事情聴取とかも淡々と答えてくれるだけでいいから。あ、でも記者会見で『申し訳ございませんでした!』って頭下げるときは、思ってなくても一緒に頭下げてね。頼むよ」
園長は声を上げて笑った。つられて千尋も笑う。
園長は部下のことを大切にしてくれるし、ユーモアがあって本当に素晴らしい人だ。
改めて、園長が園長で良かったと思う。
「はい、ありがとうございます」
「そうですよ、千尋さん。落ち込んでる場合じゃないんです。もっとシャキッとしてください、シャキッと」
秋元はニッと笑って、千尋に活を入れる。
しかし、爽やかな笑顔が次第にニヤついた顔に変化していった。
「あれ。千尋さん? もしかして忘れてます?」
「ん? なにを?」
千尋には何のことか、まるで検討がつかなかった。
「鍵ですよ、鍵。虎舎の扉の鍵!」
「あっ!」
千尋はすっかり忘れていて、今思い出したことがよく分かる声を上げた。
大きく開いた目と口を添えて。
「千尋さんってそういうとこありますよねー」
秋元は笑いながら、やれやれと言わんばかりに両手を上げている。
「秋元君、思い出させてくれてありがとう。園長、すみません。相談があるのですが――」
千尋は、秋元と二人で考案した辻褄合わせのストーリーと相談について園長に話した。
園長は時折相槌を打ちながらも、終始聞き役に徹してくれた。
「どうでしょうか、園長」
「よし、それでいこう。彼らが来るまで、もう幾ばくも時間は残されていないだろう。今すぐに虎舎に行って、鍵を壊してきてくれ。さぁ、早く!」
「千尋さん、行きましょう!」
千尋は園長の目をしっかりと見て、一つ頷く。
その後、秋元の方に顔を向ける。秋元はもう立ち上がっていた。
「行こう」




