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第二位、人間  作者: 青野 乃蒼
逆襲の果てに

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ようこそ、我が家へ

「昨日は、本当にありがとうございました」


翌朝、彼女は一晩寝て回復したのか、表情は少し明るくなり、口調もはきはきとしたものになっていた。


「昨日、話が途中になっていたと思うんですけど、全て話します。何でも聞いてください」

「無理に話す必要なんてないのよ。人間、一つや二つ言いたくないことはあるでしょ?」

「お気遣いありがとうございます。でも、わたしの場合はないと思います。そんな大した人生送ってませんから」


どこまでも自虐的なその言葉には、力がこもっていた。

きっと本人は本気でそう思っているのだろう。


一体、どんな人生を送ってきたというのか。


この問いの先に、その答えがあるような気がした。


「じゃぁ、昨日の続きを聞いてもいい?」

「はい、いいですよ。最後、何を話してましたっけ?」

「競人選手を辞めて、今は何をしているのかって話だった」

「あ、そうでしたね。うーん、ちょっと難しい質問なんですけど、端的に言うと、繫殖、ですね」


ハンショクという言葉が上手く頭の中で変換されず、どんな仕事なのか全く想像ができなかった。


「ハンショク? 初めて聞く仕事なんだけど、どんな仕事なの?」

「あれ? もしかして伝わってないですか? 繁殖ですよ、繁殖。要は子どもを産むってことです」


そこでようやく、ハンショクが繫殖に変換された。


もし繁殖で合っているのだとしたら――。

 

競人の闇――当時の虎たちが築いたおぞましい逆襲――の一端を垣間見たような気がする。


「それって……競馬で使われている『繁殖』と同じ意味と捉えていいのかな?」

「そうですそうです。第三者が選んだ男性と、わたしのように繁殖の命を与えられた女性が、妊娠するまで性行為をさせられて、その人の子を産むのが、競人の繁殖の仕事です。虎太郎さん、競馬には詳しいんですね」


彼女はさも当然かのように、スラスラと言ってのけた。


ただその事実は、容易に受け入れることは困難なほどに、あまりにも衝撃的だった。


母は、嘔気を抑えるように口元を手で覆っている。


「競人って競馬をなぞって作られてるんですよ。レースで功績を残したり、血筋的に良いと判断された人は、男女関係なく、引退後繁殖用として引き続き繋養されるんですけど、それ以外の人たちは、みんな虎のエサとして人肉になるんです。わたしの場合、レースで功績を残したわけじゃないんですが、血筋が良かったみたいです。おかげで、こうして生きています」


だからあのとき、競人場には人間の観戦客がいなかったのだ。


この事実を知っておきながら、競人を観戦できる人などいないだろう。


「でも、僕が見たときは勝ったよね。その後の成績はどうだったの? あの日以来、何度も競人場に行ったけど、君の姿を見ることはできなかったんだ」

「あれが最初で最後の一位でした。そのレースを見られるなんて、虎太郎さんは運がいいですね。あと、わたしの姿を二度と見ることがなかったのは、単純にタイミングの問題だと思います。あの日以降も、数回はあの競人場で走りましたし」

「そっか。それで、どうして菊池さんはここにいるの?」

「逃げたんですよ」


彼女は笑う。


苦笑ともとれるその笑顔には、隠し切れないほどの(かげ)りが浮かんでいる。


「前日に通知があったんです。明日からこの人と寝なさいって。覚悟はできていたつもりでした。でも、通知を受けた夜、ふと思ったんです。『あぁ、これから私、好きでもない男の人の子どもを毎年産み続けないといけないんだ』って。そしたらもう耐えられなくなっちゃって、そこからは必死で逃げました。監視の目をなんとか掻い潜って外に出て、それからひたすら歩き続けて。とにかく遠くに行かないとと思って、三日三晩歩き続けました。そしたら、虎太郎さんにぶつかったというわけです」


母はおもむろに、彼女に向けて両手を伸ばす。

その手が、彼女を優しく包み込む。


「大変だったね。よく今まで耐えたね。でももう大丈夫よ。何の心配もいらない。私たちがそばにいるから。もう大丈夫」


彼女は驚いた様子だったが、次第に目が潤んでいく。


「あ、あれ? なんでわたし、泣きそうなんだろ」


震える声。


くしゃくしゃになっていく顔。


そしてとうとう、涙が溢れだす。


見かねた母が彼女の頭を撫でる。


それが堰を切ったかのように、彼女は声を上げて泣きだした。


これまでの苦しみを吐き出すかのように、彼女は泣き続けた。


滂沱の涙が、彼女の苦しみを全て洗い流してくれたらいいのにと、虎太郎は思った。






ようやく泣き止んだ彼女は、目を真っ赤に腫らしながら「そろそろ行きます」と言った。


「これ以上お二人に迷惑を掛けるわけにはいきませんし」

「うちにいなよ」


気づいたときには言っていた。

なんのフィルターを介すことなく、その言葉はするりと口から出ていた。


「そうよ、凛ちゃん。私たちはあなたがいても全く迷惑じゃないわ。むしろ娘ができたみたいで、とても嬉しいわ。だから、ね。うちにいて、凛ちゃん」


また彼女は泣きそうな顔になる。


「わたし、ここにいて、いいんですか?」


虎太郎と母は顔を見合わせる。


そして、言った。


「もちろん」


二人の声が、彼女に届く。


目元の涙を腕で拭って、彼女は満面の笑みを浮かべる。

レースに勝利した、あの日と同じように――。


「ありがとうございます!」


虎太郎は両手を広げる。


「ようこそ、我が家へ。菊池さん」

「――凛」


彼女は自分で自分の名を告げる。


「凛って呼んで。菊池さんは他人行儀な感じがして()だ」

「分かった。これからは凛って呼ぶよ」

「うん、そうして。私はコタって呼ぶからね」


まさか、その名で呼ばれるとは思っていなかった。


でも悪くはない。


これから一つ屋根の下、共に過ごしていくのだ。

家族同然のようなものだろう。


「まぁ、別にいいけど」

「これからよろしくね、コタ」

「あぁ、よろしく。凛」


こうして、何とも不思議な、人間二人と獣人一人の共同生活が始まるのだった。

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