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第二位、人間  作者: 青野 乃蒼
逆襲の果てに

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絶対にぶっ壊してやる

凛から電話があったのは、朝の通勤途中だった。


今日、凛は日勤だった。その凛から電話があるのは珍しい。

不思議に思いながら電話に出た。


「もしもし」

「コタ、お母さんが……お母さんが!」


予想だにしない凛の悲痛な叫びが、受話口から聞こえてきた。


声の調子からして、ただ事ではないことをすぐに察した。


「お母さんに何かあったの?」

「お母さんが、死んじゃう!」


虎太郎は耳を疑った。



母が死ぬ?



しかし凛が冗談を言っているとは思えない。


だとすれば、母の身に一体何があったというのか。


「何があった?」


凛はついに泣き出した。

慟哭が耳に痛いほど響いてくる。


泣き声が続くばかりで、答えは返ってこない。


「おい、凛! 何があったんだ、教えてくれ!」

「……お母さんが、虎に襲われた。嚙まれた痕がたくさんあって……、いっぱい血が出てて……」


また耳を疑った。



虎が母を襲う――?



母は元皇族である父の妾だ。

その母を手に掛けようものなら、己の首が飛びかねない。


その危険を冒してまで母を襲う理由は何なのか。


そんな理由があるというのだろうか。


とにかく状況が知りたい。

でもまずは、早く母の元に行かなくては――。


「今どこにいるの? お母さんと一緒?」

「……市立病院」

「分かった、すぐ行く。そこで待ってて」



自転車を翻し、全力でペダルを漕ぐ。


壊れそうなほどの速度で車輪が回る。


それでも病院がとても遠く感じた。


なぜもっと速く走れないのかと苛立って、ペダルを漕ぐ脚にさらに力が入った。






出入口付近に自転車を乗り捨てるように乱暴に停めて、病院の中に駆けこむ。


受付で事情を話すと、手術室に案内された。


案内役の看護師についていくと、手術室の前のベンチに、凛が俯いて座っていた。


「凛!」

「コタ……」


凛の元に駆け寄ると、凛は抱きついてきた。


涙を流して震えるその背中を、優しく撫でてやる。


「凛、ゆっくりでいいから、何があったのか教えてくれる?」

「……うん」



少し待つと、凛は身体を起こして腕の中から離れていった。


それから、訥々と話し始めた。


「朝、コンビニに行ってたら、遠くの方に大きい物体が落ちてるのが見えたの。最初は特に気にしてなかったんだけど、徐々に近づくにつれて、それが人に見えてきた。もしかしてと思っていたら、やっぱり人だった。それに、周りには血がたくさん出てて。ヤバい、助けなきゃと思って駆け寄ったら……お母さんだった」


そこで凛は言葉に詰まった。


声が震えていたので、また泣きそうになっているのかもしれない。

倒れていた人物が母だと分かったときの衝撃は、言葉では表し尽くせないほどの凄絶さだったろう。


再び凛の背中をさすってやる。


「わたし、お母さんを抱えて、必死で呼んだの。お母さん、お母さんって。そしたらお母さん、少しだけ目を開けて、言ったの。『凛、ありがとう。コタ、ありがとう』って。それだけ言ったらまた目を閉じて、それっきり反応がなくなって。それで救急車を呼んで、病院に来た」

「ありがとう、お母さんを助けてくれて」


母はきっと死を悟って、その言葉を残そうとしたのだろう。


しかし、死なれては困る。


三人の生活はまだまだこれからなのだ。


これからもっと三人でたくさんの思い出を作って、幸せになるんだ。


三人じゃなきゃダメなんだ。

一人でも欠けてはいけないんだ。


「お母さんは絶対大丈夫だ。信じて待とう」






一時間ほどだったと思う。


永遠にも感じられるほどの長い長い時を待って、ようやく『手術中』の電気が消灯した。


中から緑色の手術着を着た男が出てくる。


「ご家族の方ですか?」

「はい、そうです」

「大変申し上げにくいのですが、手は尽くしましたが、お救いすることはできませんでした。この度は――」



母は死んだ。



そう告げられた。


隣からは凛の泣き声が聞こえてくる。


悲しい、と思う。

凛と同じように、泣きたいぐらい悲しいはずだった。


でも、悲しみを感じさせないほどの何かが、全身を渦巻き、満たし、支配する。

地の底から沸き上がり、マグマのように煮えたぎったそれは、憎悪だった。



なぜ母を殺したのか。


殺す必要があったのか。


なぜ虎は人を殺すのか。


殺して何の意味があるのか。


なぜ人を殺して許される?


なぜ裁かれない?


なぜのうのうと生きられる?


あり得ない。


信じられない。


赦せない。



怒りと憎しみはとどまるところを知らず、いつまでも湧き続ける。

これを鎮める方法は一つしかないと、既に結論づけられていた。


いつの間にか、医師はいなくなっていた。

薄明かりの下、凛の小さな泣き声だけが響いている。


「……壊そう」

「ん?」

「壊そう、凛」

「うん」

「ぶっ壊そう、こんな世界。これ以上好き勝手にはさせない」

「やろう、コタ」

「うん。絶対にぶっ壊してやる」


これが唯一、煮えたぎる憎悪を鎮める方法であり、母への弔いだった。

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