秋元の妙案
千尋は秋元と事務室に入った後、自席に着いてひとしきり思案してみた。
発覚したのが十九時半前後だと仮定すると、普段なら事務作業をしていて、虎舎に行くことなどまずない。それでも、虎舎に行く用事を作らなければならない。
とは言え用事はないし……。
といった感じで堂々巡りが続き、自分一人では全く妙案が思いつかなかった。
千尋はお手上げとばかりに、体を思い切り背もたれに預け天井を仰いだ。
しばらく仰いでいると、視界に秋元の顔が映りこんできた。
「何か良いアイデアは浮かびましたか? って、その感じだと上手くいってないっすよね」
千尋は返事の代わりに両手を挙げる。
それを見た秋元は苦笑した。
「僕も考えてみましたけどダメですねー。元々頭使うタイプの人間じゃないですし」
「いやいや、一緒に考えてくれるだけで嬉しいよ」
「千尋さん、否定はしないんですね」
「うん、否定はしない」
二人で笑った。笑ったことで、張りつめていた心に少しゆとりができた気がする。
こういうとき、彼は本当に頼りになる。
「それにしても、なんでリヒトたちは脱走したんですかねー」
千尋は、秋元の言葉に引っ掛かりを感じた。
「なんで脱走した、とは?」
「いや、誰かが錠を壊したんだとは思いますけど、扉が開け放たれたからって脱走しますかね? ブルーム以外は、生まれも育ちもここなんですよ? 危険を冒して脱走するほど、ここが嫌だったとは思いたくないっすけど」
「そうなんだよね……」
千尋もそれは思っていたところがある。
普通、他の虎たちに攻められるなどの外的要因がない限り、自らナワバリを捨てることはない。
ただ、動物園において外的要因などあるはずがない。
それなのに、彼らは脱走した。
なぜ脱走したのか。育ての親である自分を置いて。
パンッと音がして、千尋は思考の海から現実の世界に引き戻された。
秋元が柏手を打ったようだ。
「確か千尋さんって、リヒトが生まれたときから世話してるんでしたよね?」
「うん、そうだけど」
「ってことは、千尋さんにとってリヒトは子どもみたいなもんですね。もっと言えばドナーやローズは孫だ」
「恥ずかしいけど、そう思ってるよ」
「つまり、千尋さんと彼らの関係は家族、そう、家族なんですよ! だとしたら、全然違和感がない。うん、むしろ当たり前だ!」
秋元は興奮した面持ちで、一人盛り上がっている。
「ん? どういうこと? 何が当たり前なの? 全然分からないんだけど」
「アリバイですよ、アリバイ! 妙案を思いついたんです!」
何の話かは分かったが、『アリバイ』はやめてほしい。
当たらずといえども遠からずではあるが、事実を捻じ曲げようとしていることに罪悪感を覚えてしまう。
「どんな妙案?」
「千尋さんとリヒトたちは家族なんです。であれば、帰り際に『またね』とか『おやすみ』とか一言あって良いと思うんですよ。ていうか一言あって然るべきですよ。そう思いませんか?」
「まぁ、確かに。一言あっても違和感はないね」
「そうですともそうですとも。だから、僕の筋書きはこうです」
秋元はわざとらしく、大きく咳払いをする。
「十九時半頃、千尋さんは事務作業を終えた。……残業お疲れ様です]
秋元がぺこりと一礼する。
「そして帰宅の途につく前に、いつものように虎舎に行き、リヒトたちに別れの挨拶をしようとした。しかし、だがしかし、虎舎の扉の鍵はなぜか開錠されていて、扉を開けると、中はもぬけの殻となっており、檻の前に壊れた南京錠が転がっていた――。これでどうですか?」
頭を使うタイプの人間ではないと自負している秋元にしては――というと失礼だが――確かに妙案だと思う。僕の経歴やリヒトたちの生い立ちを踏まえた自然なストーリーだ。
そう思いながら千尋は、解消しておいた方が良さそうな点に気づいたのだった。




