屍山血河
虎たちは倒れなかった。
まるで銃弾が当たっていないかのように、発砲前と変わらず、微動だにせず屹立している。
すると、またあの声が聞こえてきた。
『考えた結果がこれか。まったく、どこまでも愚かな種族だな、人間という生物は。そんな愚かで下等な人間共に一つ教えてやろう。まぁ、今ので分かったと思うが、我々に銃弾は当たらんぞ。これが何を意味しているか分かるか? おい、さっき号令を出していたそこのお前。答えてみろ』
群れの先頭に立つリヒトが、その声に合わせるように、前足を上げてにゅいっと爪を出し、その爪を隊長に向けた。
千尋はその光景を見て愕然とした。
行動と声のタイミングが、寸分違わず一致していたのだ。
もしかして、この声はリヒトなのか。リヒトが喋っているのか。
でも、そんなことはありえない。
ここは二次元の世界ではなく、まぎれもない三次元であって、リヒトは虎だ。
人間の言葉を話すことなど不可能だ。偶然の一致に過ぎない。
あの声に指名された隊長は、一瞬体をビクッと揺らしたが、声を無視して「かまえ!」と指示を出し、そして「撃て!」と号令をかけた。
再び銃声が鳴り響く。
そして、静寂。
数秒待ったが、やはり虎たちが倒れることはなかった。
『おいおい、愚かしいにも程があるぞ。さっきも言っただろう、銃は当たらんと。何回やっても無駄だ。……まぁ、いい。貴様らが愚か極まりないことが分かって気分がいい。だから、特別にこの答えを教えてやるとしよう』
人間が咳払いをするかのように、リヒトは軽く吠えた。
『いいか、よく聞け。銃弾が我々に通じない意味、それはすなわち、生態ピラミッドにおける頂点の座を、他の生物に明け渡すということだ。貴様らのような低能な人間が頂点に君臨し続けられたのはなぜか? それは何も脳が発達していたからではない。
そう、銃があったからだ。この唯一にして最大の武器である銃を使いこなしていたからこそ、貴様らは低能であっても頂点にいられた。それがどうだ、今やその銃は我々に当たらない。
さすがにもう分かるだろう、愚かな貴様らでも言わなくても分かるだろう、貴様ら人間の末路。それでも言わせてもらおう。言わずにはいられないのだよ。気持ちが良いからな』
千尋は生唾を飲み込んだ。ゴクリ、と音がする。
現場にいる人々、テレビでこの状況を見ている人々、皆が固唾を呑んで次の言葉を待っている。
しかし、その言葉は、誰しもが想像できる、最悪のシナリオであろうことは間違いない。
『人間の時代は終わりだ。そして、我々虎の時代がやって来るのだ。これまで貴様らがやってきた所業を、そっくりそのまま返してやる。
動物園に貴様らを閉じ込めて、見せ物にする。家畜として飼って食肉にする。あぁ、ペットなんかも悪くないだろう。でも勝手に繁殖されても困るから去勢手術はさせよう。買い手が見つからなかったら殺処分なんかもあるだろうな。
どうだ、今の気分は。最高だろう。全て貴様らがやってきたことだ、何も言えまい。そうだろう、お前』
リヒトはまたしても、隊長に爪を向ける。
こんなにも偶然が一致することなどありえない。
もはや疑いようもない。
これは間違いなく、リヒトの声なのだ。
「う、う、うぅ……」
隊長は銃を片手に、肩を震わせている。
『そうだろう、何も言えないだろうな。泣きたくなる気持ちはよく分かるとも。ただ、我々は許すわけにはいかないのだよ。これは我々だけの思いではない。人間以外の全ての生物たちの思いを背負って――』
「撃て! 撃て、撃て! 撃てええええぇぇーー!」
隊長は叫喚のような号令を出すと同時に、射撃を始めた。
号令を受けて、隊員たちも撃ちまくる。
銃声が響き続ける。
次第に硝煙が立ち込め、虎たちの姿が見えなくなる。
それでも隊員たちは射撃を続ける。
その中で、またしてもあの声が聞こえてきた。
『……もういい。死ね』
端的で粗暴なその言葉に、千尋は唖然とする。
もしこの声が本当にリヒトのものであるならば、自分が大切に育ててきた息子が、人様に向かって悪辣な言葉を口にすることが、そんな子に育ててしまったことが、どこまでも悲しかった。
数瞬の後、煙の中から虎たちが一斉に飛び出してきた。
迷うことなく一直線に、連合隊へ突っ込んでいく。
次々に虎が人に飛びかかる。
鋭利な牙と爪が鈍い輝きを放つ。
鉤爪が防護服を貫き、獲物を掴んで離さない。
「あっ、あぁ、ああああぁぁぁぁーーーー!」
恐怖に震え声にならない声で泣き叫ぶ隊員に、無情にも虎は嚙みついていく。
牙がずぶりと人肉に突き刺さる。
じわじわと血液が溢れ、次第に血溜りになっていく。
嚙みついたまま、虎は首を振って食いちぎろうとする。
二、三回ぶんぶんと首を素早く振ると、あっけなく人肉が体からこそぎ取られる。
虎がそれを吐き捨てる。
ベチャっ、と嫌な音が地面から響いた。
他方では、爪が喉笛を切り裂く。
隊員の首元から、噴水のように鮮血が飛び散っていく。
近くの隊員が援護射撃するも、空砲を撃っているかのように効果がなく、一狩り終えた虎に襲撃された。
辺り一面は、瞬く間に血の海と化した。




